上野で開催されていた日本国宝展に行ってきた。


私は美術品や仏像と言った俗に言うところの文化財的美術品に興味が無い。


興味が無いと言うと上から目線ですが、文化財的美術品全般に共感できる感性や美意識が全くないと言うのが正直な所です。


見る眼が全くないので、見たところで「ふーん(´・ω・`)」程度で「すげぇ~な~」とはならない。


要するに「文化的」な物に対しての共感感覚を持っていない。


文化に触れた事が無いからなのか、文化的要素が根本的に無いのかわかりませんが、兎に角興味が沸かないわけです。


しかしながらこんな私でも、生まれて一度だけ「すげー」と感じた絵はある。


何年か前に連れられて行った、長野県小布施にある北斎記念館でみた天井絵の八方睨みとか言う絵のエネルギーはすごかった。


北斎さんの絵は浮世絵なので大衆に分かりやすいのかもしれません。


なんでこれ書いたんだろ~?と思う題材の絵が多かったような記憶がある。


鮭の切り身とか?なんで切り身??と(笑)考えてしまうような絵もあった。


まあいずれにしても美術館、博物館、展示会などに自ら行く事はない。


前情報で今回の国宝展はすごい人気で連日長蛇の列とかで満員だと聞いていた。


そう言えば、以前も阿修羅像だか、千手観音だかが人気になった事があった。


その時に仏像女子だか、仏像ガールだか言われたのかどうか知らないが、今ブームなのが土偶や埴輪で、土偶にはまっている女子を土偶女子と呼ぶらしい。


国宝展の前からなのかわからないが、土偶と埴輪が密かなブームなんだって(Θ_Θ)


国宝展は連日超満員で開園時間も三時間延長されて8時までになっていた。


入場料1600円と言う高額にも関わら、全国から人々が大挙している。


こういった博物館が超満員になるなんて私には信じられないが、きっと私がマイノリティなのだろと解釈するに至った。


前置きが長くなったが、そんな私がどうしてわざわざ寒い日曜日の夕方に出向いたのかと言うとですね…


土偶好きが高じて、遂には遺跡研究の専門家と共著で本を出してしまった友人がいるのです。


先日その友人が関西から国宝展に行く前に会いにきてくれたのです。


そして土偶への愛を1時間半語って帰っていきました。


彼女の本は国宝展が開催されている日本国立博物館のミュージアムで売られています。


そして土偶スタンプ、土偶付箋まで作って売ろうとしているのです。(笑)


さらにテレビ、ラジオの取材を受け、次の出版物も視野に入れ彼女は勢力的に活動しているのです。


私は彼女の土偶に対しての情熱にすごく興味がそそられたのです。


なにが彼女をここまで熱くさせたのか?


彼女は私の基本的な質問にも的確に答えてくれます。


土偶と埴輪ってちゃうの?

「違います!(`o´)それは…」

それから長い長い説明が始まりました。


でも聞いてると結構面白い。


好きなものに邁進している姿やエネルギーにふれるとこちらまで楽しくウキウキしてくるのです。


彼女が言うにはやはり国宝級の土偶は違うらしいのです。


どう違うのかは具体的にしめされませんでしたが、何かが違うと。


それを確かめに行ったわけです。

しかし当日まで忘れたのです。


日曜日は三時過ぎまで予定が入っていて、外出する気は毛頭なかった。


なんせ家から極力出たくない、我が家大好き人間ですから。


しかしふと思った、彼女が言ってた国宝展っていつまでだっけ?


ネットで調べると…
なぬ(-_-;)今日の8時までと!?

見てしまったら、行くしかない。


一路、上野へ

日が落ちて、空には大きな満月が出てた。

人もまばらで私好みの閑散さに安心(´∀`)


最終日の夜、入場者も少なく展示場は空いていた。

のんびり観覧。国宝に指定されている土偶5体見ました。


結論


確かに土偶は不思議なエネルギーに満ちていました。

他の展示物と明らかに違う。


他の土偶や埴輪、仏像とはやはり明らかにエネルギーに違いがある。


それがなんなのか、その時にはわからなかった。でも何かが違う。


帰り道、この感覚を左脳に流し込み、論理的解釈思考に変換してみた。


彼達(土偶)は意図的なのかどうかはわからないが、国宝に指定させ、国家レベルで永続的に手厚く保護されるだけの強烈なエネルギーを持っている。


2万年弱と言う年月を壊れる事なく形を残し、平成に生きる私達の前に姿を現すだけのエネルギーが宿っていると言うことですから、強烈なエネルギーを持っているのは間違いないと言える。


それも国家レベルで保護され、これからも永続的に何万年も在り続ける力を今だ衰える事なく保持し続けている事が凄いな~と。


これらの国宝文化財が素晴らしく価値があるのかと言う判断は私にはできないけど、この私達が生きている世界の法則として、形在るものは必ず無秩序となり崩壊すると言う「エントロピーの法則」がある。


確固たるこの世界の法則から外れる力が古い遺跡物にはある。


このエントロピーの法則に対して抗う感じでもない・・・・
自然な立ち振る舞いでそこにただ在る。


そんな不思議なイノチを吹き込まれているような佇まいなんですよね。


このエネルギーに彼女は惚れ込んだのでしょうか・・・・・今度聞いてみたいと思います・・・・・


観終わって売店に行くと、土偶のガチャガチャが置いてありました。


こういう手の物は基本、ゴミになるので買わないのですが・・・・なんと買ってしまったじゃ~ないですか???(´゚д゚`)


それも二つも。

合掌土偶と縄文のヴィーナス


なんでも5体集めるまで買い続けた人が一杯いるそうです。


関西人の私としては、このグッヅだけでエライ儲かってるよな~と下衆の勘繰り。


土偶クッキーやら土偶発掘チョコ・・・・・・

土偶メモ・・土偶クリアファイルなどなどむっちゃ売れてました。


この人気はいつまで続くのか・・・・


ただ今回の収穫として、古いものが残っていると言うのは当たり前の事ではないと言う事がよくわかりました。


そのモノに宿っているエネルギーが特異だと言う事です。


山ほどあった土偶の中でも、なぜ国宝に指定されたこの5体の土偶が形を残したのか?


やはりその5体は不思議な力が宿っている。

そう考えるのが妥当な所なのかもしれません。


「在り続ける」と言うエネルギーは人が根本的にもつ欲求でしょうし・・・ね。


不老長寿・・・・ほとんどの人が欲しがるもの。


そして自分自身在り続ける事ができないから家系と言う形を残す。


これも人間の基本的欲求です。

日本の象徴である、天皇家がそうですからね。


人のDNAに刻まれた性なのかな~なんて事も思います。


私は消滅するベクトルの方がエネルギー的にフィットするのですか、マジョリティー側は違います。


だから・・・・長く存在し続けるモノにシンパシーを感じて、遺跡などに大挙するのかもしれませんね。


どの土偶研究に邁進している友人は子供がいませんが、それも影響している可能性も無きにしも非ず。


まぁしかし・・・・・好きな事に集中している人に触れるのは気持ちが心地よくなります。


そして改めて古いエネルギーは疲れます。

一時間半くらいだったのですが、、、具合が悪くなりました。


エネルギーアタリしたみたいに若干気持ち悪くなって、頭がクラクラ、軽く頭痛や肩こりが出てきて、帰りの電車は爆睡でした。


古いモノって怖いです。特に日本刀の展示物室には足を踏み入れる事ができませんでしたし"(-""-)"


また改めて書きます、、、