なんどもこのテーマは書いている。

知り合いのアパートの隣室に住んでいた、一人住まいのおばあさんが部屋で一人で亡くなったそうだ。

ただ孤独死といっても、ずっと孤独に暮らしていたわけではなく、週4,5日は介護施設から迎えが来て一日過ごし、他の日は息子さんがやってきて、一日一緒に過ごしていたので、孤独という事でもない。


夜だけ一人で過ごし、その一人になる夜に亡くなったという事だけである。
素晴らしい人生の閉じ方だと私はその話を聞いて思った。
人に迷惑をかけず死んでいく。
なんて精神が成熟している方なんだろうと。

しかし、その話をする人は「可愛そうな人」の話として言っている。

思わず言ってしまった。
夜に一人で死んだから可哀そうというのは、おかしい話で、おばあさんに失礼なような気がするな~と

どうしても「孤独死」=「寂しい人生」「可哀想な人生」という事で社会は問題定義してくる。
この感覚に私はとってもズレを感じるのです。

なんでも先月だったか、ニューヨークタイムスWEBに"A Lonely Death"というタイトルで、日本の老人の孤独死の特集が組まれていたそうだ。

探したらあった。
https://www.nytimes.com/2017/11/30/world/asia/japan-lonely-deaths-the-end.html

長い英文なので何が書かれいてるのさっぱりかわからないが、写真を見ていると切なくなる。この写真から想像するに・・・・・ポジティブな文章でないのは間違いないだろう。(笑)しかしこれだけの長文で特集を組むという事はどういう事だろう。

日本の状況が特異に見えるのだろうか????
まぁこれからの世界全体がどうなるかの形示しを日本があらわしているという事なのかもしれません。

でもね~私が思うに・・・孤独死は決して哀れでも、寂しい事でもない。
もちろんこれはあなたの投影ですよね??と言われれば、「そうですよ」と言います。

 

私的には今日まで元気に仕事して、寝ている時に部屋で一人死ぬ孤独死と言うのは、理想的な死に方の一つだと思っている。

孤独死の報道がある度に繰り返されるのが、「寂しい最期」「悲しく、つらい最期。」「誰かに、頼れなかったのか?」的な感じですが・・・

その人が本当に寂しい人生だったのかな・・・?と・・・・いつも思うのです。
最期だけ見て、その人の人生全部をわかったように語る報道に違和感を覚えるのですよね。

 

そしてそれを見る側もそういう印象がそれぞれの価値観となり「孤独死=寂しい」事だと思い込むというケースが多いのではないかと。

 

で、孤独に寂しく一人で死んでいく様を自分に投影して恐れるんです。

日本は長寿国だと言われていますが、健康寿命となるとまた違ってきます。  
平均寿命から見ると男性は9年間、女性は12年間なんらかの病を患いながら生きていかなければいけないという統計が出ているそうです。

まぁ先進国ならではの話でしょうが・・・・
老後に要介護期間をどれだけ短くするかという事がポイントとなりますよね。

 

自分でトイレも行けず、ご飯も食べれずずっと天井を見て暮らす。そして死に際に家族に看取られて死ぬ。

今日まで元気で普通に生活して、夜寝ている間に孤独死。

まぁもちろんその中間的な死に方もあるでしょう。なんとなくボチボチ人に世話になりながら生きつつ病院で死んでいく的な・・・・

 

これってどうなんでしょうね。良し悪しで決めれる事ではありませんがね。
一般的には3年前に亡くなった私の父のように、家族に看取られて死に行くという感覚が普通であり、それがマジョリティーなんですが。。。。。どちらでもOKです。

いずれにしろどちらの幕の引き方でもOKを出せる、今を生きたいと思うのです。

私達人間を含めた動物は生まれてきた時に一つだけ決まっている事があります。 

それは「死ぬこと」 

全員がもれなく、「死ぬこと」を約束してこの世界に出てきているのに、「死ぬこと」が寂しい事だと忌み嫌われている。

死ぬことが「悪」になっているフシがある。
そりゃー親しい人が死ねば悲しいです。

でもそのうち自分もあっちにいくわけで・・・・・そうやって世界は新陳代謝していく。

最期が一人で死んだ事で「寂しい人生」「哀れな人生」となってしまうのは、生きている人間が自分に投影しての感情論となる。

孤独に死んでいった人が「寂しい人生だった」と思っているかどうかは誰にもわからない。

究極的には死に「悲しい」も「寂しい」も「哀れも」もない。
それは生きている側の感情だ。

孤独感は生きている人間誰しも持っている感覚です。もちろん大なり小なりあるでしょうけど。
そして寂しいという感覚もです。
寂しいのはどうしたって生きていれば寂しいんです。
だから人と一緒に皆、生きようとするんです。
でもですね、誰かといても寂しいものは寂しいです。

人が生きるのに寂しいって大事な感情だと私は思っています。

要するに。。。。。寂しい事、悲しい事、哀れな事が不幸で悪い事だと思っている価値観が人を不幸せにしてしまうと言う事なんじゃーないかなと私は思うのです。


寂しい

上等じゃ~ないですか・・・・
だから人といる事がありがたく思うわけです。

悲しい

上等じゃ~ないですか・・・・・
だから楽しいと、その瞬間に感謝できるわけです。

切ない

上等じゃ~ないですか・・・・・
切ない思いから何かが生まれる。
その生まれたものが、この世界が美しくする。


苦しい

これは嫌かもな(笑)

でも苦しいを経験すると、、、人の苦しいを見ると助けたくなる。

そういう風に、この世界は全ての感情を網羅して生きていくのが定めとなっていると私は思うのです。

どっちかに決める事なんてできないんです。

苦しいだけもできないし、
楽しいだけもできない。

両方を行ったり来たり

それがイノチなんだと。

孤独死のイメージアップ作戦を皆さんもしてみませんか?

孤独死報道があったら、その方を称賛しましょう(笑)

この人の人生の〆かたがカッケ~と・・・・

 

 

そう・・・人間の数だけ死に方がある。

孤独死・・・・ある意味、かっけーじゃ~ないですか。
全然、哀れじゃないし、可哀想ではないと、私は思います。