8月下旬のつぶやき

作業のかたわら、ときおりメモがわりにTweetした中から、「造形」に関することを抜粋。
(互いにやりとりしたTweetは掲載に先方の許可がいるので、割愛)。
以下、8月下旬のTweetより。
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市立美術館の國芳展が今日まで、ということでこれから行ってきます。と思ったら、ポロシャツの肩にべっちょり、パテがへばりついて固まってる。これ、いつからついてたんだろう? 爪にはいつもついてるんだけど、洋服はとらんとマズイな、と、裸になって、カッターの先で繊維の間に入り込んだパテをガリガリとやっており、今ちょうど、勢い余ってポロシャツに穴が空いたところ。アトリエから市美まで徒歩数分ですが、国芳への道のりは長いぞ!(泣)
8月21日
工場から新しい手のパーツ上がってきた。前回の手がまるでおもちゃ。VHSからいきなりBDに変わったぐらい、造形の解像度が上がってるな。自分で言うのもなんだけど、この一年でオイラ随分、腕を上げたよ。この手を眺めながら小一時間、お酒が飲めるよ。
8月22日
背中から腰にかけての背面のボディラインが薄くなったことで、相対的に、「脚の付け根の球体、前面の盛り上がり」が目立つようになってしまった。そこで、盛り上がりのカーブが自然にモモへと流れるよう、モモの前面を大幅に削り、大腿部を細くする、という作業を昨日、してみたのだが、結果として、今度は、ヒザ周りの太さが目立つことになってしまった。
「ヒザ周りが、前後方向にやや厚い」というのは、以前から気づいているのだが、この前、その修正をして失敗したばかりだ(造形に影響の少ないヒザ後面を削って細くしたところ、ヒザ裏側のくびれを過度に削らないと可動できないということがわかり、さんざん時間をかけて元のカタチに作り直した)。
だからもうヒザには手を入れるべきではないのだけれど、実はまだ試していないことが一つだけある。ヒザ「前面」の大幅な削り直しだ。接する他部位の修正も含めて、両足で2週間ほどの作業になってしまうのだが、今、これをやるかどーか、猛烈に悩んでる。
締切のことを思えば、修正すべきではないという答えは出ているのだが、そもそもヒザの前後の厚みを減らそうとしたのは、前作mark2における「製品上の欠陥」を解消する、ためであって、美学上の問題だけではない。前作mark2のヒザ(と接する部位)は割れやすく、これは、ヒザが前後に長い楕円球体であることが原因で、左右にひねるとその直径の差で外観部材が割れてしまうのだ。
では、そもそもなぜ楕円球体にしていたかといえば、人間と可動様式を同じにするためなのだ(ヒトのヒザは横方向に回転しない)が、テストの結果、ほとんどの人がヒザを回転させようと回してしまうことが分かった。なぜなら、これまでの人形がすべてそうだったから。
だからむしろ、やや回転できる(しても割れない)ように、楕円断面の前後左右の比率を、あらかじめ正円に近づけておく必要がある。ユーザーが横方向への回転をしようとすれば、動きに不可がかかり、割れてしまう前にその行為をやめる、という「遊び」を噛ませるためにも、やはり「改修」は必要なのだ。クレームで「回収」ってことにならないようにね。
以上、連投すみませんでした。改修作業、開始します! 迷ってる暇はないので。
8月23日
ヒザ前面を全体的に2ミリほど削り、上下に切断後、縦方向に3ミリ長さを短くした。その際に内部ジョイントが干渉してしまうため、ヒザ下部を後方へ2ミリほどずらした。これでかなり膝周りの印象が変わった。曲げたときに美しい。ただ正直、修正前と修正後のどちらのほうが美しいのかは、現状ではまだ、微妙なところ。
8月24日
ただいま、2回目のスタイリング打ち合わせ終了。日本の文化とベトナム文化の融合案。髪型とティアラ風ヘッドドレスを強い感じに。あと、ロゴマーク案。あとネーミングについても。
8月25日
ミシン植毛の後頭部が、工場から上がってきた。熱処理で髪が頭部にピタリと沿っている感じは、ロングの場合、きれいなラインが出るので、ウイッグよりもいいね。ただ、縫い方が荒いのが気になる。ハゲが目立つ。大きい頭部だから縫い目も荒くしたのか、地素材がウレタンだから、裂けるのを恐れてのことか、要確認。
8月25日
板の自重で人形を支えるという、コロンブス的発想で生まれた新スタンド。黒御影石を台座にしてみたが、素晴らしい質感。しかも、木材やアクリルより安い。でも、石が光すぎてスカートの中が丸みえ。それも含めて、ゴージャス!
あと、人形の設置部も新機構で、片手ワンタッチで高さを調節できる。このスタンドがプロダクトとして優れてるのは、ネジ等を用いず、素材の可撓性や、部材同士の角度、フォルム、等の組み合わせよって、「力をうまく逃すこと」で、自立しているという点。これは、僕のドールと同じ発想に基づいてる。
8月25日
あと、うだうだ言いつつ新造した膝だけど、どうやらうまく行きそう。というわけで今晩は上機嫌なので、これから、モンハン3HD始めます!
8月25日
メガネを自宅に忘れたので(かけたまま寝てしまうとベッドにおいてきてしまう)、今日は細かい造形ができない。内側の磨きをすることにして、後は、たまっている事務仕事(メールの返信等)を片付けてしまおう。
8月27日
たまには作業報告しないと、モンハンばかりやってると思われがちなので。26日は、造形を変更した左脚に合わせて右脚付け根、尻部修正。27日は植毛頭部検討メール、インタビュー原稿執筆。28日は右肩接合部修正、右ヒザ修正。今日は、原稿仕上げと、右ヒザと右モモを造形変更。
8月29日
マーク2改のヒザと、マーク3のヒザのデータ(芯の角度と表面の角度)がとれたので、マーク2改のヒザにノコを入れるぞ! それにしても、一度完成したフォルムにノコを入れるのは怖い。。。とりつかえしつかなくなるから。
8月29日
新パッケージ案、浮かんだ。プラスチック製のパッケージで、新スタンドと組み合わせれば、そのまま人形を飾れ、ばらせば、コンパクトに持ち運べるかも。これまで個別に考えてきた備品類が、ここにきて、ぎゅーっと焦点が絞れ、一つの形態に集約される。この感じ、たまらん。で、これが本命っぽい。
こーいうコトで興奮できるのって、やっぱり自分は、つくづく根っからのモダニストで素材フェチなんだなあと思う。今、このアイデアが浮かんで工場に電話したら、担当の方も、「僕も、あの人形のパッケージは紙や木じゃないと思ってたんですよねえ。人形が新しいんだから、全部新しくないと」と乗り気。
8月30日
長年、町工場の方々と付き合ってきて思うのは、彼らはそれぞれの職人である以前に、まず素材フェチなんですよね。プラスチックフェチ、木材フェチ、金属フェチ、石材フェチ、塗装フェチ。僕の仕事は、そんなフェティッシュな彼らがぐっと来るようなフォルムやアイデアを提案し、結びつけ、世に出すこと。
アイデアの根幹にあるのは、機能主義的なモダニズムだけれど、一方で物質特性を知り抜いていないと、それは実現しない。構造的に弱くなるから、という理由もあるけど、やっぱり、絵に書いた餅では、職人は動いてくれない。「この素材でこの厚みってたまらんでしょ?」ってのを共有できないと。
8月30日
ただソレがソコに立っている、というだけで感動できる作品。それが出来たらどんなに素晴らしいことかと思う。でも今、開発段階で共感し、協力してくれている人たちも、それが観たいんだと思う。
8月30日
『ピラニア3D』観てきた。期待を裏切らず、見せるべきものを全部見せてくれた。ウエットTシャツコンテスト最高。数年前、新宿2丁目のバーで、高橋ヨシキさん、パトリック・マシアスさんとご一緒した際に、「世の中で最も美しいのはウエットTシャツなんだ」と熱弁を振るったのが懐かしい。
懐かしいといえば、『殺人魚フライングキラー』のポスターが、小学校の通学路、もとい通用門の真ん前の電信柱にくくりつけてあったのを思いだす。少年時代は、映画を一人で見にゆくのが大人になった証で、残酷なもの、エッチなものも、いっぱい観て育った。町も、世間も、社会も、寛大だった。
なにしろ、育った家の斜め向かいが、ポルノ映画専門店で、巨大な裸体がいくつも、壁にでかでかと描かれていて、毎月更新されてた。おもちゃ屋の斜め前がポルノ映画館という時代。
子供が誰でもやるピンポンダッシュも、風俗店でやってた。パーマのビニルキャップをつけて化粧してないおばちゃんが、「コラーッ、クソガキ!」と追いかけてきた。
すっかりシャッター街となったかつての歓楽街だけれど、今でも、このつぶやきを書いてるアトリエの前は、韓国人やブラジル人の水商売のおねえちゃん専門のマンション。
歓楽街のおもちゃ屋で育った、という環境は、今の人形づくりに、どれほど反映してるのかわからないけど、女体を作っててまったく照れがない、ってのは、まあ、育った環境のおかげかもね。
などと書いてる間に、今まさに、アトリエの前を、ノーブラの韓国系の女の子たち三人がご出勤。見とれてたら、隣の美容室の女の子に挨拶された。さて、元気が湧いたところで、仕事にもどるか。僕らは夢を売るのが仕事だからね、すげえ作品作って、子供らにトラウマを植え付けてやるぜ!
8月31日
8月中旬のつぶやき

作業のかたわら、ときおりメモがわりにTweetした中から、「造形」に関することを抜粋。
(互いにやりとりしたTweetは掲載に先方の許可がいるので、割愛)。
以下、8月中旬のTweetより。
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人形の表情を決定する上で、とりたて「メッセージ性」なんてのはないのだけれど、なんらかの「シチュエーション」はある。例えば、駅かどこかで、誰かと待ち合わせしている感じのちょっと可愛い女性をみかけて、ふと目がいってしまう感じ。誰か知らないし、今、彼女が何を考えてるかもわからない。
8月11日
何度目かに、ふと目があってしまってドキッとする感じ。僕にとって、ドールの表情というのは、その感じがうまく表現できたか、というだけのことで、基本、それ以上でもそれ以下でもない。でも、そんな状況は何か映画の1シーンのようだし、そこにある絶対的な距離も、どこか映画的であるような気がする。
8月11日
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Nスペ「スカイツリー」建設のドキュメント鑑賞。余期せぬ構造体のブレ、震災での数メートルにも及ぶ揺れを乗り越え、最後、塔体を取り付ける際に、取材者がたずねる。「これ、ほんの少しズレてたらどう直すんですか?」。「全部作り直すしかねーだろ」とチームリーダー。爆笑する部下たち。かっこええ
8月11日
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アレキサンダー・マックイーンの展示写真を見ていて、浮かんだマネキンスタンドのアイデアを元に、社長がブラッシュ・アップ。結果、超シンプルなドールスタンドが実現。こちらで小さなジョイントを提供すれば、後はユーザーが好きな棒や板を加工なしに設置するだけでスタンドが完成。ジョイントだけなら格安。
8月12日
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やべ、ノコを変な使い方したら、抑えてた指の付け根、切っちゃった。電動ではないので大丈夫。マスキングテープ貼ったので、すぐに血はとまる。怪我しても、補修道具は揃っているのだ。
8月12日
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本日、腹部、ノコでばらして再構成。ここにきて、まさかの大幅修正。でも良くなったと思う。胸の下の肋骨の流れが自然になった。腹部全体が薄くなり、結果として、胸が大きく見えすぎるので、明日は、胸と背中側をやや削って整える。尻の厚みは、脚を設置してみないとわからないので、その次か。
8月12日
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先ほど、ドールのスタイリング打ち合わせ、第1回目、終了。スカイプって便利だなあ。さて、本日は腰パーツを再びノコで切断、再構成。腹がひっこんだ分、脚のつけ根を4ミリほど後方へ。ついでに、内部ジョイントが移動する空間をぎりぎりまで広げてみた。これで、もうすこし脚の可動範囲が拡がるかも。
8月13日
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瞬間接着剤あるある→「イザ使おうとすると、キャップがひっついていて、最後まで使いきったコトがない」。とっさの作業で使えないと困るので、100円ショップで常に5.6個買いだめ。2、3回使っただけなのに、キャップが開かずにお釈迦になった瞬着が、机の引き出しに山ほど転がってる。
8月14日
それがなんと、最近使い始めた、セメダイン社の3000ゴールドという瞬着は、それが一切ない。「このキャップの安定感、堤真一レベルじゃねえかっ!」って逆クレーム入れたいぐらい、凄い。
8月14日
見た目は他の瞬着のキャップと同じなんだけど、中の形状、角度等に工夫があるのか、素材、ないし表面処理が微妙に違うのか。ただ、机の中に貯まってる他のメーカーのキャップは全部もう開かないから、比較のしようがない(笑)
8月14日
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本日の修正。脚の付け根を3ミリ後方へ、これは成功。腹部を4ミリ延長、これは失敗。胴長に見える。へその位置をあらかじめ3ミリ下げておいたのも災いしてる。どうやら胴体バランスはmark2でほぼ完成していたようだ。一度ならして、明日、腹部の長さを3ミリ詰め、へそを2ミリ上方へ上げる。
8月14日
その後、マーク3を組んで、マーク2と並べてみたけど、意外と現時点でも悪くはないな。そんなに胴長でもない、というかリアルプロポーション。こちらのほうが現実の女性に近い。ただ、面白みに欠けるな。。。迷いどころ。
8月14日
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『YES MEN』鑑賞。アートというより、普通に活動(というかイタズラ)としてやってるところに有無を言わさぬ説得力が。コンビ組む前に、各自、勝手にやってたんだね。シムシティ作ったゲーム会社で働いてた時に、裸の男がキスし合うシーンを入れたりとか、仕事と遊びに境目がないのが凄い。
8月14日
ゲームでも映画でもホビーでも、業界に「カウンター」カルチュアとしての自負がある時がやっぱり面白い。イエスマン・ネタで、トーキング仕様のバービーとGIジョーの台詞を入れ替えるってのがあったけど、なぜ訴えられないかっていうと、マテル社も自分たちがカウンターであることを自負してるから。
8月14日
そーいえば、先日、美術作家の田中君と映画監督の佐藤さんと三人で話した時にも、そんな話になったね。なんだかんだ言って、アメリカの表現者というのは、自分たちがカウンターだという意識が強い。デニスホッパーとかね。映画、彫刻、絵画、役者、等の水面下での横の結束が強く、金じゃねえみたいな。
8月14日
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昨日、5ミリ延長した胴パーツを、本日、再度ノコでばらして2ミリ短く。3ミリは無理だと判断したが正解。これ以上短くすると内部構造と干渉するのでこれがギリだ。しかし、たった2ミリ(人間換算で6ミリ)でこうも印象が変わるとは。人間の眼(印象)というのは凄い。厳しい。
8月15日
実は昨日の状態(バランス)がリアリティという点からはベストだったのだが、キセカエ人形の場合、裸の状態で完璧に見える状態というのは、経験上、間違っている。「座姿勢」や「服を来た状態」を考慮に入れて、ややディフォルメしておかないといけない。
8月15日
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また指、ノコで切ってもうた。気が焦って、下に滑り止めシート敷くの忘れてた。
8月15日
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本日、胴パーツにまたノコを入れ、ヘソの位置を思い切って7ミリ上へ。もう2ミリ下でも良かったかもしれないが、ヘソの位置が上にあったほうが、胴長の印象を軽減できる。ともあれ、胴部では、ノコを使う大幅な修正はこれきりにしたい。
8月16日
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Tarzan and Arabの活動は、とても素晴らしいアイデアであると同時に、しごく真っ当な方法だと思う。タイトルやポスター、予告編だけなら、現在では予算をかけずにかなりのレベルのものをきっちりと作り込める時代になってきたし、実産業への波及も期待できる。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/aug/15/tarzan-arab-gaza-artists
8月17日
英ガーディアン誌のHPで紹介されたTarzan and Arabの活動は、モダンアートの枠に囚われない可能性に満ちている。むしろ、映画産業や、ITを利用した投資家(キックスターター)の方々にこそ見て欲しい。これはこの前、佐藤信介監督と話した内容に大きく関わるんじゃないか?
8月17日
つまり、助成金のような形でアーティストを援助するのでなく、キックスタートをしやすいフォーマットを作ることのほうが急務なのではないか? 後は、この国でも、こういった活動への援助を、経費で落とせる法案が確立できれば、良いのだけれど。
8月17日
ジャック・アタリのマイクロファイナンス的な方法で、個々の活動をつなげてゆくことができれば、僕らの日々の仕事も無駄にはならない。僕はなんとか民間で、ベトナムでこういった方法をやりたいのだけれど、その時、試されるのはそれが失敗に終わった時の「覚悟」だけ。
8月17日
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午前中、複製工場にて、販売素体のボディカラーうちあわせ。ドールにしてはかなり濃い肌色を提案。ふつう、ドールの肌は人肌よりも白いのだけれど、どこまで人間に近く、濁った色が許されるのか、試してみたい。あまりリアルにしすぎると不気味になってしまうので、寸止めの美学だね。
8月17日
も一つ、金属素材の複製についても聞いてきた。基本、「銀」は無理だね。でもアンチモニー(スズ合金)なら、なんとプラスチックよりも単価は安くなるとのこと。ただ、4センチ四方が限界なので、僕のドールで言えば、手と足ぐらいにしか使えない。
8月17日
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「作家は自由でいいね」と他人は言うけれど、実際、誰よりも自由なんかじゃない。なぜなら、制作にとり憑かれているから。
8月17日
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本日、知人の原型師と打ち合わせ、というか世間話。なかなか状況は厳しいみたい。リーマンショックから1年後あたりから業界全体の仕事は減っている、とのこと。これはフィギュア関係のオークション相場を見ても明らかで、さらに震災以降はかなり深刻。造形家が今後、どのように生き残ってゆくのか、本気で考えないまずい。
8月18日
現場の造形師たちは皆、「安易なコンテンツ志向からの脱却」が急務だと実感しているはずなのだが、残念ながら、世間や経営者が求めているのは「知っている、わかりやすい、コンテンツ」のみ。この乖離は、おそらく他の業界でも長いこと、続いている。飽和状態、というよりも、実製作者とユーザーの乖離。
8月18日
この乖離は、あいだに入る「ブローカー」が障害となって、生み出されたものだろう。「ユーザーはこの程度のものを欲しがってんじゃないの?」程度のさほど説得力のないマーケティングが、ユーザーにとっても、開発者にとっても、好ましくないモノを生み出す結果に。
8月18日
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以前、某プロダクトデザイナーの方と話した際に、このドールについて「プロダクト」としては評価されたのだけれど、「ただこれ、一般に理解されるには10年かかるよね。キャズムをどう越えるのか、戦略はあるの?」と聞かれ、僕はこう答えた。(続)
8月18日
「キャズムの前提となっているのは、センスを前提にしたクラスタで、要は、わかる/わからない、知ってる/知らない、ってことでしょ。だとすれば、それを透明にしちゃえばいいんじゃないですかね。つまり、徹底的に、昔からあるような日用品、道具として振舞っちゃえばいい」。
8月18日
具体的には、「いったん、これがドールであることを捨て、パーツをバラバラに展開」、皆が知ってるカットマネキンや、展示マネキン、宝飾品の什器等、あるいはアクセサリーの一部、もしくは雛人形等、の「規格」として、風景に混ぜてしまう。これがドールとしての全体像を有することをオフにして。
8月18日
そして、これが共通規格であったことに、人が後から気づく、という方法。事実、先のプロダクトデザイナーや、原型師、服飾ブランドのデザイナー、要はそれぞれの現場の人間と話す際には、この話が一番盛り上がり、アイデアも多く出る。後は、これら実製作者と、ユーザー(受けて)をダイレクトに結ぶホビーを提案すれば、回る。
8月18日
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雑誌のインタヴュー記事(往復書簡)用に、質問を送ってもらったのだけれど、編集者からの質問がぶっ飛んでて面白い。浦沢なおきの「プルートー」との関連とか、人形と忍者の比較、とか(笑)、最高だよ。こういう、絶対、人形関連で上がらないワード満載なのは、僕のことよくわかってるなあ。。。
8月18日
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BOSSのおまけの航空機コレクションに、ベトナムエアラインがなくてがっかり。CAの衣装、最高なのにな。。。
8月19日
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17、18日は人と話してばかりで、実作業に時間をあまり避けなかったのだが、この2日間(19、20日)は制作に集中できた。昨日は、背中側を2ミリほど薄くし、脚の設置部を修正。今日は、少し削りすぎていた尻を3ミリほど厚くした。これで、背面の流れは自然になったと思う。
8月20日
8月上旬のつぶやき

作業のかたわら、ときおりメモがわりにTweetした中から、「造形」に関することを抜粋。
(互いにやりとりしたTweetは掲載に先方の許可がいるので、割愛します。
ご覧になりたい方はTweet上で見てね)。
以下、8月上旬のTweetより。
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「重力」の他に、「シワ」というのも、可動人形では表現できない。シワを彫りこんでしまうと、「ポーズ」ひいては「時間(瞬間)」が限定されてしまうからで、その意味で、可動人形における「リアリズム」というのは、けして「高解像度」のことを指すのではない。(続)
8月1日
すなわち、「シワや肌の質感」といったテクスチュアを使わずに、なんらかのリアリズムを盛り込むことが肝要となる。それを端的に「嘘」と言ってもよいのだけれど、その「嘘」が最もつかれる部位、が「手」だ。すなわち、(続)
8月1日
体の部位の中で最もシワが多く、にも関わらず「動き」を予兆させるために「シワ」を描くことが禁じられている箇所。この相矛盾するオーダーをどう解消するか、つまり、どれだけ上手な嘘をつけるか、「シワなんてないのに、なぜかリアルに見える」という状態を提示できるか、に、手の造形はかかってる。
8月1日
少なくとも、なんらかの明確な「意志/テーマ」がなければ、「手」は完成しない。面を、線を、選べないから。可動人形にとって参考になるのは、一本の線で描かれた日本画、例えば、優れた絵師の描いた「指」が参考になるだろう。「顔」は趣味判断に左右されやすいが、「指」は作家の思考が全面に出る。
8月1日
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目の痛みがややおさまったので、ただいま、仕事場へ。4時間くらいなら作業できるかな。
8月2日
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両手、いったん磨きあげ、その後、最後のサフ吹き完了。一晩乾燥させ、明日、再度磨き。夕方に工場へ納品予定。本日、新しい義眼パーツが旋盤工場から上がる予定だったが、連絡つかず。そちらは今週末になってしまうかな。
8月2日
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先に、<「指」は作家の思考が全面に出る>と書いたが、前回は「自分の指」になってしまっていた。「自分」が反映されているようじゃ、ドール作家としてはまだまだ。自分を消すことで、自分でない誰かが自身を反映できる。
8月2日
どうすれば女性の指が作れるのか。単に小さく、細くすればよいのではない(実は前回の指も大きさは小さかった)。むしろ、たとえ同じ体積であっても、小さく、細く「見える」ようにする必要がある。そこで、今回、造形的には二つのアプローチを導入した。(続)
8月2日
一つは、関節の縁を鋭角(菱形)に立てること。特に指の付け根上部を後方へ向かって立てる。これで指が長く見える。(ハイレグで足が長く見えるのと一緒だね)。長く見えれば、細くも見える。(物理的な長さが同じでも)。二つ目は、指の先(末端)を細く、薄くする。(続)
8月3日
(これも脚と同じだね。ヒールを履いたときの効果)。では、なぜ前回、これができなかったのか。鋭角に立てることについては、単純に、「横から観た時の手を薄くしようとしてソコを削ってしまった」から。指先を小さくできなかったのは、「細かな形状が実現できなかったから」。これにはやや説明が必要(続)
8月3日
で、より具体的には、「爪や周囲の肉の盛り上がりを形状で無理に再現しようとして、全体が膨らんでしまった」から。情報量が多く、細かな細工が必要な箇所にたいして、それを再現する道具がない場合、「フォルムそのものが大きくなってしまう」。(続)
8月3日
このクセを修正するため、今回は、0.1ミリの単位で加工できるツールを用意し、細かな部位でも膨らまずに、形状を十分に再現できた。「指の形状そのもの」については以上で、他に、二つの変更を加えた。一つは、付け根を盛り上げたことによって「厚くなってしまった手の平」を、薄くみせるため(続)
8月3日
親指の角度を大きく上方へ上げ、全体を平面上に配置した。そしてもう一つは、「爪を長くした」。前回、これができなかったのは、ウチの設備では、薄い爪部(0.3ミリ)を複製できなかったからで、今回は工場に依頼するので、可能。ともあれ、このようにして、女性らしい手になったというわけです。
8月3日
* * * *
僕も、芸大を2次の立体で落ちて、そこから「あー自分は立体造形じゃないんだ」って思い込んで、文章、映画の道を選んだけど、今はなぜか、造型を仕事にしてる。人生、わからんね(笑)。
8月3日
そういや、スラボイ・ジジェクって哲学者が『自らを語る』ってエッセイで「人は二番目に選んだ仕事でうまくゆく」って言ってたな。彼は映画の夢を諦めて、哲学に進んだ口だけど。。。
8月3日
* * * *
午前中に、両手納品。これから、胸の仕上げにかかります。肩幅を小さく修正。来週頭に納品できるといいな。
8月4日
胸部パーツ、背面の分割ラインを3ミリほど上へ。同時に、背中の厚みを薄くする。分割ラインをちょうどブラひもで隠したいんだが、これ以上ラインを上げると、造形がきれいにつながらない。現在でもスポーツブラなら隠せるんだが、、、どこまで薄く、ラインを上げられるか、明日もう少し粘ってみよう。
8月4日
* * * *
一日中ルーペを覗きこんでのしんどいディテイル作業(手の爪とか)が一通り済んで、胸パーツの修正にかかってるんだけど、この作業は楽しいね。もし「胸の形を削るだけの簡単なお仕事です」って求人があったら、倍率があがって、きっと給料安いと思うんだ。それでも男子が殺到すると思うんだ。
8月6日
きっと楽しいし、癒されるね、哲学的な意味で。スピノザがコ難しい哲学書を書くかたわら、レンズをひたすら磨く仕事をしてた、的な意味で。第一、形が素晴らしいよ。資料なんて見なくたって、手が勝手に覚えてるので、削ってて無心になれる。パトリシア・ハイスミスの「編みかご」的な意味で。
8月6日
でもそんなお楽しみの時間は、すぐに終わっちゃうんだな。胸ばかりをずっと削ってたいんだけど、結局は、何ヶ月にも及ぶ原型作業のうちのわずか数時間程度しか、時間をさけない。胸パーツというのは、頭部、両肩、腹部へとつながる、「可動」の要で、穴の開いた接合部の数が最も多く、複雑。
8月6日
分割ラインの形状を1ミリ変えただけで、可動域や、つらなるパーツの形状そのもの、が大きく変化してしまう。内部パーツも複雑に入り組んでいるので、実のところ、思うようには外観を調整できない。
8月6日
* * * *
衣装のスタイリングをお願いしたい方との、打ち合わせ、終了。人形の説明だけでも山ほどあって、こちらからも聞いてみたいことがいっぱいありすぎて、とても2時間じゃ足りない! こりゃ、スタートするまで、何度かスカイプでやりとりする必要があるね。
8月7日
* * * *
打ち合わせの最中にたまたま、新雑誌からの原稿依頼が。。。人形について書いてくれとのことで、喜んで引き受けたのだけれど、さて、何を書いたらいいんだろう??? 400字×30~50枚ってエッセイにしては長いし、論文にしては短い。ただ、インタビュー形式だと、ベストな量だよね。
8月7日
でも、自分の話するよりも、「ドール」の文化史、産業史的な「背景」について書いたほうが、読み物としては面白いんだろうな。ネタとしては、マイセンの複製技術から始まって、レスター・ギャバのシンシア、ジャック・ライアンのバービー、あたりのネタを散りばめて、ちらっとサイクロイドの紹介かな?
8月7日
あるいは、マイセン外して、代わりにデイック加えて、カウンターカルチュアとしての人形史というほうがキャッチーかな。人形といえば名前が上がりがちなシュルレアリストたちをすべて外して、もっと乾いたテイストに。悪女の歴史=リベラル運動としてのドール史。これは書いてる人いないよね。
8月7日
* * * *
昨日、スイスにいる山極さんと、「アレキさんのメトロポリタン、今日までだね」という話をして、その直後、スタイリストの方とも、また、アレキさんの話になって。結局、「みんな大好き、アレキさん」なんだなあって。いや、アレキさんって言いたいだけなんですけど。
8月8日
* * * *
先ほど、ドールの原稿、電話で打ち合わせ。インタビュー形式にしてとお願いし、快諾してくれました。「人形の歴史」についての本てあまりないし、書きたいネタもあるんだけど、きちんと書くには海外から取り寄せなきゃならない本もあって、11月締切りじゃ間に合わない! ので、今回は小ネタ満載で。
8月9日
「ブレランのレイチェルは、誰がモデルなのか?」とか、「バービーの開発に、軍人が起用されたのはなぜ?」とか、人形トリビア(古っ)ネタを散りばめながら、結果的に「なぜ僕がドールの世界にどっぷりはまっていったのか?」について語ることになると思う。「なぜ今、人形を?」と(続)
8月9日
聞かれることってホントーに多いのですが、これに答えるには、ソートーな文章量が必要で、逆に言えば、それぐらい書くネタがあるってことがすでにアンサーになってるんだよね。産業との関わりや文化史との関わりも含めて、キュリオシティ・ドリブンがハンパなく掻き立てられるメディアだってのが、答え。
8月9日
7月下旬のつぶやき

作業のかたわら、ときおりメモがわりにTweetした中から、「造形」に関することを抜粋。
(互いにやりとりしたTweetは掲載に先方の許可がいるので、割愛します。
ご覧になりたい方はTweet上で見てね)。
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15で美術予備校に通い始めた頃、デッサンの休憩時間にミュージックマガジンを読んでいたら、憧れてた女の先輩に「ずいぶんマせた本、読んでるわね」と言われ、照れくさかったのを覚えてる。世界の音楽を聴き始めたきっかけもあの雑誌で、と同時に「評論のあり方」について疑問を持ったのもあの雑誌だ
7月21日
「あらゆる表現がなんらかの政治性を帯びてしまう」というのは事実だし、けれども「表現者が(それを扱いつつも)そこから自由になりたいと願っている」のもまた事実で、僕は後者の力を信じたい。当時、中村氏がデヴィッド・バーンのレイモモを帝国主義的だと批判していたが、僕はレイモモで(続)
7月21日
むしろ踊れる人間になりたいと思った。9.11以降、i-TUNE radioでバーンが一時カントリーをかけるのをやめ、イスラムも含め、世界中の音楽を率先して流していた時、表現者は表現者の戦い方があると思った。いずれにせよ、中村とうようさんが放った「問いかけ」の外に僕らは出れない。合掌
7月21日
* * * *
ルシアン・フロイドも亡くなったのか。。。19の時、パリでの大規模な展覧会を見に行ったけれど、あまりのボリュームに圧倒され、3時間くらい会場を離れられなかった。しかも2周した。おかげで他の展示をまわれず、、見れたのはティツィアーノのこれまた大規模な展示くらいで、いずれも(続)
7月22日
「裸体」に対して「重力を感じさせるマッシブな表現」という点で通底していた。時代は違えど、ザ・ヨーロッパ、って感じ? これでも喰らえとばかりに、強い筆致で肌質を描くあの感じは、東洋の作家にはないものだね。重力、ないし、重力に抗う身体、というモティーフは西洋の伝統芸か。
7月22日
ただ単に「強い筆致」であれば、日本の洋画、ないし日本画(表現主義的な)にも見られるのだけれど、日本の場合それが、「かすれ」に向かってしまう。一方、西洋のは、「絵の具をそのまま置く感じ」、つまり「絵具を一つのメディウム=肉」とする感じ。(続)
7月22日
この点を感覚的に継承してるのは、意外にも(というのは、論理で作品を作っていると見られがちだけど、僕は違うと思ってる)岡崎乾二朗氏じゃないかなあ。絵画も彫刻もそう。今度、お会いする機会があれば、この疑問をぶつけてみよう!
7月22日
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昨晩、東京から戻り、本日、アトリエに行くと、さっそく打ち合わせが重なり、先ほど、帰宅。ふだん作業場にこもっているせいか、多くの人と一度に会うとものすごく疲れるね。でも、この2週間ほど、良い意味で、あらゆることが急速に動きはじめてる。なにもかも若返った気分。皆に感謝です。
7月26日
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昨日のパッケージ打ち合わせに続いて、先ほど、オリジナルツールの打ち合わせ終了。ドールだけじゃなくって、それにまつわる何もかも新しいってのは、すごく楽しい。雑談からアイデアへ、アイデアから雑談へ、再び、アイデアって流れで、毎回1件の打ち合わせ平均3、4時間。疲れるけど、楽しい。
7月27日
「閉じたホビー」から(現実に)「開かれたホビー」へ、「癒し」から「覚醒」へ。手にしてくれた人が「未来」を感じられるドールが出来るといいな。てなわけで、打ち合わせは一段落したので、久々に造形作業に戻ります。
7月27日
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おとといのワンフェスで実演させてもらった「オリジナルツール」ですが、今あらためて使ってみると、これ、悪魔の道具だね。(1)際限なく造形を詰めれるので、終わりがない。(2)この道具が出回ると、全造形師の技術が底上げされ、同ギャラで高レベルの造形が求められてしまう。(続)
7月27日
だから、世に出すべきじゃないかも。「封印して、お前だけが独占して使うべきだ」という悪魔の囁やきが聴こえる(笑)。
7月27日
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近所にそこそこ広い書店がオープン(なぜか31アイスが売り場に併設)してたので、映画秘宝とバンクシー特集のユリイカを買いに。ユリイカは扱ってなかったので、なわこうへい特集の美術手帖を購入(20年ぶりに買ったけど、今1500円もするんだね!)。
7月28日
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美術手帖の表誌には「新スター誕生の瞬間を目撃せよ!」とある。かたや写真でポーズをとり、かたや顔出しNGで活動を続けるバンクシー。アーティストという職業も、いろいろだね! 顔出しどころか局部丸出し、肛門から入れたミニカーのレントゲンを世界の劇場でさらしたライアン・ダン(ジャッカス)
7月28日
の冥福を心からお詫び申し上げます。残念!
7月28日
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シリアスだけど優しい、唯一無二で新しい、音楽。数年前、渋谷のHMVの試聴でぶっとび、すぐさま弟を呼び寄せてヘッドフォンをあてるよう促した。テクノの類はさんざん聞いたけど、まだ新しい音楽って作れるのだなあ、と驚き、それ以来のファンでした。http://natalie.mu/music/news/53876
7月28日
アレクサンダー・マックイーン、NUJABES、レイ・ハラカミ、ジャンルは違えど、同世代の、心の支柱にしてた表現者が亡くなるのは悲しい。この気分を表現する言葉がない。悲しい時も、嬉しい時も、人は花束を送る。(続)
7月28日
人の死に際して、花束を捧げるのは、有形であれ無形であれ、この世界に、素敵な表現を残してくれてありがとう、ということなんだね。
7月28日
あ、このジャケ見覚えあります。自分のツイートで、「ハラカミさんの曲を聞いたのが、数年前」と書いてしまいましたが、藤田新策さんちで、もう13年前に聴かせてもらっていたんですねえ(しみじみ)http://t.co/KgXNJpp
7月29日
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1週間程、出張、打ち合わせ、事務仕事等で、造形を休んでいたため、ずいぶん首、肩の調子は回復。2、3日前から手指の仕上げに入ってる。明日、明後日には両手が完成すると思う。新しい道具の導入で、前回の手パーツがまるでおもちゃのよう。
7月31日
前回のパーツは、締切を優先したため、十分な作り込みができなかったのだけれど、正直いって、実力も足りなかったと思う。1年間、発売を伸ばしたことで、多方面に迷惑をかけてしまったけれど、その間に、実際に腕を上げたのだと理解してほしい。
7月31日
7月中旬のつぶやき

ときおりメモがわりにTweetした中から、「造形」に関することを抜粋。
(互いにやりとりしたTweetは掲載に先方の許可がいるので、割愛します。
ご覧になりたい方はTweet上で見てね)。
以下、7月中旬のTweetより。
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手の指先のフォルム調整をなんども繰り返してます。薄すぎると不自然だし、厚いと野暮ったくなる。コンマ1、2ミリで表情が大きく変わるので、サフを吹いただけで違う指に。。。手の造形の、上手い下手はほとんど指先の厚みにかかってるな。
7月11日
前々回の日曜美術館、リアリズム画家の諏訪敦さんの巻。娘を亡くした夫婦からの肖像画の依頼。手の詳細な写真が残っていないので、義肢制作の佐藤技研さんに写真を見せると、「たぶん、こういう手をしてたんじゃないでしょうか」と膨大な手のストックの中から1本選んでくる。(続)
7月11日
それを諏訪さんがデッサンして、肖像画に生かすという話。「その人の顔やその他の部位、性格から、手の形がわかる」って、義肢の世界というのは凄いな、と感心すると同時に、忙しかったので実はその辺にあった手をテキトーに持ってきてただけだったら、凄い面白いんだけど、、なんて想像してしまった。
7月11日
ま、それは悪い冗談にしても、その義肢職人の方が、その手に対して、「たぶん彼女の指先は薄く、指先に向けてなめらかに細いカーブを描いてるはずだ」みたいなことを言っていて、それはすごく説得力があった。(続)
7月11日
たしかに、「指先の形状」で手の個性の三割程度は決定してしまうと思う。その辺りを見抜ける人もいるので、文字通り、手を抜けないんだよなあ、なんて思ったり。で、手の個性を産む、残りの要素は、「関節部の菱形形状の有無」、そして「親指のつきかた」。(続)
7月11日
一方、よく言われる「薬指と人差し指の長さの違い」なんてのは、指を少しでも曲げるとほとんど目立たなくなるので、あまり、個性やエモーションとは関係ないかな。
7月11日
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昨日の午前中に両手8割方完成。後は傷取りと磨きだけだけど、複製工場がワンフェスで多忙につき、納品できず。納品は今月末になってしまう。完成した手を見ると、また際限なく直してしまいそーなので、いったんケースに入れて封印(笑)。
7月13日
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で、午後から、大幅に改良しようとしてたヒザにとりかかったが、ある程度進めた段階で、それが不可能であることに気づき、昨晩から現在にかけて、元に戻す作業中。片側は手をつけずに残しておいてよかった。半年前にいったん仕上げたパーツだったのだけれど、その後、あることを思いついて、(続)
7月13日
試したみた、というわけなんだが、実はその同じ試みは半年前もトライしていて、それが不可能だと結論づけていたのだった。それをこの半年間ですっかり忘れてしまっていたのだった。制作が長丁場になると、こーいうことってタマにあるよね。
7月13日
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この人形が「やっぱりプロダクトなあ」って思うのは、一つのフォルムを導き出すのに、数個から十数個のオーダーが同時にあって、僕個人にどうにかできる自由がほとんどないという点。同じオーダーに従えば誰がやっても同じフォルムに行き着く。
7月13日
どれだけの複雑なオーダーに対して、一つのスマートな答えを、フォルムで出せるか、というのが制作の肝なんだけど、今のところ、そのノウハウが、自分の頭の中にしかないので、今後、これをどう残し、人に伝えられるか、というのは人生後半の大きな課題。
7月13日
僕自身、複数のオーダーのうち、一つでもうっかり忘れると、今回みたいな失敗につながるし。ともあれ誰か、本気で教わりたいって人、いないかなあ。好奇心と忍耐力、あと時間があればなんとかなるよ。彫刻とかやってる美大生とか、どーすかね? アカデミックな人体像、なんてもう流行らないのかな?
7月13日
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実はこの2週間程、車酔いに近い症状が続いていて、昨夜はかなりひどかったので、さすがに今日、病院いってきた。頚性めまいとのことなので、ひとまずミオナールで筋肉を弛緩させるしかない。とにかく首を動かさず、ひたすら寝てること、って言われたけどそーもいかないもんなー。
7月14日
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バービーのこの手の表現って、実はマテル社が率先して認知してるんだよね。そういうふところの深さが、あの会社のすごいところだよね。自称マテリアリズムの継承者としては、見習いたい!http://plginrt-project.com/adb/?p=1250
7月17日
昨年、バービーが50周年を迎えた際、日本では「50周年を記念して初の黒人タイプが発売!」なんて報道があったが、それは全くのデタラメ。バービーにはそもそも、発売当初よりあらゆるモデルに、黒人タイプが存在する。そればかりか、黒人解放運動の際、暴動によって焼き討ちにあった(続)
7月17日
アフリカ系資本のライバル人形メーカー(さっき黒人って書いちゃたけどアフリカ系、ね。)を、膨大な額を融資して立て直したのも、マテル社だ。さらにバービーは国別に様々な肌の色、髪の色が販売されており、ファーストバービーの生産地であった日本にいたっては、日本の文化に敬意を称して、(続)
7月17日
和服のモデルが当初から存在してさえいた。現代においては、マテル社が自ら、アーティストに依頼して、「残酷系バービー」や「セクシュアルマイノリティ系バービー」を扱った展覧会を主催。こういった社風から生まれたのが、アジア系ゲイのジェイソン・ウー率いるインテグレティトイズであり、(続)
7月17日
彼が後に、オバマ大統領就任式の際の、夫人ミシェルのドレスを作ることになったのは、偶然ではない。そもそもマテル社は、彫刻を日本で学んでいたまだ10代のウーの才能を見出し、バービーの主任デザイナーに抜擢した、という経緯がある。このようにマテル社の思想は、(続)
7月17日
一貫してリベラルな倫理観に基づいており、カウンターカルチュアを牽引していた、という事実を、僕ら日本人はあまりに知らない。そもそもバービーの工場が、技術が、今の国内ホビーメイカーの礎になってるってのに。だから実は、半世紀を経て、日本からのアンサーを出す、ってのが僕のやりたいこと。
7月17日
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日曜美術館の「ギリシャ彫刻」の巻。エジプト彫刻からギリシャ彫刻への変遷の第一歩が文字通り、「わずかに踏み出そうとする片足の傾き」から始まる、という話が示唆的でした。均整を崩すところから、筋肉表現のリアリズムが産まれ、次にそれを抽象的な衣服で多いつつもそれを感じさせる、という(続)
7月18日
レイヤー化された抽象表現となり、後に内側からロジック化された身体表現となり、最後に、エモーションをいかに取り込むかという命題が訪れて、最小限の「舞台装置、小道具」および「人物複数の絡み」という解答を出す。これが現在まで引き継がれているのだけれど(身体の抽象化、ないし (続)
7月18日
純粋な抽象性はすでにエジプト彫刻、あるいはそれ以前の表現に見られるとして)、ギリシャ彫刻における2つの解答は、本当に「解答」なのだろうか。「舞台装置や小道具」および「人物複数の絡み」なくしては、エモーションの表象は不可能なのだろうか。ここに至る飛躍の間に、まだ何か可能性があるかも。
7月18日
より具体的には、(あくまで現代から見た場合の)ニケとラオコーンの間には、エモーションにおける、なにか性質の違いがあって、おそらくはニケのほうに現代的なエモーションを感じやすい、この点は少し掘り下げて考えてみる価値はあるかも。
7月18日
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