さて、「視える人の話」その2です。

余計なことは言いません。読んでいただければ。

(以下、引用は赤字)


いまひとつは、ひとりびとりが、エネルギーの弁を閉ざされてしまったからである
後者を語ろう     ( → 前回引用ここまで)

国と国に争いがあり、疲弊と迷いが生まれた
そこに、小鬼のエネルギーが入り込んだ
本来、日本のエネルギーは高すぎて、小鬼は入ってこれなかった
居っても藪の闇のなか、迷い込んだ者に悪戯する程度

だが、小鬼が取り憑いたのが、テレビという厄介な箱である
まずテレビは、観る者の意識を低くする
それは感情を逆撫でし、恐怖を押し付け、鼻つらを引き回してどうでもいい物事に夢中にさせる
小鬼は跳ね上がって喜んだものだ

最も悪いのが思考を短く切り刻んだことである
思考は悪いものではないが、身体の感覚とゆったり結び付かねば空回りを始める

思考が短く切り刻まれ、身体の感覚と断ち切られた
これは、暁のエネルギーを運ぶ血管に、閉じたままの弁をつけたも同じである

前進するエネルギーを失い、思考を切り刻まれ、鼻つらを引き回された民は、
個々の欲得を満たすほうへ導かれた
これは満たしても満たしても果てしない餓鬼の道であった
国は、それに見合った“華やかでからっぽ”の世を作り上げる

国は沈んだ
重い欲得と粘りつくからっぽの泥


前者を語ろう
こちらは神ごとの世界の話で人の世の“いつ”“なぜ”が混じりあわない
意味も理由も時間軸も掴みきれぬ話になる

この星に人が生み出されて複雑さが増した頃
星の外側から導く者たちに変化が起きた
導く者たちは果てしのない長い時を経て、この星を複雑さへと導いてきた
複雑さは光にエネルギーを増すのである

ひとつひとつの変化が高度なバランスを生み、この星は常に波うつようにエネルギーを生み出してきた
そこに、いわば“光の大鬼”のような者たちが入り込んだ


(引用ここまで)

あまり先入観を持っていただきたくないので、私の意見は書きませんが、

思うことはたくさんあるお言葉です。