マルケヴィッチのプロコフィエフ《三つのオレンジへの戀》
Sergei Sergejewitsch Prokofjew
Сергей Сергеевич Прокофьев
«Любовь к трём апельсинам»
L'Amour des trois oranges
L'amore delle tre melarance
"Die Liebe zu den drei Orangen” Suite Op.33bis
今日採り上げるのは、プロコフィエフの《三つのオレンジへの戀》組曲 作品33bisです。
《三つのオレンジへの戀》は、イタリアの作家カルロ・ゴッツィに由って書かれた寓話劇をロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフが1921年にオペラ化した作品です。
1918年にソヴィエト政權が樹立したロシアから逃れ、アメリカへ亡命したプロコフィエフは、其の途上で、イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィの同名の童話によるオペラを構想します。ニューヨークに到着した後、臺本の草稿を仕上げたプロコフィエフは、當時シカゴ歌劇場(シカゴ・オペラ協會)の指揮者を務めていたクレオフォンテ・カンパニーニ(1860年 - 1919年)と出會い、新作オペラを委囑されたが為に、1919年1月から作曲を開始し、半年を經た10月1日に總譜を完成させます。尚、本來は前作《賭博師》を上演する事をカンパニーニは希望していたものの、《賭博師》の總譜が革命下のロシアに在り、必要な資料を得る事が叶わなかったが為に、急遽新作をプロコフィエフに委囑したのでした。
併し、完成に差しかかった直前にカンパニーニが急死し、プロコフィエフは契約を巡って劇場側と對立し、擧句の果てに表面化してしまったが故に、初演は延期という事態になってしまいます。そして、2年後の1921年12月30日にシカゴ歌劇場(オーディトリアム)で、プロコフィエフ自らの指揮に由って初演が行われ、大成功を收めます。此れに續いて1925年3月14日にドイツのケルンに於けるヨーロッパ初演、1926年2月18日のレーニングラード(現サンクトペテルブルク)に於ける蘇聯初演が夫々行われています。
尚、プロコフィエフは、レーニングラードでの初演の舞臺を絶贊し、「私の故国で、此の作品が最も素晴らしく上演された事はとても幸せです」と語ったと云います。
プロコフィエフは此のオペラから6曲を拔粹する形で、組曲として1919年に編曲を行っています。此の組曲版は今日演奏会で採り上げられる事が多く、又其の中の行進曲とスケルッツォ(第3曲と第4曲)は單獨で演奏される事も有り、後にプロコフィエフ自身に由ってピアノ用に編曲されてもいます(作品33ter)。
組曲の構成は以下の通りです:
- 第1曲 變わり者たち
- 第2曲 カルタ遊びをする魔法使いチェリオとファタ・モルガーナ(地獄の場面)
- 第3曲 行進曲
- 第4曲 スケルッツォ
- 第5曲 王子と王女
- 第6曲 逃亡
今日紹介させて頂くのは、イーゴリ・マルケヴィッチの指揮するフランス國立放送管弦樂團に由り1955年に行われたセッション録音です。
新進氣鋭の天才作曲家として大活躍した若き日のマルケヴィッチが、鮮明な色彩と鋭いリズムで曲想を抉った名演で、フランス國立放送交響樂團が見事に指揮者の要求に應えているのが聽き物です。
演奏メンバーは以下の通りです:
Igor Markewitsch (Dirigent)
Orchestre national de la radiodiffusion Française
(1955.01.07&05.23-25)
(1955.01.07&05.23-25)