長らく更新ができていませんでしたが、この春から東京から長野県佐久市へ移住しましたので、その話をつらつらと書いていきます。
まず、なぜ移住をしたのか、その経緯について。
実は、東京に住んでいた期間は約4年間で、その以前は、北海道に10年ほど住んでいたのです。18歳から酪農に憧れ、放牧酪農学ぶために北海道の大学に進学してから、28歳まで10年くらい北海道暮らしをしていました。その当時は、北海道の最北端である稚内市の下にある豊富町に住み、普及員として地域の牧場を巡回する日々を送っていました。田舎というかまさに僻地、辺境の地と いった感じ。人よりも全然牛が多いという場所だったのです。
豊富町に住んでいた頃は、若さもあり休日は町に出て買い物をしたいという思いがあり、田舎すぎることへの不満というのがありました。都会暮らしの経験が無い中でしたので、田舎暮らしの良さを本当に実感できていない状態でした。何せ、町の中にあるお店は、セコマ(北海道に本社のあるコンビニ)と地元の小さいスーパーとホームセンターのみという状況。最寄りのイオンモール名寄店まで片道2時間かけて、買い物へ行っていたころを思い出します。(あのころは大変だった。。。)
さて、豊富町での生活も3年目に差し掛かったころに東京への転職活動を開始します。都会へ出たいという不純な目的ではなく、酪農現場の過酷な労働の現実を目の当たりにして、今後スマート農業が必要になるという思いから様々なIT企業へ応募していました。半年近く転職活動をした後になんとか、スマート農業に取り組む社員500名程度のIT企業への内定をいただきました。ここから東京での生活が始まります。
いざ、東京へ行くとコロナ感染症が広まったタイミングだったので、入社3日後から全面リモートワークとのこと。北海道時代は、公務員ということもあり、アナログな環境だったこともあり、色々なソフトを駆使するリモートワークに慣れるまでに苦労しました。
そんなこんなで、2年ほどIT企業へ勤務し、妻と不動産業を行うために退職。さらに2年ほど、東京で暮らしました。
東京で暮らす中で、私に都会が合わないと肌で感じることが多くなりました。サラリーマン生活が終わり、子育てにも参加する時間も増えていきました。自分以外の人を連れて歩くという負荷が加わることで、より具体的に都会でストレスを感じるタイミングが分かってきました。下記にいくつか挙げてみます。
①自転車で走る人が傍若無人
②車の渋滞
③景色の見えない家
上記については、多くの人がストレスに感じることで共感できる人も多いと思います。なのになぜ、都会の人が平気で暮らしているのか不思議で仕方ありませんでした。
まず、①自転車で走る人が傍若無人について。東京は道が狭いため、自転車利用率が高く、歩道や公園の通路で多くの自転車とそれ違う機会があります。こちらは、子供を2人連れて歩いていく中、交差点など視覚の悪い場所でもお構いなく、猛スピードで自転車が走っていきます。子育てに関わっていくと、とにかく子供を守らなければと思う意識が強くなっていったので、交差点や公園で常にキョロキョロ周りを見渡しながら歩いていました。こちらが避けなければ、突っ込んでくる勢いに感じていたので、公園や狭い歩道を歩くのがストレスだし、心拍数が常に早い感覚でした。
近所に公園に隣接したショッピングモールがあったのですが、お店の前面が広めになっており自転車が猛スピードで行きかう中、子供を乗せた自転車が他の自転車と正面衝突する瞬間を目の当たりにしたことがありました。私には衝撃が大きく、大丈夫か目を見張っていました。その次の瞬間、衝突した2台の自転車は何事もなく、お互い謝りせずにそれぞれの向かう方向へ立ち去っていったのです。それを見て、狂ってるのか、私の感覚がおかしいのか、理解ができない状況でした。その日以降、そのショッピングモール前の通路は子供を乗せた自転車で走ることは無くなりました。
つぎに②車の渋滞。
これも都会で非常に大きいストレスの一つですね。でも、こちらについては年数を重ねると慣れてきたかもしれません。というのも、10km進むのに30分から40分くらいかかるよねという感覚になっていったのです。田舎にいたら10 km10分~15分の感覚かと思いますが。都会は短い距離にもお店が沢山あるので、田舎に比べて大分狭い生活圏内で暮らせてしまいます。なので、休日もあまり遠くには行かなくなりました。
最後に③景色の見えない家です。
不動産業を行っていく中で都会の戸建てに一度住んでみたいと思い、賃貸で1年ほど住みました。そこで暮らしにくさ、精神がおかしくなる感覚まで体感しました。こんな環境が憧れのマイホームかと思うと、受け入れられないと妻と話しました。東京は土地値が高いので地方で2000万円くらいの家が7~8000万円で売られています。とってもそのような価値がある感じられなかったです。特にに私たちの住んでいた家は家と家に挟まれていたので、内装は少し豪華でしたが、外に行かないと子供たちもストレスで暴れだす始末でした。1階部分はほとんどスリガラスで、窓を開けても隣の家の壁。わずかな隙間から窓を見上げて、子供たちと「小さい空だねー」と話していたことを思い出します。家賃もそこそこしていたので、半年ほど住んで妻と「ここは失敗だった」とお互い反省しました。

そんな状況で1年過ごす中で、東京の暮らしにくさを十分体で体験し、人工物の毒のようなものが脳や体に支配されていく感覚を覚えてきました。妻と自分たちには田舎が合っているよねと話し、移住を具体的に準備し始めたわけです。
ギリギリ3月に子供の幼稚園が決まり、晴れて移住することができたというわけです。
子供たちが通う幼稚園、私たちが住む集合住宅もとても素敵なのですよ。
また、次の機会にそのお話を書かせていただきます。

