ご無沙汰でございます(^o^)ゞ

少々遅すぎますが、最後まで書かせていただきます。

さて・・・・
父が息を引き取る直前になって、
みちこが半狂乱で取り乱している状況にドン引きしてしてしまった私。

父の時間は残り少ない。

どんどん父の顔は白く蒼白になってくる。
みちこが泣き叫ぶ中、、、静かに父の息が止まった。

父の呼吸が止まる少し前、
突然に苦悶表情となり、目を見開き天井を凝視する父。

何かに驚いているような表情だ・・・・・
昔、病院勤めしている頃に何度もこの表情を見た。

誰でもと言う事ではないが、死期が迫ってる昏睡状態の時、同じような苦悶表情で目を見開き、天井を凝視する患者さんがたくさんいた。

何かにびっくりしている表情を見て

「何かが見えているんやな~」

「そやな~そろそろかな~」

と言う会話を主治医と何度も繰り返した記憶がある。

勤めていた病院はホームレス専門の病院だったので、付添の家族はいない。

ほとんどの入院患者さんは一人で死んでいく。

だから、せめて私達があの世への旅立ちを看取ろうと、出来る限り死に際にはベットサイドにいるようにしていた。

何百人看取っただろう・・・
数えきれないほどの死に際に立ち会った。

なので父の死は見慣れた死に際だったけど・・・・

それでも他人の死と肉親の死は全く違うと言う事がよくわかった。

他人の死は悲しいけど・・・・・肉親の死は重い。

得体の知れないモノが心にズシンと来る何かがある、その後から悲しみズンズンやってくる。

死に際の父は何を見てびっくりしたのでしょうね。

天国への扉だったらいいのですが・・・(;一_一)

そして父の呼吸が止まって、しばらくして・・・心臓が止まった。

主治医は父が入院中、ずっと腕に身に着けていた時計で父の最後の時間を告げた。

死ぬ事を「息を引き取る」と表現する。

息を魂だとすると、魂を引き取る・・・・
イノチ(魂)をあちら側の存在が受け取る。

と言う事なのかな~なんて思いながら、父の息を引き取る瞬間を見ていた。

悲しみに暮れる間もなく、葬儀屋さんが来て葬儀の段取りが始まると途端に日常がやってくる。

悲しんでるヒマはない。
さて・・・どうするのか???

みちこも弟も父を家に連れて帰ると言っている。

もちろん私もそれには大賛成だが・・・あのボロ家でどうやって祭壇をつくるのか?

結論・・・・家族葬を自宅で行うと言う事で落ち着いた。

父が息を引き取ったのが夕方の5時過ぎ。
それから父と私達が自宅に戻ったのは夜の7時。

4か月ぶりに我が家に帰ってきた父は、なんとなく嬉しそうだ。
みちこは父にご飯を炊いた。

父の好きなものを枕元に置き、ビールを注いだ。
その横で、私達は家族最後の食事をした。

昔話に花が咲いた・・・・・

それから葬儀が終わる怒涛の3日間・・・・
私と弟はバタバタと事務的にこなして行った。

みちこは茫然自失、台所でずっと洗濯をし続けていた。

グルグル回る洗濯層と
グルグル回る乾燥機を見つめ、
ひたすら洗濯物をたたんでタンスに片していた、みちこの3日間だった。

日常の行為をする事で、なんとか正気でいようとしたのでしょう。

彼女は火葬場にも行かなかった。
父の遺骨になった姿を見たくないと言い張る。

仕方がないので私達と親戚数名で父の遺骨を拾った。

関西では全部の遺骨を骨壺には入れない。

喉仏と主要な部位の遺骨を収骨して骨壺に入れる。
残りは永代供養の集合墓(合同埋葬墓地)に入れられる。

東日本は全部の遺灰を壺に入れるらしい。
どうして風習が違うのは知らないがそうらしい。


危篤状態になった時、父本人はまだ死ぬ覚悟ができていなかった。
十分にまだまだ生きれると思っていたし、家に帰るつもりだった。

だから危篤になって一番びっくりしたのは父だ。

私が病室に入ると、びっくりした顔をしていた。

なんで来たんや・・・・ワシもう死ぬのか???そういう顔をしていた。

死ぬ事を受け入れるまで丸三日かかった。
あんな呼吸状態でよく三日三晩がんばったと思う。

最期は枯れるようにあの世に旅立った。

通常、呼吸系の病気だと、どうしても痰を出す事が難しくなり、吸引措置が取られ、死ぬまでとっても苦しい状態に陥る。

吸引の度に地獄を味わう事になる。
そして口の中は血だらけになるしね。

しかし父は死ぬ直前まで自分で痰を出した。
これには先生も看護師もびっくりしていた。

きれいなご遺体だった。
最後の湯灌はみちこと私の2人で行った。

きれいにして家に帰ろうね・・・・

まぁそんなこんなで亡くなった翌日に通夜、翌々日に葬式と超最短コースで滞りなく終わり、私は葬式の翌日に東京に戻った。

父らしい。

父も死んでからなお、私達を拘束するのは申し訳ないという気持ちが働いたのか、満員だった火葬場の予約が奇跡的にとれた。

もしかすると週をまたぐかもしれないという事態になる可能性もあったが・・・・・

一番、最後の枠でなんとか火葬してもらえる事になった。

葬儀屋の担当者の方に力があったみたいです(笑)(-.-)

お坊さんにも連絡が取れなかったので、夜分だったのですが、直接に寺に行き、門扉をバンバン叩いて出てきてもらった。

で、翌日の通夜、葬式を快諾してもらえた。
父はこのお寺の古い檀家で、おじいちゃんの葬儀の時もそこの大住職にあげてもらった。

通夜は大住職の息子が来て、本葬~初七日はヨボヨボの補聴器をした大住職が特別にと来ていただいた。

素晴らしいお経だった。

そこから四十九日まで一週間ごとのお経をあげにきたのは孫の住職。

なんともありがたみのないお経だった(笑)

やはりどれだけヨボヨボでも、お経を読むとなると、年の功だ・・・心に響く度合は格段違う。

父が長年暮らし、人生を紡いできた我が家から斎場に向かい火葬され、あの世へ旅立つ。

家で葬儀をやってよかったと心から思った。
もう二度と父が愛したこのボロ家に父は戻る事はないが、最後にこの家で家族揃って二日間過ごせた事は父も大満足だっただろう。

なんとも人の人生とは泡のようなものだな~と実感した次第です。

私もしかりです。


これで私達家族は父という鎹(かすがい)を無くして、それぞれの場所でバラバラで暮らす事になる。

家族と言う単位の解消である。


みちこは100歳近い父親の介護生活に突入する。


私と弟はそれぞれ独居中年に・・・・・

もう父の法事以外で会う事はないだろう。

人は一人で生まれ、一人で死んでいく。
そんな事は分かっているが、家族が無くなるというのはやはり寂しい。


私達は家族という括りに本当に縁がない人種である。


それを父と言う存在が、私たちを家族という括りにつなぎとめていた。


まして私は本来、不倫の末に生まれた私生児で家族という括りから縁遠い場所にいた人間だ。

そんな私と半世紀も親子でいてくれて本当にありがとう。