8月26日・ハラヴェン治療開始
30日・義足の型取り、
シリコンライナー装着
手術後からオキシコンチン、
オキノームの強オピオイド鎮痛薬
(麻薬)を飲み続けるも
あまり痛みに効果なかったので
この日の夜から
オピオイド鎮痛薬(非麻薬)
トラマームODに変えると
痛みが軽減し久し振りに熟睡
(リリカ、サインバルタも服用中)
9月2日・
ハラヴェン1クール2回目
6日・仮義足
チェックソケット?完成
14日・歩幅は狭いが
松葉杖なしで歩けた
1クール後半から脱毛増える
19日・
ハラヴェン2クール1回目
21日・
25日抜糸済み
本日28日退院
幻肢痛、断端痛が一日中
そこに弾性包帯での圧迫処置
痛み止めの薬を減らしてからは
激しい痛みに耐える日々
眠れぬ夜を過ごす(今も)
毎日のリハビリで
松葉杖なども練習
そして
いよいよ
外の世界
手術翌日からリハビリ、
車椅子も乗り始めた
膝関節の拘縮を予防
膝が少し曲がったままで
真っ直ぐに伸ばすのが
キツイ状態だったが
リハビリ3日目くらいから
ある程度伸びるようになった
断端を整えるため
リハビリ時に
毎回包帯を圧迫処置
(たけのこ型、先細が理想で
今は先広がり)
術後4日目の夕方に
主治医が来たので
最後の点滴抜いて欲しいと
お願いして
自由の身になる
7月9日左下腿切断
8時〜
手術着(パンツ一枚の上)に着替えて
点滴
10時〜
麻酔の効きを良くするため
肩に筋肉注射(痛い)
11時〜
手術室。
病室のベッドのまま手術室へ運ばれ
手術台へ移動し酸素マスクをつけられて‥
(このあたりから全身麻酔により記憶なし)
15時〜
病室。
意識がもうろうとする中
膀胱に違和感を感じ
第一声が「おしっこしたい」、
お腹が痛いと酸素マスクをはぎとり
トイレに起きようともがいた。
「管で繋がっているから
そのまましても大丈夫、
まだ起きてはだめ」と
両親に静止されたのを微かに覚えている。
地元での火葬をお願いしていたことを
無意識にも憶えていたのか
もう大丈夫だから
早く帰ったほうがいいと伝え
(地元まで車で2時間少し、
この時たぶん15時過ぎていて
結局当日の役所手続きは間に合わなかった)
そしてまた眠りについた。
18時〜
目覚め。
頭痛がして気分は最悪だが
ほぼ完全に目覚めた
術着の下は紙おむつになっている
まだ膀胱の違和感は残っていて
(限界まで尿を我慢している時の辛さ)
夕飯は常食で済ますほど回復していたが
膀胱の違和感だけは
どうしても耐えられなくなり
尿の管を外してもらう
溜まっていた尿を
尿瓶に出し切ったときは
痛みこそあったが爽快だった
今回の手術で一番の苦痛は
尿に管の入っている状態と抜く時だろう
抜く時の痛みも相当きつかった
これはもう二度とやりたくない
20時〜
管が外れて膀胱の違和感もなくなると
退屈になり
前回の記事を書いたり過ごす‥
この時点ではまだ失った足の
感覚が残っているため
切断手術した実感は薄い
ちなみに持ち帰った足の
火葬収骨は翌日に無事済ませてくれた
昨年12月に
抗がん剤治療と陽子線治療により
縮小、水化傾向にあった腫瘍が
今年3月と6月の検査では
続けて軽度増大の診断となる
そして
今日7月8日に入院
明日9日に下腿切断手術を受けることになった
切断した部位については
腫瘍のある脛付近は病理検査のために
返却できないということなので
足首から下だけを引き取ることにして
分骨などに使用する小さな骨壷を予め購入し
地元へ持ち帰っての火葬、
収骨は両親にお願いした
これまでの人生を支えてくれた
唯一無二の存在
我が左足
もうすぐ見納め
感謝しきれない
陽子線施設での一ヶ月半ぶりの診療日、
造影MRI、レントゲン、先生診察。
治療前の造影画像との比較で
腫瘍に造影剤による染まりがなかったり
(血流がない=先生は水化?とかなんとか言う)
薄い部分が増えてきた。
これが完全になくなるまでは
まだまだ時間がかかるらしいのだが
いまのところある程度の効果は見えると。
骨は異常なし。
皮膚炎と浮腫みはまだ治まらない。
次回の検査は4月。
それよりも
2週間ほど前から
帯状疱疹にかかってしまい
耳から頬、口の中まで疱疹ができて
耳の奥痛、頭痛、
とくに歯痛が半端なく、
いまだに痛い
想像を超えた痛さ笑