久しぶりのブログです。
最近辛いことがたくさんあり、いろいろ悩んでひとりで苦しんでいました。

まず、ヨガのこと。
私はこのままヨガを教えていいものか、悩みました。
私は自分のところでヨガを伝えることは大好きですし、
ここに来てくださることがとても、とても嬉しいです。
でも、私がつらくなったのは、スポーツクラブのオーディションに3つも落ちてしまったことで、
「私は向いていないんだ」と落ち込んでしまったのです。

たしかに私には華がありません。
若くもないし、みんなを見上げるほど体も小さく、見栄えしません。そして地味です。
ずっと前から、よく、「存在感がない」とか「人を惹きつけるものがない」とかいわれています。

スポーツクラブやフィットネスでは、お客さんが「こんな先生に教えてもらいたい」とか「先生のようになりたい」とかいった、「先生は憧れ」であることがけっこう重視されます。
まず見た目で劣る私は「憧れ」には程遠いです
以前事実上クビになったホットヨガでもかなり厳しいことをいわれ、落ち込みました。
スタッフからは「あなたに教えてもらいたいひとなんていないよ。」と、
お客さんからは「あの先生じゃなくてよかった~」「もっときれいな先生に教えてもらいたい」など。。。

私の周りのインストラクターでこんな厳しいことをいわれたことがある人はだれもいません。
以前も書きましたが、私は小学生からずっといじめに遭い、社会人になっても職場によってはいじめの対象となってしまいました。
今は「いじめ」とは離れることができましたが。
だから、子供のころから自信が全くなく、自分を卑下することが私の悪い癖になっていました。

自殺を考えるほどいじめの期間が長かったため、今でも時々つらい経験がフラッシュバックとなって私の目の前に現れます。

スポーツクラブのオーディションを落ちるたびに、また自信がなくなって自分を卑下する癖が出てきて、苦しんでいました。

心が苦しいと体もこわばり、ヨガのアーサナもできない日が続きました。
でもアサナ以外で、そんな苦しい状態のじぶんを座って観る練習を続けていました。

すると、突然、ふっと、心が軽くなったのです。
オーディションの合否にこだわる自分が見えてきました。
合格しても落ちても、そんなこと、どうでもいいこと。
そのスポーツクラブに自分が合っていなかっただけ。
ただ、それだけ。

心が開放されると同時に体も開放されます。
すると、今までできなかったアーサナができるようになりました。
そして、今まで聞こえなかった嬉しい言葉も聞こえてくるようになりました。

生徒さんたちから「無理なく続けると今までできなかったヨガのアーサナ(ポーズ)が少しずつできるようになった」と、嬉しい声が聞こえてきました。

昨日のスポーツクラブのオーディションは結局ダメでしたが、時間が合えば来てもらいたかったといわれました。

やっぱりヨガってすごいな~と思いました。
ただのストレッチではないです。

生きている限り苦しみはつきものだけど、少しずつ、ヨガで自分を観察する練習をしていくと、開放される瞬間を味わうことができるのかも~。
そんな前向きな気持ちになることができて、生理前なのにとても心が穏やかで不思議です。

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