この記事に出てくるリンク先のマンガを読んで、ちょっと書きたくなったので書いてみますウインク

 

 

小学校5年生から、高校1年生まで、私は拒食症でした。

 

 

きっかけは、小学校5年生頃の、ある日突然、「食べ物の飲み込みかたがわからない」って思って、

冷や汗が出て、その日からご飯が食べられなくなったのです。

 

 

ご飯はお箸一回分のみ、お肉・お魚はひとかけら、が、毎食精いっぱいでした。

フルーツと野菜は、お皿の半分は食べられました。

 

 

飲み物は人がいないところなら飲めました。人がいるところなら数口でした。

 

 

特に人がいる場所で食べることができなかったです。

だから、給食の時間はとても苦痛でした。

 

 

残して怒られるし、

中学校では母のお弁当でしたが、残すと「せっかく作ってくれたのに」「心配をかけてしまう」と思って

心が痛み、通学の途中でお弁当の中身を捨てていたこともありました。

 

 

そして、捨てるときも結局、心が痛みました。

 

 

母は、小さい頃に祖母が病死し、母親を知らずに育ちました。

田舎ならではの、兄弟の多さと近所の人たちに育てられたのです。

 

 

母親というのものがどういうことをするものなのか、わからない。

 

 

そんな育ちを経て、私と弟を育てようとしたときに、

「子どもはご飯をきちんと食べさせておけば、育つ」という考えを持つようになりました。

 

 

自分の母親から、あたたかいごはんを作ってもらった経験のない母は、

未経験ながら、それをやることが特別せいいっぱいの愛情でした。

 

 

いつも料理や家事をきちんとすることが愛情でした。

 

 

だけど、私が家のなかにいて、話しかけたりすると、その家事の邪魔になったのです。

だから、よく小さいころ、外に遊びにいっていました。

行きたくもないのに、自ら行っていた記憶があります。

 

 

また、母は人づきあいが苦手で、外食が苦手でした。

人がいっぱいいるところで、ご飯を食べると緊張していました。

 

 

そうです。私は全く同じになったんです。

 

 

母は、自分は母親が早くに死に、愛情を受けられなかったから、

子育てがよくわからないけど、

ご飯だけは作ろうと頑張っていた、その唯一の愛情を、

私が拒否しているような形になったのです。

 

 

きっと、イラっとしたと思います。

 

 

私は、どこかで、そんなに頑張らなくてもいいよということを、

伝えたかったような気がするんです。

 

 

自分がカラダをはって、拒食症になることで。

 

 

そして、私自身も、緊張のなかで育って、ため込んだ我慢のコップがいっぱいになり、

「母が作ってくれる愛情ご飯を食べない」という、反抗期をしたんだと思います。

 

 

体は自覚していないけど、いつも痩せていると言われていました。

よくあんな微量の栄養で、生きていたと、今でも思います。

 

 

そして、高校1年生の春。

 

 

母が胆石を取る手術をしました。

 

 

手術自体は難しいものでも、大変な病気でもありません(笑)

 

 

ただ、学校から帰宅し、術後の病室を親戚に連れられて訪れたとき。

 

 

母が、麻酔からちょうど目覚めたときで、

「はぁ~~~こわかった~~~(泣)」と、

ぼろぼろ泣きながら、私の手をぎゅーっと取ったのです。

 

 

また会えてよかった。と、母が思っているのではと感じたのです。

 

 

その数日後、私はふと

「拒食症になって4、5年だな。なんか・・・・ご飯ほとんど食べてないのに、ちゃんと生きてるやん・・・・すげ。。。なんだ。別に拒食症でも大丈夫やん。このまま拒食症でいーーようっと。」

ってめっちゃ思ったんです爆  笑

 

そしたら、その日から、ご飯が食べられるようになりましたチュー

 

 

外食も大丈夫になりました。

高校では、友達と、流行っているお好み焼き屋さんやラーメン屋さん、パフェ屋さんにに行きました星

やったー!ってわけでもなく、フツーに楽しみました。

 

でも、他人と一緒に食べることだけは、このときも、今も、やっぱり苦手です。

一応食べれるけど、あんまり喉を通らないことが、時々あります。

 

だから、今は、

「おいしい店、行きたいお店には一人もしくは家族とのみ行く!

だって、せっかくのおいしいご飯だもん、めっちゃ味わいたいやん!!爆  笑

そうしてます。

気が進まない会食もさっさと断ります。

なんなら、「私、人とご飯食べるのが苦手でできなくって、だから欠席するね。ごめんね。」って言います。

自分に合わせてそうしてます。

 

 

後日談ですが、母は私が拒食症だったという認識は当時なかったようです。

「ごはんをあんまり食べない子」だと思ってたよう。

 

 

そして、私もいま、子ども二人を、ひとり親で育てていますが、

長男の部活のお弁当が続いて、朝早起きするとき、

 

 

母はこんな家事を毎日してたんだなと思って、

母に「学生のころ、お弁当毎日作ってくれて大変だったよね。ありがとう」って、LINEしたら。

 

 

そうね。大変だったかもしれないけど、お弁当作り好きだったかもしれない」

 

 

なんだ・・・朝起き大変だけど、お弁当作りが好きな母。ただそれだけでした。

 

 

そして、今ときどき、帰省するとき、

カラダがまだちょっと反抗期を思い出して、「一口だけ残す」という行動が時々でてきますチュー

 

 

体はもうお腹いっぱい。最後の一口が食べられないっていうときがたまにあります。

 

そんなとき、母が「あんたはまた一口だけ残して!」と言います。

 

私は「だって、もうお腹いっぱい、これでもうお腹いっぱい。食べない!(と、ちゃんと言える)」

 

そういって、食べません。(反抗期とおんなじチュー

 

母が、その残りの一口をぽいっと母自身の自分の口に入れます。「ほら、またこうやって太る。。」

 

私「ダイエットしないとねwww おなかが出すぎだからwww」

 

そんな、会話してますチューチューチュー