先日、久しぶりに本屋に立ち寄った。


最近では部屋にモノが増えるのが嫌で、もっぱら本は図書館利用。


元々、そんなにモノがある部屋ではないのですが、それでも

余程でないと物を買わないようになった。


今回は近藤誠さんの新書が出たので、それを買う為に立ち寄ったのだ。


近藤さんの本は保存版なので(笑)


しっかりと熟読しましたよ。


大事な箇所は付箋攻撃ですから(笑)



おとりの人間万事塞翁が馬


で、久しぶりに本屋に寄ったら物珍しさもあって、本屋中

グルグルグルルルルルル┏(・o・)┛┗( ・o・)┓┏(   )┛┗(・o・ )┓┏(・o・)┛

と店内を徘徊、面白くて長時間滞在となってしまった(笑)


本とテレビドラマと言うのは現代社会が直に反映されているので、社会の無意識がよくわかるのだ。


今年に入り、そういう事から少し離れたくてマスメディアから足を遠のけていて、テレビ、雑誌、本を見なくなった。


もっぱら内面の旅に没頭していた。


そういう半年があったから瞑想も楽にできるようになったようですが・・・・


最近は少しづつテレビドラマ数本をDVDで録画して見るようになった。


で、CMを飛ばして、1時間の番組を30分くらいで見てしまう。


ドラマ以外はほぼ見ていない。

リアルでの番組は見なくなった。

リアルだと必要のないものは早送りできないからだ。


テレビドラマについては、また今度書くとして、今回本屋に立ち寄ったら・・・・


なんと映画化、ドラマ化された書物の多い事にびっくりした。


映像が優先で、その後に活字がついてくると言う感じである。

まぁ私が入った本屋が特別そうだったのかもしれませんが、棚に並んでいるのは映画化、テレビドラマ化された物語を書籍化したものが中心に並んでいた。

そして売れ筋として村上春樹や東野正吾、湊かなえやら・・・売れっ子作家の本ばかりが目立つ・・・・


電車の中で読書している人が、とっても少なくなったのは気づいていたが・・・・・

やはりスマートフォンの影響でしょうかね。


ちなみに私はまだガラケーです。


映像の方が自分でイメージ力を使わなくていいので楽なのはわかりますが、人が作った固定されたモノばかり見ていたら心のイメージ力が弱まりそうで空、恐ろしくなります。


あと漫画が多い。
これは昔からですけどね。


一時、放射能に関しての本ばかり並んでいた場所にはアベノミクスを中心に政治経済関連が並ぶようになっている。


健康関連には「肉食うな」「肉食え」と正反対の主張の本が横並びになっているのも笑えた。

人文には相変わらず「引き寄せの法則」や「ホ・オポノポノ」のような運命変えるぞ!的な内容の本が市民権を得たようにゴソッと並んでいる。

これだけ並んでいると言う事は引き寄せの法則を欲している人が多いと言う事なのか???


引き寄せの法則・・・・ねぇ~


気持ちはわかるが。。。。。

これって宝くじみたいなもので、漏れなく全員に当たるものではないと私は思っている。

でも、多分これを買って読む人は全員が漏れなく引き寄せられると思って買っているのではないかと・・・・想像するわけです。


こんな偉そうな事を言ってますが・・・・私も一冊持っている(」゜ロ゜)」

ザ・シークレットっていうの・・・


読んだのはもう大昔で内容はどんなだったか詳細は忘れたけど、「法則」と言うほどの法則じゃ~ないんじゃねぇ??と正直な所思った事だけは覚えている。


この引き寄せの法則を批判しているわけでもないし、否定しているわけでもない。

もちろん肯定しているわけでもない。


ただこの引き寄せの法則に当る人は必ずいるわけです。

しかし「法則」と言ってしまったら、それは万人に、漏れなく適応されるものであると勘違いしてしまうのではないかと思ってしまうわけです。


この法則通りやって当る人、当らない人って・・・

どれくらいの割合になるのか・・・・・多分、、、、恐らく・・・

当らない人の方が断然多いのではないか????


だったら法則と言う言葉で語るのは誇大広告にならないのか??と(笑)

浪花の商人魂バリバリの根性がひん曲がった私としては思うわけです。


イノチの向かうベクトルは、、恐らくですが「欲望を満たす」ベクトルではないと私は思うからです。

ただもう少し世界を引いて見ると、イノチに目的も意図も使命も天命も意味も無いと私は思っています。

ただそこにイノチがあるだけ、
世界が在るだけで、

そのイノチを、その世界で生きている。。。。いや生かされているだけ・・・


でもそうやって考えると、生きるのが空しくなるので、とりあえずこの世界を生きるゲームと言うか舞台の上に立っている者としてはそれなりに、その世界の目的や意味を見出して生きていく事が大事だと思ってはいます。


そして人生が思い通りにならない事が面白いと、イノチは思っているのではないかと、思うフシもあります。


だって喜怒哀楽、ハラハラドキドキがあって始めて、ゲームは面白いし、そういう舞台演劇を見たいし、演じたいと思うもの。


苦労なく育ち、お金にも苦労せず、家族団らん仲が良く、友達もたくさんいて、皆優しい。

仕事も順調で健康で毎日なんの障害もなく楽しく暮らしている。

お金も一杯ある・・・・


そんなドラマや舞台、本を見たいと思うか?演じたいと思うか・・・?


退屈で仕方がないでしょ。

敵もやってこない、何の障害もなく、すぐにクリアーできるゲームをやりたいと思うのか??


なので、、、引き寄せの法則で引き寄せたい事が自己の欲望を満たす事であれば、それを阻止しようとする意識も、もちろん自分の中に存在するのではないかと・・・・


オモローないでぇ~ってね(笑)


で、そういう無意識がある限り、意図通り自我が引き寄せたいと思っているモノを引き寄せられないとしょう。


例えば・・・・・

運命の男性をゲットしたい。。。

かっこいい男を引き寄せるぞぉ!!と引き寄せの法則に取り掛かる。


でも・・・・全くもってステキな男性は引き寄せられない。

近くにいる男は臭いオヤジばっか・・・・


あ~私のやり方がマズイのだ・・・

もっとちゃんと意識しないと!!

意識の仕方が甘いのだ!!

念じ方が弱い・・・・

と、どんどんストイックになっていく。

ネガティブな事を少しでも考えると途端に地獄に落ちてしまうような感覚にもなる。

サディステックにネガティブを排除し、

強迫観念的にポジティブを自己に強要する。。。


これってなんだか悲惨です。

痛い人になってます・。・・・

こういう人、わたしは知ってます。


時々は「アホ・バカ・ボケ・カス・ナス」と言うくらいの緩さが人生を楽しくすると私は思っているので・・・・


こういう人を見ると肩を持ってグラグラ揺らして「目を覚ませ!!」と言いたくなる。(笑)


言わないけど・・・

こういう人は怖くて恨みを買いそうなので・・・


もう少し揺るく考えていいように私は思うのです。

そして自分の現状を受け入れた方が簡単。


受け入れてから、、、、自分を変える作業をすればいい。


受け入れないと現状のイノチに感謝できないから・・・・

まぁ感謝しなくてもいいですが・・・


しかし経験上・・・

感謝できた方が自分を変化させやすいように思うからです。

謙虚な方が楽だからです。


もちろん似たものが集まると言う理論は間違っていないし、似たものが引き寄せられる。

なのでポジティブな方が明るい現実を作りやすいのは確かだろう。


で、願いを実現したケースだってたくさんある。


しかし全部そうじゃ~ないと言う事を認識した上で遊び感覚で引き寄せてみるぐらいが丁度いい。


「思考は現実化する」し「思考は現実化しない」


両方当っている。(と、私は思う)


思考エネルギーに大した力は、無いのではないかとも思う。


怖いのは「感情エネルギー」これ結構怖い(笑)


怒りのエネルギーは自分の肝臓を焼き尽くす(経験者は語る(笑))


もっと怖いのは自分の無意識


無意識が何を仕掛けているのか・・・・

自分の現実を見ていると時々、怖くなる事がある。


「てめぇ~は一体何をしようとしてるんでぇい!!!」


と。。。。 自分の無意識に叫びそうにある。


全然答えてはくれないけど。



要するに簡単に考えればいい・・・・・


この世の中の人間全員が自我で思った通りのものを引き寄せ、自我の思い通りの人生を歩む事ができる法則がこの世の中に存在するのか???と言う事を考えればよいわけです。


しかし、、、、違う側面でこの世界を見ると、100%思い通りの世界になっているとも言えるわけです。


視点が違うだけです。

見る角度が違うのだと思うのです。


舞台の演者に成りきって見る風景なのか、舞台を作る監督側が見る風景なのかで見え方は違うからです。


引き寄せが可能な領域と可能でない領域があり、また引き寄せられる確立も領域によって変化してくる。



それに・・・・・


生きているうちは全てがプロセスなので・・・・・結果は死ぬ時の一瞬にしかない。。。。


もしかしたら死ぬ瞬間もプロセスかもしれませんしね。


輪廻という概念がある人達にとっては死んでからもプロセスでしょう。


そういう観点から言うと
思うものが引き寄せられたとしても、それは一瞬の事。

それはまた変化していくもの。


引き寄せの法則は「引き寄せ遊び」程度にしておいた方が無難。


で・・・私の結論としてはですね。



「全ては現在に既に在る」と思える精神を作る方が早いような気がしないでもありません。