本日は3月11日です。
東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
何年前だろうと、関係ありません。
被災地はもとより日本全体で、「国難」という認識がが共有された日であると
私は考えています。少なくとも、私にとっては「そういう日」です。
そして昨日の3月10日。
これまでは「東京大空襲の日」でした。
そう学校で教わりましたし、ニュースやマスコミでもそう報道されてました。
それしかないと、考えていました。
東京が焼き尽くされ、多数の犠牲者が出て、
さらにはこの日以降、激しさを増したといわれる米軍の
「日本本土空襲作戦」の端緒となった日です。
亡くなられた方々のご冥福を祈る気持ちに変わりはありません。
が、今に至るまでの「この国の来し方」を振り返ったとき、
私は「3月10日」のもう一つの意味を知りました。
東京大空襲のあの日まで、3月10日は日本にとって
重要な日でした。
「陸軍記念日」といいます。
1905年3月10日、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、
奉天を占領して奉天城に入城した日です(以上、ウィキペディアより部分引用)。
陸軍の戦勝を祝った記念日で、1944年にも記念式典が都内で行われました。
米の空襲は、「この日」を狙ったものとの、「俗説」があります。
真偽のほどは定かではありません。
米軍の資料には、その俗説を裏付けるような記述は、現在まで見当たりません。
ですが、その後の極東軍事裁判において極刑を言い渡された方々の刑の執行日が
当時皇太子殿下であられた今上陛下のお誕生日であることを考えると、
「なんらかの悪意ある選択」がなされた可能性は否定できないと思います。
もっともこれは「歴史のIf]であります。
WGIPが実施されたのは事実ですが、「3月10日の選択」の実際はわかりません。
ただ。
2600年余の歴史を持つ我が国で、
「二つのまったく異なった意味を持つ日」があることを、覚えておきたいものです。