otyaduke-eastのブログ

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誕生日も過ぎて、私は21歳になりました。

いや、21歳にさせてもらったと言うべきなのかな。


自分の事は自分でやれ。


これは親父が常々、どうでも良いと思うことで怒る時に口にしてきた言葉でした。

その時、自分の事を自分でする。 とは、どういった事なのか、全くわかりませんでした。理解しようとも、していなかったように思います。


自分の事を自分でする。


それは例えば家事。

掃除、洗濯、炊事。

自分の部屋は自分で掃除すること。

当たり前ですよね。

そして、トイレが汚れていれば掃除すること。

自分の使う衣服は自分で洗うこと。

自分の食べるものは、自分で買って自分で作ること。


一人暮らしをしている方なら、普通にこなしていることです。


しかし、私は、食べるものがなければ、自分で買いに行こうとはせず、飯がなくても自分で作ろうとせず、母親になぜないのかを訪ねるばかりでした。

母親がついでに私の分もやってくれれば良いのに、、、

くらいに考えていたのです。


自分の事を自分でする。

それは、自分の使うお金は自分で稼ぐこと。


早い人は高校生からアルバイトをし、自分の遊びに使うお金は自分で稼いでいると思います。

遊びだけでなく、家にお金を入れている人もいるでしょう。


私がアルバイトを始めたのは大学に入ってからですが、自分の遊びのみに使っていました。

家にお金を入れていたわけではないのです。


大学の学費は奨学金をもらっていたので、私の稼いだお金は私の娯楽のみに消費されていったのです。


そんな緩い大学生活を送っている中、諸事情により、奨学金がとまった。

自分では学費を納めることが難しいので、親父に学費をだしてほしいとお願いしたものの、

何をぬるいことを言っているのだと一刀両断された。


それもそのはずで、自分が父親に養ってもらっていることを、どこか当たり前のように考えているのだから。

そのうえ、自分のだらしなさによって奨学金が停止となったのに、父親が学費を出してくれるだろうと、あてにしていた。


なんて、どこまでも情けないのだろう。。。


仮に学費が年100万円だったとして、自分でそれを稼ぐことは、アルバイトで稼いだお金をほとんど使わずに、大学に通うこととなる。

今まで奨学金をもらい大学に通って、借金が増えていくことの実感もなく、先のことも考えず、のうのうと、ぬるま湯の大学生活を送っていた。


さらに、何とかなるだろう、何とかしてくれるだろうと、

自分のことを自分で何とかしようとも考えていなかった。


何たる甘さだ。


大学に通うことの大変さを、いま、実感した。


父親の言ってきた、自分の事は自分でやれ、

という言葉の意味がやっとわかったのだ。


過去を振り返ってみれば、自分の通う高校、大学は実際の所自分では決めていないのだ。

そんな人間が、自分のこれからをどうして決めることができる?


自分の事は自分でする。

それは、自分で生きるとうこと。


自分で生きろと、父親は言い続けてきたんだ。


自分の進む先は自分で決めること。

自分の使うお金は自分で稼ぐこと。

自分の家事は自分ですること。


まず第一歩が自分の家事をすることだった。


今まで気づかずに生きてきた。


20歳も過ぎて1年が経ち、21歳になってようやく、気づいた。

遅すぎるけれど、そのことに気づいたということが大切で、

まだ何とか手遅れにならずにすむかもしれない。

それは今後の自分次第だ。


私はただ何となく大学に進学した。

本当に何となくだ、大学に通わせてもらうことの、大変さ、ありがたさも知らず、知ろうともせず。


そして、いま、大学を卒業できるか危うくなって、そうして初めてそのことにきづいて、大学を卒業したいと心から思うのです。


初めて自分の進む先を自分で考えることができた。

あまりにも高い勉強代だ。


学費は自分で捻出するしかない。

尽くせる手をすべて尽くそう、それで納められなければ、

私は、その現実を受け入れよう。

自分で生きよう。


こんなにダメに育ってしまったけれど、父親と母親には感謝してもしつくせない。ありがとう。

そして信じてほしい。私が自分で生きていけると。