今日はちょっと私信で申し訳ありません・・・


からだはうすのタカハシさんが先日の舞踏の顛末記をブログにアップしたようです。


一緒に行ったみんなもシェアーしてね~

タカハシさんの顛末記・・・読んだら感想を聞かせてください。

タカハシさんにメールでご一報を♪


私のブログにも転載しておきますのでご一読ください。




そうそうo(^▽^)o
先日の舞踏の写真が出来てきた。


毎年、同僚達から写真を見せてと言われ続けてきたが、中々見せる機会もなく見せる気分にもならなかったので・・・・


見せるよ~なんて言いながらすっとぼけていた。


今回、なんとなく見せる気持ちになって・・・・・一部の同僚に見せた。


そしたら一人の女性が「おとりさん、スゴイよ~ドキドキして鳥肌がたってきた~(@ ̄Д ̄@;)」と


しかし私の写真ではなくPCの画面に映し出されていたのはタカハシさんとカネモリの写真。


「あら~ありがとう、エネルギーが感じててくれたのね~」と・・・


それから彼女は仕事も忘れて200枚近くある写真を全部見ていた。


「会社にいることを忘れそう」と


で、翌日メールをくれた。


以下メール分転載





この気持ちをうまく言葉で表現できなくて
もどかしいです。
とにかく素晴らしいです!!
何度も何度も鳥肌が立って体が震えました。。。
そして会社にいるのを忘れるくらい引き込まれました。
きっと踊り手さんたちの魂のエネルギーみたいなのが
何の知識もない私でも伝わるんでしょうね。
本当に見せていただいて感謝です。
来年も見せてもらうの(すでに見せてもらう気まんまんです♪)
楽しみにしてます。
どうもありがとうございました!!






なんとも嬉しい気持ちになった。


あの戸隠のエネルギーがわかってくれる同僚がいたことにほんと嬉しかった。


そしてその夜、彼女は戸隠に行ったのだ(もちろん夢ですけど)


なんと敏感な人なんだろう(知らなかった)


他のスタッフは・・・なんだかよくわからない風情でなんとなく見ていただけ。


「これってなんか表現しているんですよね~」なんてわけのわからないコメントをしていた。


まぁもちろんそれが普通なんだろう・・・・


だから私は会社の中では見せなかったのだ・・・・


人に褒めてもらうとかスゴイねと言われる事がうれしいわけではない。


そんな事はどうでもいい。


同じものを感じ共有できる相手がいることがうれしかったのだ・・・・


人との繋がりを感じる事ができたこの事は私にとっての大きなギフトだったのです。





以下タカハシさんの戸隠参拝顛末記です。


写真付きを見たい方はタカハシさんのブログ を見てね。



今年も戸隠を詣でてきた。出掛けに集まった10名のメンバーのうち男は僕一人。これが念願のハーレムか??? にしては、色香がどこにもない。まあ、色香の充満も困るけど・・・結局僕は、姫たちの御者に専念するのみであった。


今回は長野市内の混雑を避ける意味もあって、黒姫側から入り、まだ行ったことのない野尻湖を散策することにしたが、野尻湖はなんの変哲もないただの湖であった。さっさと湖を後にし、戸隠に向う。


いつもはこの行程でお昼を山口屋さんでいただくのだが、たまには別のところにしようということになり僕が昔一度だけ入ったことのある越水ヶ原の裏道にある蕎麦屋を目指した。程なく到着。しかしである。


蕎麦屋の手前で数台の車が並んでいる。駐車場に入れないのだ。そういえば、奥社の駐車場も車が溢れかえっていたっけ。で、例年通り山口屋さんでいただくことにした。ここ戸隠では浮気は許されないのか・・・んー。


忙しそうにレジを打つ山口さんが言葉だけで迎えてくれ、一行は蕎麦とパフェを腹に納め、ようやく戸隠の時空に突入したのであった。昼食後は毎度の行程で、僕はカミさんと一緒に世話になる人たちへの挨拶回り。他は宿で休む人と奥社をお参りする人。


奥社組の話では、もう奥社は以前の奥社ではないらしい。凄まじい人込みで社務所の前は御札を買う人やスタンプを押してもらう人の長蛇の列。あの杉木立の参道の気配も俗に堕し、どこにも霊験などあったものではないと。昨年あたりからそうした気配は感じていたが、そこまでとは・・・裏道の蕎麦屋も一杯のはずだ。


ここ2・3年のパワースポットブームが戸隠にも波及して、いまや一大観光地と化してしまった。いやいや、江原さん吉永さんには恐れ入ります。それでも、宿のご主人に聞くと泊り客はそれほど増えていないらしい。車でさっと来てさっと帰る。ここは神社がウリだから、マニアックに戸隠山に登るとか野鳥観察でもしない限り、そうなのだろう。渓谷を眺めながらゆったりと温泉に浸かってという風情もないし。


思いを馳せれば、高野山と比叡山と並び、戸隠三千坊と称された往年の時期はいったいどんなであったのだろう。修験の道場として発展してきた戸隠、ここに来るにはひとつの覚悟がいっただろう。ああ、覚悟なき時代のぬるさよ。果たして、そのぬるさにおいても恩恵はあるのだろうか。


一昨年、昨年と私的な伝説が立ち上がり、戸隠は舞族の郷として僕の中に納まっているのだが、さて、その続編は如何であったか。幕を開ければ今年のバージョンは別物であった。いつものような強烈なインパクトのある発見はなかったが、強いて挙げれば、「人と人との滑らかなつながり」か。


妙な遠慮や過剰な気遣いをすることなく、流れるままに事が成立していく。今回は新人が二人。みんなとは初顔合わせであったが、スムースに溶け込んいたように思う。


個人的に新鮮だったのは、神社関係者がみな、しっかりと「高橋さん」と言ってから話をつないでくれたことだ。


これは、火之御子社の神事には高橋の奉納がセットであるということを彼らが認知した証だと思える。戸隠初見参より七年かかったが、僕はこの行事に関して「よそ者」ではなくなったのである。勝手な解釈であるが・・・


どこに挨拶にいっても、いつもの出来事として快く気さくに受け入れてもらえた。


「滑らかさ」は、踊りの舞台にかかわるすべての人たちとの関係においても同様であった。原村から朝見さんが音楽仲間のジャンベを奏する杉山さんと「わの舞」のグループを連れてきた。彼らの練習風景の一瞬が僕の直感に響き、まったく自然に神殿舞踏の舞台に組み込むことができた。


そのことが、彼らの期待以上の喜びとなっていったことは帰京後のメールで知った。僕も嬉しい。雨の中の仕込みも、慣れているとはいえ、慌てることも不安もなく、淡々と進んでいった。僕の指示がなくてもそれぞれの持ち場を完成させていく。みんなが火之御子社の時空に融けているのだ。


雨天決行ははじめての体験だった。しかし、それまでの危惧は霧散し、なんとなく普通にできちゃった。大掛かりではない等身大の舞台は、なんだ、やれるじゃないか!という感じであった。


男組は当日二人駆けつけてきたのだが、実際、今回は神事も含め女性エネルギーが満ちていた。日本舞踊のカネサキ?流宗家が20名は超える浴衣姿の軍団を引き連れて奉納した。そして、「わの舞」の乙女?たち。最後にてんでんばらばらに控える「神殿舞踏」の姫たち。


直会の風景も一変した。わが姫君たちは、今年はホステスを免れたといっていつにも増してリラックスムード。宮司をはじめ神官、地元の関係者も気のせいか顔がゆるんでいた。この直会では僕が密かに描いていたヴィジョンが現実化した。それは、お神酒をいただき、談笑する神職さんや参加者を囲んで楽器や踊りの奉納が行われたことであった。


火之御子社は芸能の神を祭神とする社である。あの境内は歌って踊る場所である。
僕は直会の間中ずっと、なにかしらの奉納が行われたらいいなと思っていたのだ。
柔らかな陽光の懐で、談笑の合間、笛や太鼓の音色に歌声に生命の躍る姿にしばし浸るなんて、なんて贅沢な瞬間ではないだろうか。


かねてから感じていたことであるが、現代人は贅沢をすっかり履き違えてしまったと思う。サービスの豪華さが贅沢ではないのだ。贅沢とは自らの身体と気持ちと感性が時空と溶け合い、エネルギーが刷新され新たな物語が紡ぎだされていくことではないだろうか。


そういう言う意味で、僕にとっての「神殿舞踏」戸隠行脚はとても贅沢な旅なのである。今後、例祭の直会は飲み、食べ、語らいながら、いろんな人が歌い踊り奏で、
火之御子社は一般の人々が形式を脱いで神々との戯れを許される奇跡的な社となるであろう。


自身の夜の踊りに関しては特記すべきこともないが、いつもシャーマニックな世界を開くホッシーが「虫」に導かれ、初めて自らの踊りを肯定できたという感想をもらした。彼女は、舞台を這いながら「虫」の姿を目にし、そこに「踊り」を見た。虫が踊っている!。超常的なエネルギーの坩堝に放り込まれ、締め付けられるような葛藤から彼女を救い出してくれたのはこの発見であった。そして、通常彼女の口からは決して聞くことのない「感謝」の気持ちが湧いてきたという。「ああ、この虫と一緒にこの虫のように踊っていればよいのだ」と。


いつもは、変性した意識状態の中で異常なエネルギーに翻弄され、もがくだけだったホッシー。外なる世界にはさまざまな啓示をしるしながらも、当の本人は訳のわからない様態のままであった。しかし、踊ることの肯定感と感謝の情の湧出は、彼女の呪術的なエネルギーと現実的な身心が少しつながりはじめてきたのかもしれない。ようやく、一条の光明が射してきたか・・・。今回の「神殿舞踏」のひとつの成果である。


ホッシーの体験から、僕はそこにひとつの物語が展開していたことに気がついた。言ってみればたわいのない話なのだが・・・


僕のところの稽古にはホッシーの他にカネモリ夫妻も一歳半のフクジュ君と一緒に参加している。戸隠に行くひと月ほど前、奥さんのアスカが腰の治療に来た。そのとき、戸隠の踊りの衣装の話になり、「カネやん(旦那のこと)はまだ決まってないんだ」と言った。それほど深刻に悩んでいたわけでもない。


だから、僕も真剣に考えるでもなく「そうだなあ、俺のイメージだと甲羅のある虫だな」と何気に言った。それを明日香が兼盛に伝えた。「高橋さんが虫のイメージだって」。彼はその言葉が頭の隅に残っていたらしく、黒っぽくてかてかした虫っぽい衣装を見つけてきた(観た人が虫に見えたかは別にして)。


しかし、イメージとしてはカネモリ虫は舞台に登場したのである。


さらに、昼の直会の折、スイカが振舞われたのだが、僕の前に置かれたスイカの皿には一匹のメスのカブトムシが一足先に赤い汁をむしゃぶっていた。僕たちの仲間の誰かの身体にくっついて来たようだ。踊りの最中もその同じカブトムシの飛び回る姿が篝火に映しだされていたのが目撃されている。そして、ホッシーの眼が釘付けになった「虫」、ホッシーの心の暗い闇の勢力との闘いに「踊ること」の救いの手を差し出したのは、なんとこのカブト君だったのである。


細かい経緯は多少ずれているかもしれないが、大体はそんなストーリーである。


今回の旅の印象を「人と人との滑らかなつながり」と言ったが、それは見えないところでこのようなささいな物語を紡いでいたのだ。僕の何気ない直観から「虫」が発想され、アスカの素直な伝達を通して、カネモリの実直な行動、それらが連鎖しながら、すでに昼の直会時にそれは姿を見せ始め、本番の舞台では踊りの真髄にホッシーを導いていったのである。四コマ漫画のようなエネルギーの形象化だが、滑らかさというのは無意識的な領域に属することがよくわかる。無意識的直観は、より大きな意図の中に小さな花を咲かせる。僕たちはこの小さな花を見つける術をもっと学ばなければならない。


強引に、大きな意図と結びつけて考えれば、今回のテーマ「無縁の風」も絡むだろう。ここでいう無縁とは、通常理解されているところの「無縁仏」に代表される、「縁がない」ことのネガティブさとは対極に位置する。


「縁がある」ということは、そこにつながりがあり、つながることによって制約やルールに縛られていく不自由さも発生する。逆説として、無縁とは徹底的に自由なアジール(聖域)のことである。


日本では中世から近世にかけ、社会から縁を切られた、或は、縁を切らざるを得なかった人々が救いを求めた場所として無縁所があった。駆け込み寺のようなものである。


それぞれの事情から、トガ人、遊女、バクチ打ち、河原者、えた・非人、漂泊民となる者たちにとっては、遊郭、賭場、芝居小屋、被差別部落などが裏返された自由の場であった。


「神殿舞踏」に集う仲間もその精神の深みにおいて孤高の漂流者である。僕たちはまるで田舎芝居の一座のような集団である。僕は昔から河原乞食という言葉やその様態にある種の親近感をもっていたが、あらゆる権力の埒外に存するあり方として魂が疼くのだ。「縁がない」ということは「孤高なる自由人」につながるのである。


この世界の人為的システムに組み込まれることを肯しとしない魂は生きにくい。しかし、道を切り拓いてきたのは常にそうした魂のほうだった。その魂の棲家としてのアジール(聖域)は今の世でも必要だろう。僕の場作りにはそういうイメージが最初からある。


ひょっとしたら、このたびの「虫」の登場は「虫ケラ」の虫かもしれない。人並み以下の人間に対する蔑称として「虫ケラ」は使われる。社会からはじかれた罪人はじめ、上述のような卑賤な職にあった人々に対する扱いは「虫ケラ以下」である。ならば、僕たちの前に現れた「虫」は無縁の象徴ではないか! 迷い子たちは確かに「無縁の風」にいざなわれて神殿(聖域)に舞ったのである。「人と人との滑らかなつながり」は、つながりを断たれた「無縁なるアジール(聖域)」にこそ息づく。


大げさに言えば、僕たちはこの普遍のパラドックス(物語の源泉)を直に体験したということになる。ということで、今回の戸隠は強烈なパワーが影を潜め、以上のようなウンチクを含んだ物語を披露してくれたのであった。


みなさん、雨に濡れ、また、泥だらけになった荷物の片付けごお疲れ様でした。
そして、今年も楽しい戸隠のお参りができたこと、本当に感謝しております。ありがとうございました。





最後に、ある見知らぬ女性からメールで送られてきた素敵な感想を紹介してこの顛末記を終わりたい。彼女はひと月ほど前、一緒に行ったキサカさんのお店で雨宿りをする羽目になった。そのとき、キサカさんから「神殿舞踏」の話を聞き、戸隠お参りがてら一人舞踏奉納を観に来た方である。その流れも滑らかである。


以下はその女性が僕の舞踏を見た感想をブログに書いてくれた文章です。



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戸隠神社

8/18に長野の戸隠神社で神殿舞踏を見てきた。

「無縁の風」


ざらついた昼のかさぶたも剥がれ
群青の影 忍びよるころ
無縁の楽人  古(いにしえ)の詩歌(しいか)をまとい
大樹ほこる結界を跨ぐ
頭蓋締めつける  計らいの右往左往
はじまりと終わりが裏返り

心音の律動(リズム)  「私」という厚みを消せば
人さらう風香に誘われ
迷い子たち  神殿に舞い戻る



(からだはうす「時の徴」より)




当日は夕方から大地を洗い流すような大雨が降った。

山のあいだを煙みたいな雲が流れて、乾いた雷が1回だけ落ちたのを聴いた。

舞がはじまる前には、不思議と雨がぴたりとやんだ。

大樹から落ちた雫が、松明の炎に落ちてぱちぱち大きく爆ぜた。

火之御子社前、ジャズベースとギター、ジャンベのトリオ。

本当の「群青」を空に見たのは初めてかもしれない、午後七時頃、それでも大木の葉の影はくっきり黒く迫る。


白塗りのからだが、ゆっくりと火に照らされて火之御子社を這う姿には圧倒された。

耳から生えた白い羽と、筋肉と、骨のラインが頭から離れない。


雨で増水してごうごう騒ぐ近くの川の音と、ほんの少しの風から鳴った僅かな葉の音が集積した小さくて大きい音と、舞う人の呼吸や、漏れる声が、ものすごくそばで聴こえた。



からだがびくびくした。ちょっとこわかった。

あの「こわい」は、忘れない。


次の日の早朝、戸隠神社の奥社にお参りに行った。


誰もいない小雨の煙る一本道、鳥居を抜けてからは先日の「こわい」が始終つきまとった。


初めて渋谷を見たとき、「人間がいっぱいいる!」と騒いだのを思い出す。あの時の人間の数の数百倍の植物が、一本道を見下ろしてる。東京の家に入ってきた虫に対して嫌悪感を抱く。自分のスペースに異物が侵入するからだ。


今、自分は森の中であの虫みたいなものだろう、と思う。


「こわい」のは、この空間で自分が異物だからだ。


参道の中間にある杉並木では、完全に大小の判断基準を奪われる。自分以外のすべての杉があまりに大きく静かで、跪きたい気分になる。


それでも登って、登って、雲の上にすっと出た。無人の奥社。来た道を振り返っても煙って見えない。流れる水の音以外、何の音も聴こえなかった。帰る時一度、深々と礼をした。


何に対してかよくわからないけれど、敬う気持ちってこれのことか、と他人事のように感じた。礼をしてまた戻る時、ぶわっと追い風が吹いて転けそうになった。足は地に、ね、と言い聞かせた。あまりに圧倒されて写真は一枚も撮れなかったけれど、雨に濡れた緑の生々しさだとか、甘ったるい生命の香りだとか、撫でるみたいな冷気だとか、全部はっきりと覚えてる。



行けて良かった。本当に。

舞のことを教えてくれたSWEEPのおばさまに感謝。





インシャラー