長文です。

わけて投稿も考えましたが・・・・・・・

自分自身の備忘録でもあるので、そのままドバッと投稿してしまいました。

気が向いた時にでも~(^。^)

 

 

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2017年戸隠備忘録

 

 

私の夏が終わりました(笑)
毎年恒例の戸隠神社・火之御子社奉納舞踏、今年で13年目になる。
干支が一回りし、また一からの1回目。

なので題名は「again」

ふたたび・・・という事らしい。

毎年だけど私は、これが終わったら、しばらく腑抜けになる。
なにやら私はこの行事を中心に一年を過ごしているような気がする(笑)

最近やっと腑抜けから出てきたので、記する事ができるようになり書き始めた。

座長であるタカハシさんはとっくに顛末記を書いて終わらせているので、細々した事は端折ります・・・・

さかのぼっての話になるのですが、私は昨年の7月から尺八を習っている。

全くもって遅々として上達しないのですが、それでも一年を過ぎた。
50の手習いというけど・・・楽器って本当に難しい。

まして尺八は音を出すのが難しい。
そして音が出るようになったとしても音程が取れない。

尺八の音は自分で作る。
そう・・・3オクターブの音を自分で作るのだ・・・・
息で音程を作る・・・というか体幹(丹田)で吹くので、体調が悪いと音は出ない。

エライ難しいものにトライしてしまったと。。。。少し後悔しつつ一年が過ぎた。

この一年の尺八特訓に関して、ここに書き始めたらキリがないので、この話はまたいつの日かご報告できればと思っております。(笑)

で、なぜこの話をしたのかと言うと、今回の奉納舞踏に、私の尺八の先生が演奏してくれる事になった。

他にもミュージシャンが7人もいる・・・・ちょっとなんだか奥がましい気分になった(笑)
ほとんどの方が音楽を生業にしているのだから、皆さんプロだ。

ベース、バイオリン、ドラム・・・・そして尺八。
そんなプロをバックに踊っていいのか??

舞踏の師匠である高橋実について、舞踏は18年くらいやってるが、ただそれだけで、他の訓練をしているわけでもなくダンサーでもない素人である。

週に1回2時間の稽古を18年。それだけ。
若干考えたけど・・・でも・・・踊らない理由はない(笑)

ありがたい事に踊ってもいい状況なんだから、お天道様はOKを出している(o^^o)はず

いつも通り、淡々と流れに任せればいいのだ。。。。それでいいのだ~と。
後は8月18日を待つばかり。

戸隠に来始めた頃はトラブルばかりで、トラブルの対応に追われてた印象がある。

しかしここ数年は本当にスムーズな流れの中で奉納を終える事ができるようになり、今年も細々とした事件は有象無象にあったが、結果的には無事に奉納が終わり、気持ちよく3日間を過ごす事ができた


さて・・・・奉納当日、確実に雨模様の予報だった。

雨が降っている中で踊るのは苦ではないが、仕込みが本当に大変だ。

何度か大雨の中の仕込みを体験しているが、結構、辛いし苦しいし気が滅入る(笑)

しかし何度かポツポツと降ったが、なんとか最後までもってくれた。

ただただそれが一番ありがたかった。


仕込みも順調で早々に終わり、それぞれが自由に過ごす、

裏で演者の白塗りが始まる。、、、、、奉納の太鼓が鳴り響く。
私達三人は真っ白のまま、境内前で宮司のお祓いを受け、奉納が始まる。

尺八の音からスタート・・・・・今回は初めから終わりまで生演奏のみ。

CD音楽はかけない事になっていた。

こういう事は始めてだ。

みなさんプロの演奏家・・・そして大所帯の楽団だから実現した生演奏のみの舞踏。

考えたら、13年目で初めての事だ・・・・これまた一つの節目の出来事だ。。。。

さて舞踏が始まった。
殆ど事前の打ち合わせはない。
はじめと終わりだけ決めて、あとはそれぞれが自分の流れに乗る。


ただ楽人(ミュージシャン)は自分だけの世界ではなく、私達舞人や他の楽人とコラボする方向性を持っているのだと思う。

が、舞人はそういう方向性はあまりない・・・・

毎週木曜日に行うタカハシ舞踏の稽古は無音で2時間踊る。

初めは「う・お・あ・え・い」ボイッシングで声を出して呼吸し、意識を変性させていく。
倍音声明と同じ。。。。。

一番下のムーラダラーチャクラの「う」から始まり、徐々に上に上がって変性していく。
一番上ののサハスラーラチャクラの「い」まで来ると完全に意識は変性し自然と動き始める。


私はその時点で失神してる事が多いですが(笑)

後はただただ無音の中にあるメロディーを紡いで踊る・・・と言えばかっちょええが・・・・初めは結構苦しいし動けないし、、、、2時間持たず失神する。

しかし18年の訓練というのはすごいもので、音の中で踊るより、無音で踊る方が楽になっている自分に気づく。


日頃は気づかないが、音がある中で踊ると自分がぶれる。

そして音楽にのってしまう事への抵抗感が出てしまうのだ。

その動き、本当なの???それでいいの???と自問自答が繰り返され動けなくなる。

ただ音に乗って動いているだけじゃ~ねぇ~の??自分・・・(´゚д゚`)と・・・

無音で踊るより、、かなり苦しい踊りとなる。外側のエネルギーに影響を受けるからだ。

だったら音かけずにやれよ!!といいたくなるだろう。
でも、見てる人はつまらない。

アメノウズメさんがアマテラスさんの気を引こうとして、踊った時も音楽はあったはず。

音は一瞬で人の心をつかみ、惹きつける。

音楽はずっと聞いてられるけど、舞踏は30分も見ていると必ず飽きる。

どんなに素晴らしい踊りを見ても無音だと心は離れる。
30分もひきつけられれば御の字だ。

だからどんな舞踏も音を入れる。
踊る人間はその事をよく知ってる。

だから怖い・・・・そして音楽をやっている人を羨ましいと思う(私は)

 

そんな苦しいものをなんでやってるのか??(笑)ですよね。

私の中ではブレスワークやヨガは解放の作業で、舞踏は解放された自分の内側を埋めていく作業と言う位置づけになる。

私の中に埋め尽くされている情報を一度初期化して、新しい情報を構築し再インストールすると言う作業。

その再インストールが私にとっての舞踏なのかな・・・と。

闇雲にやっている状況の時にはわからなかったが、今になってなんとなく、自分が何をやっているのが見え始めてきた。

結果的に踊ると言う事は私の内側を埋めていく作業だったと。

タカハシ舞踏にフリはない。

何をやってもOK。 
自由にどうぞ。

稽古中は一切何も言われる事なく、教わるわけでもなく、放置プレー(笑)

舞踏に限らず人生そのものに対しても、タカハシさんのスタンスは何をやってもOKだという趣旨。

しかし(^_^;)これがまた困るわけです。

人は自由が一番怖い。。。。

余程、自分と言うものを持つか、自分を手放すか、はっきりしていないと自由を満喫できない。

中途半端な立ち位置であれば、決められた方が簡単だし、楽だし、考えなくていいし・・・・・・

自由が一番困るとなる(笑)

なんで、舞踏稽古で自由にと言われても、どうしていいのかわからず、立って動くまでに何年もかかった。

稽古の間、一時間半、ただ床に転がっていると言う状態が何年も続いた。

やっと立てても次は動けない。
私は毎週毎週何をやっているんだろう??と自問自答。


舞踏と言うよりは死にかけたオオサンショウウオが七転八倒してうごめいている(笑)ようにしか見えない。

きれいに踊る、美しく踊るのではなく・・・・自分のみっとも無さを、ただたださらけ出して、苦しんでいる・・・

しかしそこから先に魂の舞踏があると・・・・タカハシさんは言うが・・・

それがどういう事なのか腑に落ちてないし、体感したことがないので、出来る気がしない(笑)

まして戸隠で踊るとなると自然は全然優しくない(私はいつも打ちのめされる)

裸になれていないワタシなんて自然は認めてくれないし、見向きもしてくれない(ように感じる)

人間の不自然さに対して、自然は一体化なんて早々させてくれない。私が未熟なだけなんですが。

気持ち良い気分なんてなれっこない(( _ _ ))..

しかし今回は終始、音楽が本当に素晴らしかった。

だからよけいに感じるのです。

音楽に乗ってしまう事で自分を見失う恐ろしさ。

最中何度か感じた・・・・・

あ~あ~ちょっと落ち着きたい(>_<)

無音が恋しい~と(笑)

もういいや、素直にのっちゃえよ!!悪魔の囁き、、、、、

ええええ(>_<)、、、、でも違うよね、、、、違うよ、、、これじゃない、この動きじゃない・・

動けない・・・・
あ~でも。。。こうなんじゃない??

こんな自問自答で四苦八苦してても、時として感情を超えた歓喜の瞬間をいただく事もある。

一瞬だけど。

そしてまた元居た場所に戻る。

どうしたらいいの・・・・と。

まぁそんなこんなで私の舞踏はどうしても自問自答の旅となってしまうのですよね。

自問自答した所で、正しい答えがあるわけではないが・・・・

それでも私は自問自答する。

これでいいの? と。

私の日頃の生きる姿勢も同じようなものだからクセなんでしょう(笑)


そんなこんなで一時間ちょぃが終わり・・・・奉納終了。

演者側にいると全体像は全くわからない。

ただ今回、タカハシさんのエネルギーがとってもキレイでびっくりした。
もちろんいつもきれいなのですが・・・・(^_^;)

タカハシさんの踊りの写真を撮るとハレーションを起こして真っ白な事が多い。
横にいる、かねやんは普通に映っていてもタカハシさんは真っ白だから、
単なるハレーションで片づけられない気がいつもしていた。


今回の写真は・・・・というと、、、
実はメディアが壊れてPCに取り込めなくなっていた。


前日にチェックしてちゃっと読み込み可能だった。

カメラからは画像を確認する事ができるが、PCに落とし込めないし、PCとの相性かと思い、お店にメディアを持っていってCDに落とし込もうとしてもそれも無理だった。


で、今修復してもらっている。
修復できるのかどうかはわからないが・・・・


初めての戸隠舞踏では、すべてのデジタルカメラが動かなくなった。
急きょ、フイルムのマニュアルカメラを借りて撮ったが・・・・
一巡して13年目、また繰り返す。

そうagainだから・・・・か。

なのでただいまフォトショップからの連絡待ち状態。
もし復元できたら、どんな写真なのか楽しみです。

今回、メンバーのお母さんも別で見に来てくれていて、その方は初めてタカハシさんの踊りを見て、感動していたらしいです。

最後はタカハシさんがゴータマシッタルダに見えたらしい(笑)

私は目が悪いですし、目の焦点を合わせずに踊ってますから、ほとんど回りは見えません。

それでも階段下で踊っているタカハシさんのエネルギー体というか雰囲気というか・・・・それがあまりに美しすぎて感動したわけです。

内輪で褒めても仕方がないのですが(笑)そう手前味噌というヤツですけど。。。。
それでも「うぁーーーーむっちゃキレイやん、なに???」と思ったのです。

年をとるとどんどんその人の正体があらわになって、醜くなってくる事が一般的なんでしょうが、タカハシさんは反対だ・・・と

ブッタに見えるかどうかはわかりませんが、タカハシさんの踊りは年齢を重ねる都度に、どんどんそぎ落とされてキレイになっていく。

そしてキャパがひろくなっていく。



メンバーの年齢構成が恐ろしく広い。

2歳、7歳、8歳、14歳、15歳・・・・・20代、30代、40代、50代、60代、

全ての年代を網羅している。
年齢が違くても、普通に友人のように会話できる。

8歳児なんて、私達を友達だと思っているフシがある(笑)
これも座長であるタカハシさんの力の抜けた力量なんだろう。

踊ってない時はただのじいじですが(笑)
私もそういう年の取り方したいな~なんて(かなり難しいけど)思った。



さてはて、少しだけ書こうと思ったけど、長くなった。

今回はもう一つ節目的な出来事があった。

戸隠から帰り、総括していると・・・そう言えば今回、菊ちゃん夫妻が来なかった。
戸隠で踊れるようになったきっかけを作ってくれたのが、飯綱に住む菊ちゃん夫妻だった。

それから12年毎年必ず見に来てくれて打ち上げに参加してくれた。
菊ちゃん夫妻は悲喜交交あり、今は諏訪の方に住んでいるらしい。見に来るにはちょっと遠い。

そして、タカハシさんの戸隠顛末記にも書いてあったが、戸隠神社がこれから変貌していくようだ。

善光寺のように、戸隠も戸隠神社を観光の目玉として、一大観光地にするような計画を聞かされた。

電気を通し、社務所を作り・・・・祭りを増やす・・・・云々

うーーん。。。さてはて、昨年、、、、神社の関係者がポロッと言っていた言葉が今だに頭から離れない。

戸隠に神様がいなくなった・・・・

まだまだ神域はあるが、人が入れば入るほど神域が小さくなってくるのは確かだ。

12年前、奥社参道途中にある随神門をくぐると空気がパキンとして、キレッキレッな感じで、身が引き締まったものだが、今はそういう事もない。

まったりのんびり気持ちいい散歩道という感じ。

タカハシ一座は河原乞食一座らしい(笑)

河原乞食一座はどこまで、資本主義化していく戸隠という土地に受け入れられるのか・・・・

お金と神様は切っても切れない表裏一体。。。。。お金というエネルギー、八百万の神(紙)のエネルギーと人間のエネルギーの三位一体は、これからさてはてどうなるのか・。。。


ホントこの世は勉強になる。
そういう事なんだ・・・・と実感させられた今年のそうagainだった。