夜遅くにこんばんわです。7月17日に三十路を迎えた大阪のオバチャン姫希です(・ω・)/

只今頭痛と少しずつ復活してきた腹痛で全然寝れません(∋_∈)

今日の夕方までは、鍋会モンハン部でUSJのイベクエの防具を狙いに狩りまくって負けまくった(笑)
負けながらも楽しかった。頭痛ひどかった、それでも皆といるのが楽しかった。

ただそれが祟ったのか、自宅帰ると頭痛は激しさを増して微熱出て身体全身熱がこもって、痛み引いた腹痛まで復活してしまった。

そんなうちの元にうち宛ての小包?が届いていた。母方のおばさん夫婦からやった。
嫌な予感しかしなかったけど開封してみた。

そこには一冊の小さな薄い本が。どちらかというと絵本に近い感じの本だった。挿し絵が素敵なのを覚えてる。

ただ…後に本を読んで後悔し『あっやっぱりか…』と悲しくなった。

簡単に言えば、本の内容がほぼ子供でも分かりそうな聖書だったこと。

※写メを載せますが、あくまでうち個人の感想で本の作者・内容を批判するつもりはありません。そして贈ってくれたおばさん夫婦も。

今のうちには聖書は害になる。
一文を拝借をすると『神はきみの罪と罰を引き受ける為にイエスという人に姿を変えて全ての罪を背負って十字架に張り付けにされた』
※文章間違ってまらスミマセン
それって自分で罪と罰を片付けたわけじゃない。

そもそも、うちは無宗教を決め込んでる。
母方の祖父は僧侶(仏教)おばさん夫婦はキリスト教関係で結婚。
父方の祖母は仏教だが、叔母が創価学会。
身内内で宗教戦争があったのを小さい頃から聞いていた。

うちは全てではないけどある程度偏見もあるかもと思って、各宗教の話・総会みたいなのにも参加して勉強した。

結果的にはどれもうちの心には響かず、話を聞いても身内内宗教戦争のが脳内をよぎって駄目だった。
だからうちら家族は無宗教を決め込んだ。

けど宗教を信仰する人は信仰している宗教の方法・考えで接しようとする。時にはしつこく。

やから今回贈られた本は一度しか読まず、父に預けてお礼メールも託した。

こんな気持ちじゃお礼メールなんて無理。正直、人生で一番有り難迷惑な誕生日プレゼントになった。
宗教信仰する位なら自分が信用出来る家族や友人を信じる。
もう自分の目で見て信用出来る物しか信用しない。

姫希.*゚