私たちは常に、
二者択一、
もしくは、
数ある選択肢の中から何かを選ぶことで、
日々生活しています。
こんにちは。
株式会社オンザプラネット2013年度入社の中島翔平です。
さて、
冒頭でも述べた通り、
私たちの生活は常に、
あらゆるものの中から何かを選ぶこと、
つまり、
「選択」をすることで、
成り立っています。
例えば、
ラーメンとカレーのどっちを食べようか
とか、
遊びにいこうか勉強しようか
とか、
どんなバイトをしようか
とか、
自分の進路はこれとそれとあれのどれが良いか
など、
挙げればキリがないほど、
小さなものから大きなものまで、
色々な選択に溢れています。
この「選択」に、
日々悩んでいる人は、
きっと少なくないでしょう。
シチュエーションの違いはあれど、
人は誰しもが、
この「選択」をしながら生きています。
そんな中、
まだ23年しか人生経験のない自分でも、
この「選択」に関して、
一つ感じていることがあります。
それは、
「どちらを(何を)選択しても、必ず正解である」
ということ。
もっと言えば、
「選択をすることに、正解・不正解はない」
ということです。
仮に、
ラーメンとカレー、
どちらを食べようか、
悩んでいたとします。
そして、
真剣に悩んだ末に、ラーメンを食べようと決断したとします。
もちろん、
ラーメンもカレーもどちらも食べたかったわけですから、
悩んだ末にラーメンを食べても、
嫌な気分になることはないでしょう。
美味しく食べられるはずです。
つまり、
ラーメンを選んだことは、
一つの正解なわけです。
でも、
一緒に行った友達が、
もしくは隣の席の人が、
もし美味しそうにカレーを食べていたら、
きっとこう思うはずです。
カレーも美味しそうだな。
と。
そりゃあもちろんそうです。
先ほども述べた通り、
ラーメンもカレーもどっちも食べたかったわけですから、
もし自分がカレーを選んで食べたとしても、
きっと美味しかったに違いありません。
だから、
カレーを選ぶことだって、
それまた一つの正解であるわけです。
つまるところ、
選択肢というのは、
その候補一つ一つに一長一短があり、
どちらにもプラス点とマイナス点があることを、
頭で理解しているから、
私たちは悩むわけであり、
どんなに熟考して、
一つに絞って選んだとしても、
それが正解か不正解かなど、
判断のしようもないわけです。
どちらを選んでも、
何を選んでも、
幸せだったり嬉しかったり満足したりする反面、
後悔したり羨ましがったり落胆したり、
そういう二面性が生じることは、
間違いないことなのではないでしょうか。
では、
正解・不正解のない「選択」は、
意味のない不幸なものか
いえ、
そんなことはありません。
「選択」した段階で確固たる正解・不正解がないのであれば、
自分で「正解」にしてしまえば良いのです。
選択しなかった別のものに対して、
羨ましく思ったり、後悔したりするくらいなら、
選択したものを、
より「正解」にできるよう、
磨きをかければ良いのです。
これは、
就職に関しても、
そのまま言えることです。
自分の進路について真剣に悩み、
苦悩した上に決断し、
大いなる希望を持って、
歩みを進める。
その先には、
今まで感じたことのないような、
充実感や達成感や成長感を得られる一方で、
少なからず、
挫折をしかけたり、
壁に直面したりする場面というものがあるはずです。
そういった時に、
自分の「選択」が、
不正解だったと後悔して、
羨望のまなざしで選ばなかった一方を見てしまっては、
元も子もありません。
中途半端になって、
どちらも得られなくなってしまうだけです。
まさに、
二兎追う者は一兎も得ず
です。
ならば、
自分が選んだ先で、
多少の苦労はあったとしても、
その裏に間違いなく存在している、
充実感や達成感や成長感を信じ、
それを拡げていくことに意識を向けて、
苦労や苦難をぶっ飛ばし、
自分の「選択」を、
「正解」にしてやれば良いのです。
つまり、
最も重要なのは、
あぁだこうだと選んでいる時ではなく、
選んだ先での心構えである、
と思うわけです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は、8月20日です。
お楽しみに。