知らぬ間に、前回のブログアップから10日も経っておりました。
と、言う事はお盆休みから10日経ったと言う事ですね。
ほんと何もしない間に時が経っている、、、
少し焦りに近いモノを感じつつもバタバタした毎日を過ごしている。
本当は少し生きる事の仕切りなおしをしてみたい気がしないでもない。
ただ私が背負っているモノをすぐさまに下ろしてしまう事への躊躇がある事も確か。
こんな事を言いながら、、、昨日と同じ明日を過ごす事になる。
まぁ「昨日と同じ」と言うと厳密に言えば違うのですけどね。
今、目の前のある事に全力を注ぐ事の大切さ・・・・それはわかっている。
そしてやる限りは引っかかり無く気持ちよくやる。。。。これも心がけている。
ただイノチと言うモノを大きい眼で見た場合に。。。これでいいのか??と疑問に思うのも確かである。
特に私は通常の形態をとっていない分、特化した部分として何か極めないといけないという焦りと言うのがもしかしたら無意識にあるのかもしれませんね。
生きるのはほんと難しい。
外側に対しての不満が極端に少なくなると・・・現実がとっても生き易くなる。
現実を受け入れるって楽なんだ~と最近、特に実感している。
「これで行く」と決めれば迷いはない。
ある一定の枠の中でという前提ではあるのですが、全てにおいて自由にさせてもらっているのでストレスは、ほぼない。
まぁ現実がそうだから不満がないのか、不満がなくなる事で現実の捉え方が変わるのか、、、、どっちが先なのか私にはわかりませんが。。。外側に気を取られなくなると自分を鑑みる事が多くなる。
そうなると自分のイノチへの疑問みたいなモノが湧いてくるのです。
仕方がありません。
戸隠神社奉納舞踏が終わり・・・・なんだか中々、戸隠から意識が離れずにフィードバックするのに1週間もかかってしまいました。
やっと少し戸隠から意識が離れてきたようです。
今回、東京から14名+2歳児で戸隠に向かいました。
現地で3名と合流し総勢17名の大所帯で戸隠神社奉納、神殿舞踏を行う事になった。
なんだか天気予報を見ると傘マークがついている・・・・・・・昨年も雨に降られた。
なので雨でも、公演ができる事はわかっているし、九頭竜さんの歓迎だと思えるので雨でもやぶさかではないが・・・・それでもやはり雨はやりにくい。
屋外で、精密機械である音響機材を扱うのはもの凄く気を使うし、それ以外にも、道を照らす行灯も消えてしまうし、看板や旗印なども塗れてしまう。
踊る時は雨でも問題ない。。。。ほとんど裸に近い衣装だから塗れたところでどって事ない。
しかし作業は晴れている方がしやすいのは確か。
奉納ですから、神様に対して踊りますので人間の観客がいなくても、もちろん踊ります。
しかし見に来てくれる人は毎年、増えてきている。
雨の中、立って見てもらうのは申し訳ないという気持ちにもなる。
神殿舞踏は今回で15回目を向かえる。
第一回は伊豆の大室山の麓でタカハシさんが一人で踊った。
人間の観客はだれもいない。関係者だけ。
それでもタカハシさんは全身を白く塗り、大室山と一体になり縦横無尽に踊っていた。
最期は桜の木から降りれなくなって終わり(笑)
二回目はやはり伊豆の海岸にあるお寺の駐車場で・・・・・
海と風の音をバックに桜の木と一緒に踊っていた。
この時には発電機が火を噴き・・・・動かず、ピンスポを使う事ができず、みんなが照らす懐中電灯を照明にして踊っていた。
その時の観客は神様とタカハシさんの友人である管さん一家の一組。
それから何年がたっただろう。
今では知らない人もたくさん見に来てくれるようになった。
東京からも見に来てくれる方もいる(らしい)
ただ私達はそういうのを経験してきているせいか。。。どうかわからないが、観客がいなくてもなんちゃないと思っている。
大きな存在が見ている。
それがわかっているから人の目は気にならない。
自然とコミニュケーションをとり表現していく事で、私達人間は自然を含めた様々な眼に見えないモノが在ると言う所にいけるかどうか・・・・私はそうい事にチャレンジしているものかもしれません。
言葉の世界ではない、生命の在る側に・・・・・それら眼に見えないもの、スピリットを肉体に憑依させる。。。そういう事ができるのか・・・・
生と死が出会う場所に
陸と海が出会う場所に
闇と光が出会う場所に
そにこ立ち尽くしてみたいと私思う。
今回、私はギリギリまで踊るかどうか実は迷っていた。
先回、三陸月見岬での鎮魂の舞踏では踊らなかった。
行く前から・・・・・踊るのは無理だろうと思っていた。
何万人も亡くなった土地で、死者を観客として踊るのは恐れ多い・・・・私にはそれだけの精神の清らかさはない。
あの津波にのまれた場所に行ってより核心した。私は踊れないと・・・・。
いつも一緒に踊っている憑依体質のホッシーは、塩釜神社からほとんど自分ではなくなっていた。
いつもの「シューーシューしゅるしゅる」が始まり、月見岬に着いた途端に「生きたい!」「生きたい!」と悲痛な叫びを連呼し始めた。
月見岬にいる間、ずっと彼女は死者と対話していた。
まぁそれがどうのと言う事ではない。
それは私の役目ではないから、それができないから踊れないと言う事ではない。
私にはまだ森羅万象のイノチ、、、眼に見えないモノと対峙するだけの器が備わっていない。
月見岬で私はそれを痛感した。
タカハシさん、カネモリ、ホッシの踊りはすばらしいものだった。
満月に照らされた海をバックに彼たちは死者への鎮魂の舞を披露した。
踊った三人の様を見て・・・・私には死者と出会う場所に立てるだけ精神が成熟しているのか・・・それだけの魂の素直さを持っているのか・・・・
異質なエネルギーに寄り添えるだけの器があるのか??自分の肝の小ささを見せつけられたの。
器も無ければ覚悟もないと・・・・・・
なので神様の前なんて踊れないよな~と。。。。物凄く怖かったのだ。
自分をどれだけ晒す事ができるのか・・・・・自分の殻の固さを痛感したし・・・・・へこんだ(笑)
で、今回、そこからまだ立ち直っていない自分がいた。
戸隠では一昨年と昨年の2回踊った。
でも月見岬を経験した私にとっては、経験がある場所であっても怖い・・・・魂を晒す・・・・できねぇ~って感じです(笑)
このカチカチのハートでは無理でしょ・・・・と・・・・ちょっと後ろ向きな私。
踊るかどうかはその時に決めよう。。。。そう思った。
流れに流されないでちゃんとその場所でokだよというサインを見つける事ができたなら踊ろうと・・・・・決めた。
ほんとギリギリまで迷っていた。
大雨の中、作業しながらも自分でもびっくりするぐらいに・・・・・・
続く・・・