あまり動きのない生活スタイルをモットーとしておりますが、ここへきて実家の方で少し騒動があったり、スキー三昧で戸隠に行ってたりと少しバタバタしておりました。


心の使い方の話を以前書きました・・・・


どういう風に心を使えばいいのか・・・・


と(^_^;)エラそうな事を書きましたが実を言うと私は心の使い方が決して上手ではありません(-.-)


ただ、どういう風に使えば楽になるかは頭では知っている。


「知っている」と書いているのは、知っているだけで「わかっている」わけではないからです(笑)


わかっていると書けば、それはちゃんとできていると言う事ですからね。。。。。


現実はできません。


要するに目の前の現象を操作して自分の思うような現実にしょうとする事が苦悩の元なわけです。


自分が「幸せ」と思えるものだけしか受け入れられないと、生きる事のほとんどが辛い事ばかりになります。


目の前の現実がどうであれ、自分で選択した在り方ができれば苦痛、苦悩は少なくなる。


相手がある事に対して、自分の幸せの基準を置かないと言う事です。


自分自身の成長に伴う目標設定、願望は持ってもいいと思うのですが、相手がある事の願望を持つのはマズイやり方となります。


相手がある


と言うのがどういう事かと言うと・・・・


この姑がいなければ私は幸せだ


とか


このクソ夫の女癖さえなければ私は幸せだ


お金があれば幸せ♪などもベーシックな幸せ願望設定の一つですよね。


あげればキリがありませんが、相手が変われば自分の幸せがやってくると言う目標設定がマズイやり方。


幸せいっぱいの人生=悪い事がない


ではないと言う事を理解しておく必要があるのだと思うのです。


要するに


私達はどうしても完全なる幸せと言うのは悪い事が起きない事であると思い込み過ぎている。


その思い込みがある以上、内的な幸福感に満たされる可能性はゼロに近いのです。


良し悪しで物を見る目からそのままを見る眼に変えてみる。


・・・視点を変える事が幸せのヒケツの一つである事は間違いないと私は思うのです。


自分の都合の良い事はOKで受け入れられるけど、自分にとって損な事はダメ・・・・受け入れられない。


これはマズイやり方。


ベストは

何が起ころうが、それを楽しむ力を持つ事。


できないなら楽しむ努力をする(笑)


それでもできないなら、
楽しむ方が得であると無理やりでも言い聞かせて、楽しむ方法を模索する。


とか・・・・

一番よく例題とされる失恋した時の対処方法がわかりやすいかもしれません。


「あの人に去られたら私はもう生きていけない、傷ついた・・悲しい・・・悔しい」


よりは


「あの人が去った・・・・以上!」


で、終わらせれば一番良いのでしょが、そうもいきませんからね。。。。。


終わらせる事ができないのならば・・・・


ちゃんと考える事が大事なのです。


「あの人」は自分にとってどういう存在だったのか・・・・それを紐解き、物語を作るのです。


物語ができれば自分の中で「あの人」が去った理由が明確になります。


それはすぐにわからない場合もありますが、、、、考え続ければいつかはわかります。


それまでこの問題は棚上げです。

忘れておく事が大事。


それは問題に蓋をするのではなく、問題を棚に上げて、いつでも必要な時に取り出せるようにわかりやすい所に置いておく。


何か符号するシグナルをキャッチできた時にすぐに棚から降ろせるようにね(#^^#)


それまでは棚上げして、今、目の前の事を全力でやる。そしてそれを楽しむ。


どうしても人は気になる物を持っておきたい傾向にある。


知らんぷりできないのです。

棚なんかに上げたら勿体ないと思っているフシがある。


心は起きている現象を「問題」としてとらえるのが好きなのです。

深刻さが好きなのです。


悩む事が好きなのです。


こういうと今、悩んでいる人に怒られそうですが、、、、


私はこの悩むの好き、深刻になるのが好きと言う心の持ち方がよくわかるのです。


私は悩むのが本当に好きな若者でしたから・・・・(^-^;


なんだかそっちの方が生きてるって感じがしたわけですよ・・・・・でも。。


それはマズイやり方だったのです。


今は悩みません。。。その変わりに考えます。


しっかりと考えます。



私が今までに相手からふられた男は3人です。


その3人とも、ふられた理由はわかりますし、反対に出会った理由もわかります・・・・(^_^;)


そこで出た結論は


「みんなごめん・・・・」です。


一番悪かったのはワタシでした。


世間的には私を捨てた相手が加害者のようになっていますが、実のところ私が加害者でした。


私が仕掛けた事でした。被害者の自分に酔っていたわけです。


不幸な自分が好き・・・みたいな感じでしょうか?本当に顔から火が出るほど恥ずかしい過去ですが・・・・それも自分ですし、今となってはよい経験であったと思えるから不思議です。



人は時期が来れば、必要な人に出会い、必要な時に変化していくのですよね。


だからその時期が来るまで、しっかりとやるべき事を丁寧にやり続けていく事がとっても大事な事なのだと私は思うのです。


まずは良い悪いで物事を見るメガネを外す。


まずこのメガネを外す訓練から初めみてはいかがでしょうか?


私も面白がりながらこの善悪3Dメガネを外す訓練を今、やっております。


結構、エキサイティングですよ。