便利は不便
人は本当に気がついていないのだろうか。
次々に出現する最新機器によって、我々の生活はどれほど不便になっているものか。
そもそも、便利さを求めることによって、何を求めているのかが明らかではない。
便利になれば時間が節約される。
しかし、その節約された時間を何に使うかと言うと、やっぱりその仕事をするために使うわけである。
ゆえに、便利になることによって、仕事はより忙しくなっているはずである。
なければないで済んでいたものが、なければ済まなくなるのだから、便利とは不便なものなのだ。
今更どうしようもないけれど、何のための便利さなのかを、各々考えてみるのもいいだろう。
人生の時間は有限なのである。
ー池田晶子「知ることより考えること」よりー
私達が生きている世界は戦後急速に技術の進歩と消費を促す事を目的として生きるようになった。
便利になり、時間があまり、その時間で消費する。そんな世界を作り上げた。
最近は自然回帰的な指向の若者が増えて、田舎に引越しする人も多いが、それでも便利な物を手放しはしない。
どうしていとも簡単に田舎に引っ越せるのかというと、ネット環境と物流があるからだ。
過疎地に住んでいたとしても、ネット社会の中で世界中の人と繋がっていられるから寂しくないし、商売も成り立つし、買い物にも困らない。
これだけ物流が発展している国も珍しいだろう。
日時指定が正確に機能し、荷物の紛失もなく安心して荷物を送り受け取ることができる。
まして支払いも代引きにすれば、お店が家まで来て物を売ってくれているというのと変わりない状況が普通に行われているのだ。
凄い世界が展開しているもんだ(笑)
私もその便利をあやかって、とっても楽で快適な生活をしている。
これ以下の世界を想像する事はできない。
でも反対に・・・これ以上の便利な世界を想像する事はできる。
人間には慣れ・・・順応性という機能が備わっている。
慣れとは本当に素晴らしい機能だと思う。
これおかしくない????が
これが普通だ・・・・に簡単に短時間で変わってしまうからだ。
これらの事を善悪で論じれるものではないが、、、、、
便利至上主義の世界に弾き飛ばされる人もいるという事は頭の片隅に入れておきたいものです。
便利になる事で今までにない不便な事をしなければいけなくなるという事も認識しておく必要がある。
小さい事から大きい事まで色々あるが、最近の大きな出来事で言うならば、電気がないと生活できない世界を作り・・・世界中がとっても便利になった。
電気がないと生活できないでしょう・・・・という事を盾にして原子力発電を作った。
水力ではなく、火力ではなく、風力ではなく、太陽光でも地熱でもなく、原子力発電に力を注いだ。多分儲かるのでしょうね。
で、事故が起こり、あの有様に。
これは極端な話ですが、そういう事は生活の中で毎日ようにある。
この世界にわからない事はない。
電脳社会となった今、全ての人の脳と容易に繋がり、情報を得る事ができる。
広辞苑なんて必要ない。
あの小さい箱の中に人類の全ての英知をどこでも受け取る事ができるのだ。
どこかに行こうとしたら、携帯電話に聞けば勝手にナビしてくれる。
○○に連れてって
これだけで勝手にナビしてくれるわけですよ。
グーグル君なんかもびっくりするぐらい正確過ぎて怖いし。
先日看護師長をやっている友人と話をしていて同じような話なった。
最近、病院内で使用する器具は全部使い捨てで、セット組みされているそうだ。
なので、目的に応じたセットトレイを持ってくればいいだけ。
それを開ければ必要なものが全部入ってる。
なのでその処置や手術に対して何が必要なのかという思考をする必要がないのだと。
臨機応変な対応ができない若い看護師が多いと。
まあそれで物理的にも時間的にも無駄もなく、間違いもないので良いのだけどね・・・と苦笑いしていた。
カルテも手書きではなく電子カルテになった。それの弊害はナースコールに出るまでの時間が長くなったそうだ。
手書きだと途中で書くのを止めて立ち、ナースコールに出る事が容易だが、電子カルテでPCに向かってカルテを打っていると途中で終われないそうだ。
どういう心理が働いているのかわからないが、とりあえずキリのいいとこまで書いて保存する所までやらないと立てない人が多いと。
なんとなくわかるような気がする。。。。機械に使われているのでしょうね。
ナビもそうだけど・・・・人はどんどん物を考えなくなる。
思考停止度合は世の中の便利度に比例する・・・・・
行くところまで行くしかない。
その先に何があるのか・・・・少し見てみたい気はするのです。
そしてあの世にいる(たぶん)池田晶子さんに会って報告したいです(笑)