三陸沖の海産物、特に養殖の牡蠣や海苔の繁殖成長が著しく、なんと2倍の速さで育っているそうだ。
地区では昔から、「津波の後は貝類の成長が早い」と言われていた。
科学的に言うと、津波で流された土壌の窒素系養分が、海中に多く溶け込んでいる可能性から海中の栄養分が豊富になり、海産物の成長が早くなっているという事だそうだ。
要するに土壌を耕す事と同じで海底を耕した状態になっていると言うのだ。
自然の摂理ってスゴイですよね。
これで三陸海産物の再生復興が早まればいいのですが・・・・
昨年の秋に会社の取引先の関係で三陸海産再生プロジェクトを立ち上げた、石巻の水産加工会社の「木の屋」さんの缶詰を皆で購入した。
震災後、津波で流された缶詰を拾い集めて泥を落として販売を開始されたのです。
私達も協力できる限り購入しました。
一個500円でしたが、ラベルがないので中身が何かわからないのです。。。。
そのラベルの代わりにメッセージが一缶一缶書かれていました。
「ありがとうございます」と・・・・・「出会いに感謝します」と・・・・
家に帰って開けると缶詰の中身は色々でした。
どれもとっても美味しかったです。
津波で流された缶詰を拾い集めて販売するまでには、物語があります。
3.11の時にたくさんの港と水産加工工場が津波に流されました。
この木の屋さんも全部流され、スタッフで亡くなった方もいたようです。
工場内にあった機械類と一緒に缶詰何十万個も流され、全てが泥まみれになりました。
その泥だらけになった缶詰を拾って販売するきっかけになったのが、被害直後に東京で親交のあった飲食店の方から
「泥だらけでもいいから送って」
という言葉がきっかけだったそうです。
そっか。。。。中身は問題ない・・・だったら洗って販売できる・・・と。
その東京の飲食店では泥だらけの缶詰を一缶一缶丁寧に洗浄し、状況を説明して販売をはじめました。
その噂を聞きつけた人が、洗浄のお手伝いに集まりだしたのです。
その後、缶詰を使ったレシピを作り、そのお料理を出す「木の屋カフェ」が東京の世田谷にできたのです。
津波で流された何十万個と言う缶詰を泥の中から拾って、泥を落とすまでの奮闘記が映像になっているようです。
映像を撮っている目線が被災された方の目線で撮られているのがよくわかります。
たくさんの水産加工工場が壊滅的な状況になったようです。
復興までの間、ガレキに混じった海産物が腐敗しハエなどが大発生し衛生管理が大変だったと聞きます。
この映像を見て、私達が何気なく買った缶詰には色々な思いが詰まっていた事がよくわかった。
地盤が下がっていて中々、沿岸部に水産加工工場を再建するのが難しい中、そろそろ目途が立ってきたという話を今朝、会社のミィーティングで報告がありました。
この再生プロジェクトは漁師さんと水産加工会社と消費者を繋げる橋渡しの役目をされています。
国に頼るばかりでなく、自分達で自立して復興する事を目的とされている法人です。
震源から近い表浜小渕地区は150軒あった自宅が津波に流され、高台の20軒しか残っていない状況でした。
7割の漁船が流され、養殖施設は全滅。
そんな中で最近になり、ワカメの養殖施設がやっとこさ倉庫から出来上がってきていると言う話も聞きました。
少しづつですが。。。。前に進んでいるとの事です。
ワカメや貝・・・色々とあると思うのですが・・・・
三陸の海産物がしっかりと市場に出回れるように、微力ながらも私達消費者はバックアップしていければいいね。。。。と今日、話をしていました。
缶闘記
地区では昔から、「津波の後は貝類の成長が早い」と言われていた。
科学的に言うと、津波で流された土壌の窒素系養分が、海中に多く溶け込んでいる可能性から海中の栄養分が豊富になり、海産物の成長が早くなっているという事だそうだ。
要するに土壌を耕す事と同じで海底を耕した状態になっていると言うのだ。
自然の摂理ってスゴイですよね。
これで三陸海産物の再生復興が早まればいいのですが・・・・
昨年の秋に会社の取引先の関係で三陸海産再生プロジェクトを立ち上げた、石巻の水産加工会社の「木の屋」さんの缶詰を皆で購入した。
震災後、津波で流された缶詰を拾い集めて泥を落として販売を開始されたのです。
私達も協力できる限り購入しました。
一個500円でしたが、ラベルがないので中身が何かわからないのです。。。。
そのラベルの代わりにメッセージが一缶一缶書かれていました。
「ありがとうございます」と・・・・・「出会いに感謝します」と・・・・
家に帰って開けると缶詰の中身は色々でした。
どれもとっても美味しかったです。
津波で流された缶詰を拾い集めて販売するまでには、物語があります。
3.11の時にたくさんの港と水産加工工場が津波に流されました。
この木の屋さんも全部流され、スタッフで亡くなった方もいたようです。
工場内にあった機械類と一緒に缶詰何十万個も流され、全てが泥まみれになりました。
その泥だらけになった缶詰を拾って販売するきっかけになったのが、被害直後に東京で親交のあった飲食店の方から
「泥だらけでもいいから送って」
という言葉がきっかけだったそうです。
そっか。。。。中身は問題ない・・・だったら洗って販売できる・・・と。
その東京の飲食店では泥だらけの缶詰を一缶一缶丁寧に洗浄し、状況を説明して販売をはじめました。
その噂を聞きつけた人が、洗浄のお手伝いに集まりだしたのです。
その後、缶詰を使ったレシピを作り、そのお料理を出す「木の屋カフェ」が東京の世田谷にできたのです。
津波で流された何十万個と言う缶詰を泥の中から拾って、泥を落とすまでの奮闘記が映像になっているようです。
映像を撮っている目線が被災された方の目線で撮られているのがよくわかります。
たくさんの水産加工工場が壊滅的な状況になったようです。
復興までの間、ガレキに混じった海産物が腐敗しハエなどが大発生し衛生管理が大変だったと聞きます。
この映像を見て、私達が何気なく買った缶詰には色々な思いが詰まっていた事がよくわかった。
地盤が下がっていて中々、沿岸部に水産加工工場を再建するのが難しい中、そろそろ目途が立ってきたという話を今朝、会社のミィーティングで報告がありました。
この再生プロジェクトは漁師さんと水産加工会社と消費者を繋げる橋渡しの役目をされています。
国に頼るばかりでなく、自分達で自立して復興する事を目的とされている法人です。
震源から近い表浜小渕地区は150軒あった自宅が津波に流され、高台の20軒しか残っていない状況でした。
7割の漁船が流され、養殖施設は全滅。
そんな中で最近になり、ワカメの養殖施設がやっとこさ倉庫から出来上がってきていると言う話も聞きました。
少しづつですが。。。。前に進んでいるとの事です。
ワカメや貝・・・色々とあると思うのですが・・・・
三陸の海産物がしっかりと市場に出回れるように、微力ながらも私達消費者はバックアップしていければいいね。。。。と今日、話をしていました。
缶闘記