阪神淡路大震災から今日で20年。
毎年この日が来ると思い出すことがある。
震災の前の日、私は親友の和ちゃんとドライブがてら北山のカフェに行ってた。
次の日、二人とも仕事が休みで神戸に行く計画を立てて、どうせなら結婚して神戸の東灘区に嫁いで行った友達のさっちゃんのところに行こうよ、って話しになった。
それが夜の10時くらい。
それで和ちゃんが、北山のカフェからさっちゃんに明日2人で遊びに行くから~
って電話したらさっちゃんが、今から泊まりにおいでよって言ってくれた。
どうする?ってなったんだけど、でも今から家に帰って泊まりの準備して神戸に行ったら夜中になるなあ、ってことで、明日の朝早くに行くからって電話を切って家に帰った。
そして翌朝。
地震発生時、何が起こったかわからずにただ叫んでいた。それほど凄まじい揺れだった。揺れがおさまってようやく地震だったんだって理解した。
すぐにテレビをつけたら「近畿地方で大きな地震がありました」って言ってて詳しいことがわからない。
しばらく経つと神戸で震度6と報道があった。
もっと時間が経つと悲惨な状況が次々と伝えられた。
和ちゃんがさっちゃんに電話してみても連絡が取れず、無事を祈るしかなかった。
幸いにもさっちゃん家族は無事で数日後、京都の実家に帰って来た。
和ちゃんと会いに行ったら、「泊まりにおいでって誘った時、断ってくれて本当によかった。2人に寝てもらおうと思ってた部屋のタンスは全部倒れてぐちゃぐちゃやった。
泊まりに来てたら2人とも絶対死んでた。」
って泣いていた。
あの北山のカフェで、さっちゃんが泊まりにおいでって誘ってくれて、じゃあ今から行くわって泊まりに行ってたら、私も和ちゃんも死んでたんや。
もし、1時間早くさっちゃんに電話してたら泊まりに行ってたな。
北山じゃなく家の近くで遊んでたら泊まりに行ってたな。
人の生死の分かれ目ってこんなもんなんや。
私はあの日、生かされたんや。
そんなことをなんだかぼーっとしながら考えてた。
震災でたくさんの人が亡くなられた。
あの時のまま時間が止まっている、とおっしゃる御遺族も少なくない。
御遺族の方々のこの20年の心中は計り知れない。
あの震災で死ななかった私はこの20年でいろいろな経験をさせてもらった。
辛いことや悲しいこと、死んでしまいたいこともたくさんあったけれど。。。
でも生きなきゃ、って思う心がどこかにあったから、いろいろもがいてきた。
これからもきっといろんなことがあるだろうけど、それでもがんばって生きなきゃね。
最後に。。。
阪神淡路大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。