尚子の旅

尚子の旅

若かりし頃、我が人生に深く絡んでくれた一人の女性との、実話と創話の物語である。
他人は、それを
『小説・・・』
とでも呼ぶのだろうが、元より、自分にそんな力量の無いことは、自分が一番弁えている訳で・・・(汗)

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 夫の自慢気な説明に依ると、吉永小百合さんのファンのことを、

「サユリスト・・・」

と云うのだそうで、初めて聴いた気がした尚子が、笑いながら、

「吉永小百合さんって、わたしたちから視ると・・・、チョッとお姉さんのような気がするけど・・・?!」

と云うと、夫は、然も得意気な口調で、

「そうですよ・・・、僕らの世代だと・・・、もう山口百恵の世代でしょう・・・!」

と云い、

「僕らは・・・、多分、サユリスト世代の・・・、一番後輩の世代でしょうね・・・?!」

と笑った後、尚子の顔を、悪戯っぽく視詰めるような眼で笑いながら、

「尚子さんは・・・、郷ひろみ派ですか・・・?!」

と訊いて来た。

 不意を突かれた形になった尚子だったが、自分では、そう云う芸能人や歌手に、然程熱狂的な偏りを持って居るとは想って居なかったので、

「わたしは・・・、そんな特別好きな人は・・・」

と口を濁すと、夫は、更に悪戯っぽい口調で、

「その内・・・、ノン子さんの影響で・・・、さだまさし教に入信させられますから・・・!」

と云って、然もおかしそうに笑った。

 

「確かに・・・、最近は、紀子さんの影響を、多分に受けて居るな・・・!」

とは想ったが、夫の

「さだまさし教・・・!」

と云う表現がおかしくて、

「さだまさしって・・・、宗教ですか・・・?」

と問うと、夫は、然も当然なような顔をして、

「あれは・・・、もう、宗教でしょう・・・!」

と笑い、

「一部の人からは、熱狂的に支持されるけど・・・、嫌いな人もたくさん居るってことは・・・、宗教と一緒ですよ・・・!」

と云った後、得意そうな顔で、

「僕は・・・、さだまさしは・・・、上品な文学だと想ってますけどね・・・!」

と云った。

「上品な文学・・・」

と云う云い方が面白く感じた尚子が、もう一度、

「上品な文学・・・、ですか・・・?」

と尋ね返すと、夫は、自信有り気な顔と口調で、

「あの人の歌は・・・、曲で誘って・・・、歌詞を味わわせる歌でしょう・・・?!」

と解説するように云い、

「あれって・・・、女性の心に・・・、心地快く『わたしも、そう想うわ・・・!』って想わせる文学ですよ・・・!」

と云って、幾分照れ臭そうな顔で、

「世の男どもは・・・、あの歌詞を文学として味わえば・・・、女ごころが判るようになると想いますけどね・・・!」

と笑って云ったが、尚子は、この男(ひと)の口から、「女ごころ・・・」と云う言葉が出たことが、何と無く新鮮な気がして、おかしく感じた。

 

 云われて居る意味は、何と無く判ったような気がした。

 紀子さんの言葉を借りれば、この男(ひと)は、

「女ごころのまったく判らない、唐変木野郎だから・・・!」

と想われて居たし、尚子も、そう想い込んで来たので、

「この男(ひと)なりには・・・、女性の気持ちを理解しようと、考えては来たんだ・・・!」

と想うと、心が和やかになるような穏やかさを覚えて居た。

 

 ラムネを飲み干し、さだまさしへの自分なりの勝手な講釈を、自信を宿した顔で一通り終えた夫は、尚子に向かって、

「お代わりは・・・、善いですか・・・?」

と訊いて来た。

「要らない・・・!」

と云う意味で、黙って首を振った尚子の仕種を確かめると、その眼を、腕に嵌めた時計に移し、

「どうします・・・、もう一軒、入ってから帰りますか・・・?」

と訊いて来た。

 それに連られて、自分の腕時計を視たら、針は、もう9時半近くになって居たし、折角、レモンスカッシュで気持ち快く冷えて居る身体を、また温泉に浸かって熱らせたく無かった尚子が、

「もう・・・、今夜は・・・」

と応えると、夫は、納得した顔で、

「じゃあ・・・、あと二軒は、明日の朝風呂にしますか・・・!」

と笑って、テーブルの端に裏返しに置かれて居た伝票を掴みながら、立ち上がった。

 

 通路の奥のカウンターの方へ向かい、待ち構えるように立って居た店員の女性に、小銭入れを覗き視て、幾許かのお金を払い、連られて腰を上げた尚子の処へ戻って来て、微笑み顔で、

「じゃあ・・・、帰りましょうか・・・?!」

と云いながら出入り口のドアを押し開け、

「もう・・・、宿までは、直ぐそこですから・・・!」

と云った。

 そう云われた瞬間、尚子の気持ちの中で、

「さあ・・・、いよいよだな・・・!」

と云うスイッチが、入ったような気がし、身体にも、そのスイッチが入ったのを感じた。

「わたしは・・・、これから・・・、いよいよ本当の女になるのだ・・・!」

と云う想いが、身体の芯を走ったのを感じたのだ。

 

 夫の腕に自分の左腕を絡ませて歩きながら、尚子は、この先の流れを、あれこれ妄想して居た。

「この男(ひと)は・・・、どう云うつもりで居るのだろう・・・?」

と想うのだが、それを、ストレートに訊く訳にも行かないし、況してや、女の自分から口にすることでも無いと想うのだが、肝心の夫は、まったく何も考えない風で、旅館への温泉街を歩いて行く。

「やっぱり・・・、わたしが、リードしなきゃいけないのかなあ・・・?!」

と云う気持ちも過ぎるのだが、肝心の自分に、そんな経験がまったく無いのだから、何をどうリードして善いのかも想い浮かばない。

 

 尚子は、そんな焦燥感を感じながら、その意思を伝えようと想い、絡めて居る左腕に少し力を込めて、夫の身体に、敢えてピタッと引っ着くようにしてみたのだが、夫の方からの反応が有ったようには、感じられ無かった。

 その鈍感さに、心の中で、

「まったく・・・、もう・・・、この唐変木・・・!」

と毒吐きながら歩く内に、旅館の冠木門を眼の前にした橋の中央まで来た時、夫は、徐(おもむろ)に脚を止めて、欄干から、下を流れる大谿川を眺めるように視ながら、連られて同じように横に並んだ尚子に、何かを白状するような口調で、

「やっぱり・・・、緊張しますね・・・!」

と云い、バツの悪そうな云い方で、

「正直・・・、初めて・・・、なんですよ・・・!」

と呟くように云った。

 

 一瞬、何を云われたのか判らなかった尚子が、怪訝な表情で、

「何が・・・、ですか・・・?」

と問うように云うと、夫は、川面に眼を向けたままの姿勢で、

「女性と・・・、こう云う関係になるのが・・・、初めてなんですよ・・・!」

と告白するように云い、

「だから・・・、今・・・、ものすごく緊張して居るんです・・・!」

と、何だか申し訳無さそうな云い方で云った。

 

(『Ⅱ・外湯巡り・・・了』)

(『Ⅲ・初めての夜・・・(1)』につづく)