こういう事を言うと非難ゴウゴウになりそうですが(笑)


私は基本、イノチはそんなに大切ではないと思っている。


それはどんなイノチでもです。


大事なのはイキザマであってイノチじゃないと。


しかし世の中は「イノチ」より尊いモノは無いと言う考え方が印籠となり、その言葉を言えば、なんでも許されてしまうような雰囲気がある。


子共の頃から教えられる概念だから。


この道徳心・・・・まぁ間違いではない。


子供達にはそう教えたほうがいい。(はず)


しかし大人になると自分に都合の善いように、この言葉を利用する。


命は大切だから~これをしないといけない的な(笑)


イノチが大切だと言う道徳心を利用して、違う意味を加わえる事で経済活性化を狙う。


だからおかしくなっているように思うのです。


イノチを人質に取ると言う感じでしょうか。。。。


人質に取られたから、怖いので言いなりになった所でですね~イノチが助かると言う保障はどこにもない。


まして苦悩、苦痛が漏れなくついてくると言うオマケ付です。


具体的に何が言いたいのかと言うと、、、、私達は医者の言いなりになる必要はないと言う事なのです。


医者の言いなりになれば健康になると思ったら大間違いです。


反対に病気がどんどん出てくる事もあるのです。


自分で健康になる・・・・まずはそこからです。


以前に書いた事がありますが、「症状」は「治療」だと。


症状は体が病気を治していると言う証拠なのです。


そして・・・・自分自身に身体の不調を伝えてると言う事です。


体は私達が、どんなに身体に対して思いやりのない行為を毎日していたとしても、、、回復させると言う仕事を全うしょうとしているのです。


宿主にどんなに痛めつけられようともです。


健気です。


回復が追いつかない時には、より症状を強く重くして、私達に「動くな!安静にしろ!」と回復に専念できる環境を作ろうとしているのです。


食欲がない・・・・・


カラダはおそらく食べるな!と言っているのだと思うのですが、食欲がない事が悪だという考え方が一般的ですからね。。。。無理やりにでも食べようと、食べさせようとします。


これではカラダはたまったもんじゃない!


食べたくない時は食べない方がいい。。。。。。


朝ごはんは食べないといけないと言うこの考え方は様々な弊害を作っています。



・・・・私は結構つらかったです。(笑)


朝食善説
朝食悪説


肉食善説
肉食悪説


色々とあります。


それなりにその説を唱えている人のハナシを読むと、なるほど~と感心させられるのですが・・・


これほどまでに相反する意見が有象無象に出て、結局何が正しいの???となる。


朝ごはん食べた方がいい。
朝ごはん食べない方がいい。、


肉食べないと元気がでないよね~
肉食べたら血が汚れる~


もうどうでもいい"(-""-)"と投げやりになります。


結論、私はどうでもいいと思っています。


食べたくないものを無理に食べる必要はありません。


食べたいなら食べたらいい。。。。


肉も食べてどうもなければ食べればいいし、食べて具合が悪くなるようなら食べない方がいい。


要するに自分の身体の声を無視し、外の声ばかり気にして、何が正しいのかを判断しょうとするからおかしくなるわけです。


自分のカラダのリズムを感じて生活をするようになると、朝はどうしても消化器系が何か固形物を入れると言う態勢が整っていないと感じるから私は食べないだけです。


そして実際に毎日、半日断食をして、白湯飲むようになり、格段と元気になっていったから続けているだけです。


水に色がついていないもの(水か白湯です)を常飲するようになりカラダは本当に軽くなりました。


頭痛も減りました(今はほとんどありません)


どうしても午前中は排泄(出す)の方向性を身体に感じるので、何かエネルギーのあるものを身体に取り込むと途端に苦しくなるのです。


出そうとしているのに、上からまた押し込んでいる感じです。


出すと入れるを同時にするとカラダは混乱してきます。


まぁ神経質だと言われればそれまでです。


そうなんです1m単位のこだわりの世界を身体でやっている。


なので面倒な事が多くなるのも確か。


しかし気持ちの良いカラダを目指すには、ある程度高いハードルを課さないと気持ちいいカラダは実現しません。


カラダって本当にどんくさいんですよ・・・・カタツムリの歩みのごとくですからね・・・・高い目標を目指しても、結局はとんとんと言う感じになります。


そういう面倒なカラダだからこういう生活をしているわけですが、、、、、私のやり方が正しいと言っているわけでもなく・・・・これをやれば皆、健康になるよ~と言っているわけでもありません。


やってみてカラダが気持ちいいと感じたらそれは合っていると言う事です。


ほかにも


「眠い」と感じたらカラダは寝たいと思っているのです。


「だるい」と感じたら動きたくないと思っている。


そういうカラダのシグナルを無視する・・・・と、無理をしていると言う事になる。



ただ現代社会で生きていると、、、、身体のシグナルばかり気にして生活もしていられませんからね、それなりに折り合いをつけていく、術を身に着けるしかありません。



何か不調があったなら・・・・身体のシグナルと思い、、、、、「どうしたの?」と問いかけて、感じて、考える。


身体と会話して、それに応えていくクセをつけてみると、病院に行く回数も減るのではないでしょうか?


身体のシグナルがあったら、そのシグナルを聞こうとも、見ようともせず、これは大変、これは悪い事が起こっていると思い、すぐに病院に行き、他人(医師)に自分のカラダの悩みを聞いてもらう・・・・ような・・・無責任な事をしないような心構えがあればいいですね。


身体のシグナルは身体が正常に働いてるという証ですから。


自分の身体の悩み、、、、、聞いてあげるのも大事な事であり、元気にいる事の秘訣なんだと思うのです。


人の悩みを聞けと言っているわけではありません。


一番身近な自分のカラダの悩みぐらいは聞いてあげてもいいかもしれませんね。


もちろん身体の声を聴いた後に、その確認の為に病院で検査して、照らし合わせをする事もありです。


ちゃんと考えつつ臨機応変に柔軟に(^.^)がポイントですね♪