日本を含めたこの地球と言う星が、もう抜き差しなら無い状態まで追い込まれているような気がしてならない。

3.11から半年、少し落ち着いたかのように見える。


この落ち着いた雰囲気を利用して何もなかったと思わせるように誘導されている気がするのは私だけだろうか・・・・


このどうしても昔のままでいたいという確固たる集合無意識の鎖は頑丈すぎて怖いくらいだ。


もちろん私だってそうだ・・・・何も起こって欲しくないし、このまま逃げ切りたいとどこかでは思っている。


しかし。。。。そうはさせてくれいないのが私達地球という星を含めての生物体エネルギーのベクトルなんでしょう。


私達の変わりたくない、動きたくないと言うエネルギーが大きければ大きいほど、その反動で動く時のエネルギーが半端ない状態で放出される。


私達は第二次世界大戦の末期・・・・半ばやけくそ状態となり人が爆弾となって戦った。


挙句に原爆を2個も落とされていっきにガスが抜けて集合意識は変化した。


強制的に他国が統治し始めたからだ。


しかし今回は自国で終息させなければいけない。。。にも関わらず、また3.11の前に戻ろうとしているのだ。

また何か起こりそうで私は怖い。


大きな視野で物事を見て、どうなりたいのか?どういう世界にしたいのか?どういう生き方をしたいのか?そういうビジョンがもてない事がこの閉塞感の要因なのでしょう。


全てが目先の事象に囚われて、物事を決定してしまうこと。


例えば原発問題が一番良い例でしょう。


原発を無くすと電力がなくなる、経済が破綻する・・・・などなど無くなると言う事で起こりうるデメリットをクローズアップして、物事を進めなくしてしまう。


まず決めないといけない。


どういう社会にしたいのか?
どういう社会にするかをです。


決めたビジョンを現実化するためにはどうしたらいいのか?それを議論すればいいのに、まずどんな社会にするのかの議論をせずになんだか目先のネガティブなことが起こらないようにはどうすればいいのかを議論する。


やらなければいけない事、それを実現するためにどういう方法があるのか。。。。。ではなく、それを実現したらどういうダメな事になるのかを考える国民性になってしまっている。


迷うよ・・・・そりゃー


前に進むための種をすべて潰しているように私には見える。




鉢呂さんの辞任の一件もそれに近いのかもしれませんね。


鉢呂さんは大臣になった数日後に「原発エネルギー政策見直し人事」の発表寸前だったんです。


彼は反原発派の人間ですから・・・・仕組まれてしまったように感じます。


鉢呂さんが記者会見で「死の町」と発言したのは事実。


映像が残っている。


ただ大臣辞任にまで至ったのは、記者との懇談で「放射能をうつしてやる」と"発言"したという新聞、テレビの報道が批判に拍車をかけた事で辞任に追いやられた。


しかし、その発言自体の裏がとれないのだとか。


私は鉢呂さんを擁護するつもりはない。


彼の事はよく知らないけが、彼の政策の一つとして既存の原発の耐用年数を考えながら原発は基本的にゼロにするというのがある。


またTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は消極姿勢。


原発に関してはNOと言う姿勢を私は取れるが、TPPに関しては難しい。


メリットとデメリットがあるように見える。


鉢呂さんは第一次産業を守ろうとしているから消極的なのだろうか????そのあたりはわからないが、若干・・・・・国民に近いところにいる方のようには見えます。


なので潰された・・・・可能性がある。


今回の「放射能をうつす」という趣旨の発言には裏が取れていない。


報道各社によって鉢呂さんが言ったという発言の内容がまちまちなんです。


「放射能をうつしてやる」(東京新聞)
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞)、
「放射能を分けてやるよ」(FNN)


に至るまでまちまち。


そして映像も音声も残っていない。


おかしいですよね。


鉢呂さんも終始一貫「そういう発言をしたかどうか記憶にない」と言っている。



以下鉢路さんの返答。


「『うつしてやる』とか『分けてやるよ』と言った記憶は本当にないんです。
 もしかしたら『ほら』という言葉は言ったかもしれないが、それさえ、はっきり覚えていない。
 『ほら、放射能』という報道もあったが、 放射能という言葉を出したかどうか分からない」


「はっきり言えるのは、私が防災服を記者になすりつけるような仕草をしたことはないっていう点です。
 一歩くらい記者に近づいたことはあったかもしれないが、なすりつけるようなことはしていない。
 そんなことがあれば覚えています」



まぁ今となってはどうでもいい話ですが。。。。


メディアは政治家の発言の揚げ足取りをしている場合ではないように私は思うのです。


鉢呂さんは虎の尾を踏んだのかもしれませんね。


一事が万事こんな感じなんですよね。
今の日本は。