昨日、「千と千尋の神隠し」やってましたね。


途中からですが見てしまいました。

もう何度見たでしょう。


「トトロ」と「千と千尋」は何度見ても感動して号泣しますよね。


どこが???って


サツキとメイがバス停でお父さんを待っている時にトトロが一緒に並んで待つ・・・あのシーンです。


あのシーンは何度見ても号泣です(笑)


ととろっぉぉぉぉ(T▽T;)


って泣いてますよ。


千と千尋の涙シーンは・・・・おにぎりですかね。


泣きながら白からもらったおにぎりを食べるシーンです。


まぁジブリは50前のオバハンの心の琴線にもガンガン触れる映画だと言う事でしょうね。


そんなこんなで最期まで見た・・・・

エンディング、あの歌が流れました。


「いつでも何度でも」


呼んでいる~胸のどこか奥でぇ~


っていうのです。


著作権があるのでコピーはできませんが・・・・


あの歌を聴くと私は8年前に死んだしぶリンの事を思い出す。


千と千尋の神隠しはしぶリンと映画館で見た。


しぶリンはこの歌が大好きでCDを持っていた。

映画を見てから買ったのか、映画を見る前から持っていたのか忘れたけど。。。。。


彼女はこの歌が大好きだった。


一番好きなフレーズは最期の章。


ゼロ

になるからだ、充たされていけ

海の彼方にはもう探さない

輝くものはいつもここに

私のなかに見つけられるから


このフレーズが好きだと言っていた。


ただ映画の内容にはピンと来なかったようだけど(笑)


私には湯屋はなじみがあって、なんだか故郷みたいな雰囲気だから・・・・とっても感慨深かった。


以前にもこのブログで書いたけど、勤めたいた病院は西成の飛田遊郭の近くだった。


湯屋のような建物がたくさんあった。


なんだか懐かしいな~あんな妖怪がぎょうさんおったな~なんて思った記憶があった。



そうそうしぶリンですね。


私はいつもこの千と千尋の神隠しを見るとしぶリンの事を思い出す。


彼女は私と同じ年。


私が東京に来て、初めてできた友達だった。


全く性格が違っていて、ベースにあるものの基盤も違っていたにも関わらず、なんだか一緒にいて疲れない相手であった。


彼女は40歳の時に子宮ガンの末期で死んだ。


表向きは病死ですが、私からみると緩慢な自殺に見えた。


死んでいく彼女を見ているとなんだか苛立ち、腹が立ち・・・・耐え切れず私は彼女と距離を置いた。


それから距離を縮める事もなく、次に会ったのは死んでからだった。



彼女は世の中の不幸を全部背負っているかと思うほどの生き様だった。


お父さんはアル中で暴力を振るう人だった。

母親は宗教にはまっていた。

弟は知的障害があり意思疎通はあまりとれない手のかかる弟であった。


もちろん父親は仕事もろくにしない。

家は貧乏のどん底だったと言っていた。


そんな中で彼女がまだ小さい頃(小学生の頃)、朝起きると母親が布団の中で冷たくなっていたそうだ。


「私人生に疲れました~一抜けました~」と言ったかどうかは知らないが子供達を置き死んでいった。


そこから彼女の心は凍りつき、扉は硬く硬く閉ざされたままになった。


次にその心が開いたのは死ぬ間際だった。


彼女は布団の中で冷たくなった母親を発見したその時から自分で考え、行動することを止めてしまった。


母親の葬式の時に親戚一同が集まり、彼女と重度の知的障害のある弟をどうするか会議が開かれた。


もちろん・・・・施設と言うことになり、彼女は成人まで施設で育つ事になる。


施設を出て父親と何度か一緒に住んだ事もあるらしいが、暴力があったり、父親の寝タバコで家が火事になったりと・・・・色々は不幸に見舞われた。


そんな父親も肝臓ガンで亡くなり、残されたのは知的障害でコミニュケーションもほとんどとれない弟だけ。


ただ彼は国の保護を受けているので、一生施設暮らしでお金にも困らない。


しかし彼女は自力で生きていくしかない。


彼女は会社の同僚と不倫関係を長期間続けていた。


その会社も倒産寸前で社員からアルバイトになり給料は半分になった。


それでもその彼と一緒にいたくてその会社にしがみついた。


家賃も払えないようなバイト料であるにも関わらず、彼と離れたくないとその会社にい続けた。


その挙句借金まみれになり・・・彼女は病魔に倒れた。


体の異常は感じていたが、お金が無かったので病院に行くのが遅くなったのだ。


子宮から出血が酷くなり、貧血状態で動く事もままならないような状況になって初めて病院に行った。


ガンが発見されて4ヶ月で死んだ。早かった。




彼女は「寂しい」という言葉を言ったことがなかった人だった。


私は年がら年中「死にたい」「寂しい」「殺してくれ」と言っている人なので、「寂しくないの?」とよく聞いた。



彼女は「別に寂しいとは思わないよ」と言っていた。


ただ亡くなる前の年のお正月に、私が実家の帰省から帰り彼女と新年会をしたとき、「正月1人でアパートにいて初めて寂しいと感じた」と言っていた。


「うんだ♪うんだ♪そうやろ~寂しいやろ??それが正常なんだと思うよ」と言ったことを思い出す。


その年の秋に子宮ガンが発覚し、次の年初春3月、突然に逝ってしまった。



彼女の事を語ると長くなる。


でも、時々こうやって思い出す事が彼女の供養になるような気がするのです。


私にとっての千と千尋の神隠しは彼女と見た最後の映画で、彼女を思い出す主題歌なんですよね・・・・・


あの映画がある限り、彼女はこの世から消えない・・・・

私が生きている限り、私の心の中に彼女の存在はある。


なので私は時々こうやって彼女の存在を記していきたいと思うのです。