私は

先天性心室中隔欠損症と言う

生まれつき心臓の壁に穴が開いている病気でした。


心臓が悪いと言う事で

激しい運動は全て禁止で。

中学2年生まで

部活も運動部はダメ

水泳やマラソンもダメでした。


1つ年下の弟より元気なくらいで

誰の目にも

心臓の壁に穴が開いている子だなんて

信じられない元気さでした。


それでも

18才か19才で治るまで

物心ついた時から毎年

大きな病院へ経過観察に行っていました。


私はレアケースで手術も何もせずに自然に完治しましたが

子供の頃は

直ぐに手術しないと二十歳まで生きられないと

言われていたらしいです。


母は直ぐに手術を受けさせたいと思ったそうですが

大きな傷が残る事を嫌った父の反対で

結局は手術せずに済みました。


結果オーライでしたが

早々に死んでいたら?

父は母に対して、どう責任を取るつもりだったのでしょう?



そんな毎年の検査の

待ち合いの椅子で退屈していた時に


(総合病院だから色んな病気の人が近くに居て)

確か車イスに座っている人と付き添いの人が居て

その、どちらかの人が

突然大きな声で誰かに

「病気で弱っている人に、親切ごかしにろくでもない事を言って

近寄って来るな!

お前らのキタナイ手口は分かっている。

向こうへ行け!!」

と怒鳴りつけ始めて。


私の感覚では、キリスト教関係の人が布教していた様でした。


知らない人同士が騒いでいる事だし

私と母は知らん顔していましたが、、、


子供心に

『病気や何かで心が弱っている時には、相当に気を付けていないと

(弱みにつけ込んで)あんな風に宗教が入って来るんだな。

それは、怒鳴られる程に良くない事なんだな。』と思い

だから私は

『心が弱っている時には

絶対に宗教には近付かない様にしよう。』

と、決めました。


人の弱みにつけ込んで布教するなんて最低だと思いましたが

新興宗教って、実はそうやって広がって来ているんだろう


ヨスガが欲しい人にとっては救いの神なのかも知れないけど

下手をすると身を滅ぼす事にもなりかねない訳で。


しかし、

病気の身で総合病院に掛かっている小学生だった私が

自分は絶対にあんな風にはなりたくない!と

何故思ったのか?不思議です。


我が子が大病をして入退院を繰り返していた私の親友は

付添で泊まっていた病院で知り合った人の紹介で

きっちり新興宗教にハマってしまいました。


純粋な気持ちで私にも勧めて来ましたが

私はキッパリ断りました。

「そう言うとは思ったけど、本当に気持ちが楽になるから

気が向いたらいつでも言うてよ」と念を押して来られて。


私としては

少し悔しい気持ちも有りますが

可愛い我が子が生死を彷徨う事になったら?

彼女を責められないとも思います。


彼女も、今は何の心配も無く暮らしているけど

その宗教からは離れられないみたいです。


彼女がパートを頑張らないと息子を大学に通わせられない暮らし向きなのに

宗教からは抜ける気はなさそうで。

大金じゃなくても、絶対に余分な支出は有るのだろうと思うけど

それとこれとは別なのかな?


そんな宗教に頼るんじゃなくて

自分の思考を変えて幸せを見出す方向に

彼女が行ってくれたら嬉しいと思いますが


そうはならない所が

宗教の厄介な所だと

彼女を見ていて、つくづく思います。


信じる者は救われる

それで救われているんなら

外野がとやかく言うべきでもありませんが。