昨日、頂き物の胡蝶蘭の花が全て落ちたので処分するか・・・育てるかという論議になった。(会社でね)
育てるにしても難しいらしい・・・・
でも、まだ葉っぱは青々しているので痛ましいからと花が咲いていた枯れた茎を切って葉っぱだけにして日陰の場所に設置する事になった。
で・・・・・・・
茎を切ろうとしたのだけど、これって針金の柱にクルクルとセロテープや針金でくくられて中々取れない。
要するにギブスをはめられて、この形のまま咲きなさいと矯正されている。
歯の矯正と同じ。
自分流に咲く事、伸びる事は許されない。
美しい曲線で茎は針金にくくられたまま、、、、枯れている。
茎を切り
針金と茎を外す作業。
スゴイ・・・・針金で巻かれた上にまだセロテープが巻きついている。
苦しくなってくる。
商業用の蘭って生きるの大変だな~って。
温室で育てらて、自然な風や大地に触れる事もなく・・・・もちろんお日様にも当らないだろう。
その上、針金で矯正されて育てられる。
生産者が美しいと思う曲線を描いた針金に添って花を咲かせるしか生きる術はない。
野っぱらで自然に咲くことは許されない植物もある。
切ないな~なんて勝手に自分に投影している私。
蘭はそれでいいんだろうし、嫌だなんて思ってないだろう。 (たぶん)
この蘭を野ッパラにほり出すとすぐに枯れるだろうし・・・・・
蘭に人間のように感じる気持ちがあると思っている私が勝手に自分に投影しているだけ。
でもギプスのような針金にグルグル巻きになって枯れている蘭を見ると胸が痛くなった。
蘭って苦手だ・・・・蘭を見るといつも不自然さを感じる自分がいる。
しかし投影と言うとネガティブに捉えがちだけど、「想像力」と言えば思いやりに繋がる。
投影と言う言葉を使う場合は自分自身を省みる力が弱い場合に使う。
私自身もやってしまう事がある。。。。。
人を自分の鏡のように利用してしまう場合。
例えば・・・・ですね。
わかりやすい例として・・・・
トラウマを解消するために自分自身がセラピストになった人はクライアントを自分に重ね合わせて、自分の成功法の型にはめようとしたり・・・・トラウマとなった辛い経験を「辛かったね~」「よくがんばったね~」などと、まるで自分を正当化するためにクライアントを肯定するような手法をとる狡いことをするセラピストがいるが・・・・
自分の影を移し変える方法で投影性同一視と言われているようですね。
要するに自身の延長線上で 他を見てしまい。。。。
そして相手も 自分と一緒の気持ちや考えを持つべきだと見なす。
その相手がそれに反するとそれはその人が悪いと決め付けてしまうのです。
それは自分が否定されたように感じるからですね。
無意識の自己防衛のメカニズムです。
まぁ程度の差はありますが、誰でもやってる事です。
しかし相手も自分と同じ感覚を【持つべき】だ、もしくは自分の気持ちと【同じでなければ間違っている】と捉えなければ、それは相手を思いやる【想像力】となる。(はず)
相手に自分の考えを押し付けなければ、その妄想(笑)想像は自分の過去を変える事もできるし、自分の人生をポジティブに捉えなおす事ができる。
それに人に優しくもなれるはずなんですよね。(多分)
私の母道江は大阪難波のホステスをしていた頃に知り合った客と不倫をし・・・・私を身ごもり生んだ。
結局認知もされず(当たり前だけど)私を育て・・・・(何度も親戚の家に預けられたけど)
数年後、父と結婚し(それもホステス時代の客)私を引き取った。
それが今の父健次。
で・・・・義父健次の浮気が原因で母道江は壊れた。
アル中となり毎日が大トラ状態。
アル中専門病院に入院し・・・・その時に知り合った入院患者と駈落ち・・・・
度々その男に暴力を振るわれ(酒買ってこい!!ってね)
彼女は切羽つまり我が家に空き巣に入り・・・・金品を持ち出し男に貢いだ。
父としては自分の妻が空き巣に入ったとしても警察に言えないし・・・・・盗られっぱなしです。
アル中同士の破綻は早く・・・・・息詰まり彼女は電車に飛び込んで死んだ・・・
47年の人生だった母道江・・・
私はこのブログで母道江の事を何度も何度も書いた。
彼女の事を一杯想像して彼女を理解しょうとした。
彼女は何を考え、何を思い、何に苦しみ、何を楽しんだのか・・・・彼女がしょうとしていた事はなんなのか・・・・
そんな事を来る日も来る日も考えた。
来る日も来る日も想像した。
何年もそんな事をしていると彼女の事を理解できるようになってきた。
彼女をお母さんと呼ばず道江と呼び、一人の人間として見た。
母として見ると腹が立つが(笑)一人の女の人生として見ると、なんてスペシャルなかっこいい人生なんだと思えるから不思議なのです。
彼女のバカさ加減と、知的センス・・・・・必死で彼女と向き合って想像した。
彼女の事が愛しいと思えるようになった。
今までの私の人生の過去が違う過去に生まれ変わった。
過去に肯定感が生まれた。
それにより私は彼女の呪縛から解放されたのです。
呪縛ではなく彼女とともに生きると言う術に変わったのです。
彼女の分も生きる。
彼女からのギフトをしっかりと受け取れるだけの器になろうと思えたのです。
まぁ。。。。そんなこんなで「想像力」と言う力は人の心を楽にする大事なアイテムであると私は思うのです。
胡蝶蘭の気持ちを考えてみたものの・・・・実際問題、胡蝶蘭の気持ちは定かではありません。
でも・・・少なくとも私自身・・・・・生きる形を固定される事にとっても不快感を覚える性質を持っていると言う事だけは胡蝶蘭に投影した自分を見てわかったのです。