24日に母の四十九日法要、無事に納骨
出来ました、裏山に墓があり天候が心配
だったけど、雨に降られなくて良かったです。

この日に用意した生花です。


写真投稿のやり方忘れてしまい、あと2枚

花の写真あるのですが、upの仕方わかりません

でしたm(__)m


随分放置してしまいましたが、10月5日、

母が永眠しました、享年92歳。


去年の9月5日、脳梗塞で入院し、入院中に

インフルエンザに院内感染し、18日の敬老の日に

退院しましたが、嘔吐して水分補給すら

出来ず、別のかかりつけの一般病院に再度入院

しました、誤嚥性肺炎と感染症が原因の発熱、

点滴の治療を続けてました、熱が下がっても

症状が治まっても、水分受け付けず、中心静脈栄養の点滴をずっと続けてました。

治療方針が、治療目的でなく、床ずれ予防と

点滴処置のため、別の介護型病院に転院を言われました。

コロナ対策で、面会は2週間に1度、事前に

時間予約で、ワクチン未接種だと タブレットを介して

リモート面会5分間、母は「早く退院させて、

家に連れて帰って」と言い続けてました、

孫(母のひ孫)の顔を見て少し笑ってました。

6月頃、リモートでなく、3名まで面会許可に

なり、孫と従兄夫婦(母の甥)の3人で面会に

行きました、意識ははっきりしていても、耳が

遠いので、上手く話は出来ず(泣)

8月終わり頃、中心静脈栄養の点滴カテーテル

が感染源となり、発熱を繰り返したため、

通常の水分補給のみの点滴に切り替わり、

よく持ちこたえても1〜2ヶ月と、事実上

余命宣告受けました。

9月半ば頃はだいぶ衰弱して、言葉を発する

事は出来なくなり、看取り近いかも…と看護師さんから告げられ、時間外面会許可を頂き、

日曜日の午後、家族で面会に行きました、10月

5日、呼吸が荒く、喘ぐような息遣い、看護師

さんから、「看取り近そうなので、葬儀会社を

手配してください」との事。

夜間9時頃、病院から、容態急変、至急来院を

言われ、上の娘と車で駆けつけ、午後9時38分

担当医師より臨終告げられました(泣)

母にはもう少し頑張って欲しかったが、

長期間、苦しんで逝くより、この時、解放

されたので良かったのかも(泣)

もっと感謝を伝えられたら、帰宅願望叶えて

あげられなかったことetc  それが

悔やまれます。

暗い話を長々失礼しました、しばらくぶりの

ブログ入力で、キーの不具合みたいで上手く

打てなくなったのでここまでにしますm(__)m

読んでくださり感謝











随分放置してました(汗) 、孫が、スマホをいじりたがり、アンパンマン動画(アニメでなく、大人

や子供が人形を使ってストーリーを創作して演じてるもの)を見せて欲しがり、一度渡すと、延々と見続け、次の行動(入浴など)に支障が起きるので、封印してるので、自然と写メも遠ざかってました。

保育園に行っている間、銀行に行く際、ようやくスマホを持ち出せるようになり、久しぶりにup

しました。


クンシラン、整骨院にて

オオテマリ

紫陽花か?

紫蘭

フクシア

デルフィニウム他

ガザニア

ニチニチソウ他

ビオラ?

シャクナゲ

オダマキ

黄色オダマキ

 では、また