外は大嵐です。

不謹慎かもしれませんが・・・・・

台風は大地の大掃除をしてくれているようで結構好きです。

呼吸の話しの続きです。


呼吸と言うのは毎日、自動的に行なっているのですが、その自動的と言うのがまた問題で自動的だから無意識レベルの影響を受けてしまいます。

まあ無意識だから忘れる事なく呼吸をし続ける事ができて、イノチを繋ぐ事ができるわけですが。。。。

なので無意識を抑圧している場合には、どうしても浅く早くなってしまう傾向にあるわけです。

もちろん身体機能と言うのは、ほとんどが自動的に行なわれているので、どんな機能も少なからずも無意識が大きく関係しているわけです。

自分自身であるにも関わらず自分の思い通りにならないのが身体と言うものです。

もちろん自分の心だって思い通りになりません。

自分だと思っている体、心でさえも思い通りにならないわけですから、外側を変えようと思っても変わるわけがない・・・

思い通りになるものなんて何一つない・・・そう私は思っているのです。

だから努力するしかないのでしょうね。
私達人間のできる事はたゆまない努力しかない・・・・ほんとそう思います。

 

話は呼吸に戻します。

小さい頃、親からも先生からも正しい呼吸の仕方は教わりませんでした。

大人になってからも呼吸は大事だと言う事は聞くことはあっても、どうして大事なのか、どういう呼吸が正しいのかを教えてくれた人はいませんでした。

ヨガをやるようになり呼吸法と言うモノを体験し・・・・私は全然呼吸できてない!!と実感しました。

体がガチガチに緊張して呼吸が入っていかないのです。

恐らく呼吸をちゃんとしたら無意識が刺激されてしまい、抑圧しているものが出てきてしまう恐怖を感じていたのかもしれません。

ただただ無意識を刺激しないように私は静かに静かに呼吸をしていた・・・・・・・・

意識を揺るがすような呼吸なんてしたくない!!そんな無意識が働いていたのかもしれませんね。


それぐらいに呼吸と言うのは無意識を刺激して浮上させるものなのですよね。

まぁ私は普通の呼吸がどんな呼吸かわからなかったのだと思います。

しかし私の無意識は暴発寸前で、限界すれすれだったのでしょう。

あのまま何もせず過ごしていればきっと今頃はこの世にいない事だったと思います。

しかし私のイノチのベクトルは「生」の方向に向かっていました。

自己の刷新をはかるべき、物事は着々と進んでいったのです。

今に至る経過については昔のブログ記事を読んでもらえればわかるので割愛しますが、私は呼吸法と出会い、本当に元気になりました。

カラダはもちろんですが心が元気になるから不思議です。

呼吸。。。ほんと大事です。
呼吸がちゃんとできている
それだけ人生は変わってきます。

不思議な事ではありますが

「息する」

ってほんと不思議な行為です。

死ぬ時には

「息を引き取る」

ですから・・・

やはり「イノチ」=「イキ」と言う事に繋がるのでしょう。

基本的には日常の呼吸ができていないと、急に特別な呼吸法にトライしても、上手にはできないのです。


先日、からだはうすで月に一度のブレスワークがありました。

からだはうすの月一呼吸法クラスは特別な呼吸法です。



とりあえずイキのミチを作る作業です。

参加者の一人が少し呼吸し始めると途端に目の前に砂嵐が見えると・・・

日頃から息をちゃんとやっていないから、意図的に呼吸をして息が体に入ってくるとクラクラするのでしょうね。

日常的な慢性的酸欠状態です。

それが呼吸すると血中の酸素濃度が高まり、軽い過換気症候群みたいになって変性意識状態になります。



目の前に星が飛んだり、砂嵐が見えると言いながら、彼女は苦しいけど気持ちいい見たいな苦悶の表情で一生懸命呼吸していた。

彼女は見る見る変わっていきました。生きるのがだいぶ楽になったようです。



呼吸がしっかりとできるようになるとまずカラダが楽になります。

息が詰まってくると生活と言うか人生そのものも行き詰まりになってくる事が多い。

どっちが先なのかわかりません。

人生が息詰まるから呼吸が浅く息詰まるのか、
呼吸が浅く息詰まっているから人生が息詰まるのか・・

まぁどちらでもいいのですが、要するに呼吸と生き(息)様は密接関係していると言えるのかもしれません。

恐らくですが、呼吸がゆっくり深く余裕のある状態で吸ったり吐いたりできると、精神的にも余裕が生まれます。

呼吸がゆったり深くなれば心が落ち着いていられるのですね。

心が安定してきます。

安定して余裕な精神で物事を俯瞰してみる目が出てきます。

そして現実の見え方が変わってくる。

現実の見え方が変わると言う事はどういう事かと言うと、様々な仕組みがわかってくる。

現実世界の仕組みさえわかれば、様々な紆余曲折に対して心を乱される事がなくなるのです。

呼吸のわらしべ長者みたいなものです。

人は生きているとどんなに幸せな人生を歩んでいたとしても、毎日のやるべき事の中に面倒な問題は発生する。

それはどんな人も同じです。

生活と言うのはそういうものなんですよね。

山の中で隠匿生活をしていれば別ですが、社会という枠組みの中にいれば、何かしら面倒なことに遭遇します。

「もう!!!」と言う事も毎日のように起こる(怒る)わけです。

ただそれを正しい表現の仕方で出してしまえばいつまでも尾に引かないわけです。

生活していて起こってくるエネルギーのデコボコは仕方がありません。

それを無くす事はできません。

ただそのデコボコは本来泡のように消えてなくなるものなんです。

現実化して表現されてしまうと消えるものです。

水面からボコッと泡が出て消える。そういうものだと私は思うのです。

しかし人は心に余裕がなく、物事を正しく見る事ができないと、その人生の波乱万丈デコボコの泡の幻想をいつまでも追って、その幻想に苦悩するようにワタシは思うのです。

すでに消えてないにも関わらず、余裕のない心の中でいつまでも幻想を見ているのです。

幻想というよりは妄想なんでしょう。

すぐに終らす事ができずいつまでも怒っているタイプの人は消えた泡ぶくの妄想に次の現実の嫌な事を投影していつまでも嫌なことを引きづっていき。

怒りたい人は怒りたい出来事を引っ張ってくる、怒りと現実を結びつける天才が世の中にたくさんいるのですよね。



まぁ話は長くなりますが、
要するに

ただ呼吸をゆっくり深くして、体に息を行き渡らせるだけで恐らく人生はかなりの確立で好転してくるとワタシは思っています。

息を正しく行なう事でできれば生きる事も正しくなるように思うのですね。

元々正しい呼吸ができている人にとってもなんてことない話ですが、意外に呼吸が上手くできていない人はとっても多いのです。

このストレス社会に生きているとどうしても息が浅くなってしまうのです。

満員電車に乗っているとよくわかるのですが、息を一杯吸えないのです。

人のエネルギーが充満して、それを自分に取り入れたくないと言う無意識が働いているのがよくわかります。

浅い息になるのは仕方がありませんよね。

しかし、日常的に深呼吸の練習をしていく事で、呼吸が楽になってくると、身体の変化が必ず現れます。

カンタンな変化としては声に深みが出てくると言う人も少なくありません。

他にもため息の数が減った、頭が楽になった、変な思考の樹海にはまりにくくなった、肩こりが軽減した、行動判断に落ち着きが出てきたというような声も聞きます。



私がヨガを始めた頃はヨガ人口も少なく教室自体が少なかった。

オウムの事件があってヨガと言うとなんだかオカルテックなイメージがあったせいもあるのでしょ。

しかしマドンナがやっているという噂が世界中に広まるといっきにヨガはブームとなった。



ヨガはポーズだけを言うわけではありません。

アーサナとメディテーションとブレス。


この3つを総称してヨガと言われています。

なのでヨガがブームになり呼吸法というものが、いっきに一般のカルチャーとして受け入れられるようになった。



流行って私はあまり好きではありませんが、この流行はよい傾向だな~なんて思います。



カラダの具合が悪いから医者に行くという発想から、ヨガで身体の不具合をそれぞれ各自が調整してしまうというのが一番理想的だからです。

なのでたくさんの人が呼吸法を知り・・・・深い気持ちのいい呼吸を普通にできるようになり、カラダを動かし緊張をほどくことで・・・自ら体調調整ができる。。。。

そういう風になれば、みんなが良き人生、良き死に様を得られるのだ私は思っています。

生きているうちに正しい呼吸を身に着けて、死にいくときにキレイに息を引き取りたい・・・・私はそう思うのです。



白湯・・・・少食・・・・よく寝る・・・・



そしてよい呼吸をする。

これが私の推奨する健康法です。


どれもお金がかかりません。



からだはうすの呼吸法のクラスは若干お金がかかりますけどね(笑)