先日、からだはうすで月に一度のブレスワークがあり、終了後に皆で食事に行った。


その席での、からだはうす主宰者であるタカハシさんの話しがとってよかった・・・・・


よかったと・・・と言う言葉で片付ける事に躊躇するが、、、、良い言葉が見つからない。


養老乃滝と言うチープな安酒場、、、、

なんだか私達の空間だけ異界に入ってしまったような気がしないでもないほどギューッと詰まった質量を感じた話でした。


物事と言うのはデジタル面とアナログ面が同時的に発生し。。。。時を刻んでいる。


現実の立ち現れ方がデジタルであろうとアナログであろうと、すべてがやはり繋がっている。


どこかで繋がり、折り重なり、畳み込まれてそれは時空を超えてすべて同時的に存在する。


すべてが関係し合っているわけで・・・・だから私達はちゃんと考えしっかりと生きなければいけないのでしょう。


私達はどんなに一人で生きていると言いきっても、他者から影響を受けているし、他者に影響を与えてしまっているわけです。


もちろん過去にも、現在にも、未来にも繋がって、影響を受けているし、影響を与えてしまっているわけです。


無人島で一人生きていたとしても、何人たりとも漏れなくである。


さて私達は日本人として、、、これからどういった精神性を持ち生きていけばいいのでしょうか?


そんな事を考えさせられた内容でした。


その時の内容をタカハシさんがブログに掲載してくれています。

転載しますので、よかったら読んでください。



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以下転載




日本の繁栄と衰退にちょっとした霊性をみる話



このことは以前から思っていたことではあるが、つい先日、呼吸法のワークショップ後の食事会でみんなに少し話したら、ある人に、それは非常に面白い話だからブログに書いたらいいんじゃないか、と言われたので調子に乗って書いてみることにした。



それは、3・11後の日本にあっては見過ごすわけにはいかないものであろうと思われる。日本という「国」に対して誠実に考えようとするなら、また、わが国の「民族性」というものを真剣に考えようとするなら、それは必然的にクローズアップされるものである。そして、この問題は今後多くの人々に語られるようになるだろう。



では、「それ」とはなにか。「それ」とは日本のスピリチュアリティ(霊性)と皇室のことである。僕は太平洋戦争の敗戦による混乱も峠を過ぎた頃に生まれ、俗にいう高度経済成長とともに成長してきた世代であるが、日本が経済大国と称されるようになったことも、平和な国に住んでいるということにも、それは驚くようなことではなく、至極当然のことであって、敢えて賞賛に値するようなことだという認識も実感も持ち合わせていなかった。しかし、年を重ねるにしたがい、そうしたことがらがどのような背景によって成り立っていたのかを考えるようになったとき、わが国の驚くべき集合無意識的な力を想像せざるを得なかったのである。



1940年に開催された東京オリンピックを成功のうちに導いた後の日本という国の誇りは、やがて世界の第二位にまで登りつめた経済の繁栄であった。その背景には朝鮮戦争による軍需景気などいくつかの要因が重なっていたであろうことは容易に察しがつくが、それにしても敗戦後の焦土と化した日本を復興したのは国民の勤労精神であった。なぜそれほどまでに当時の日本人は働き者だったのか。僕はそれが気になって仕方がなかった。



それは単純に民族の性質として真面目さや勤勉さに由来するとしていいのだろうか。特に昨今の政治的状況をみるに、わが国のリーダーたちにまともな政治的能力があるとは思えないことは誰もが納得することである。僕は日本のリーダーたちの実力は基本的に昔からそう高かったとは思っていない。過去のリーダーたちがうまくいったとすれば、それは日本が置かれた状況と時代の流れのせいであり、アメリカという大国に逆らわずに追随してきた結果である。よって、国民の真面目さや勤勉さは彼らが導く教育によって感化された結果だとは到底思えないのである。もし、かつてのレベルが高かったとするなら、現代にもその成熟さは引き継がれているはずである。



ならば、何故にその繁栄は築かれたのだろうか。僕はそれをもともとの真面目さに加え、「お国のため」に戦地に赴き、帰らぬ人となった三百万を超える若者たちの魂の力ではないかと思うのである。実際、僕の父方や母方の男兄弟はみな戦死している。父親は運良く生還できたが、彼にしても軍隊には三度召集されている。一度目は徴兵で、二度目は満州事変に、三度目は太平洋戦争に足掛け十年にも及ぶ戦争生活であった。20世紀を「戦争の世紀」と一言で総括する人もいるが、そうした悲劇が世界中で起こっていたことを思うと空恐ろしくなるのは僕だけではないだろう。



戦争から生還した若者は焼け野原になった自分の故郷に帰り何を思っただろうか。しかし、どんな悲惨な状況でも「戦地」よりはましだと思えただろう。家族と一緒の生活、戦争と比べたら貧しさなどさして気にならなかった。みんな貧しかった。そして、彼らは生活を立て直すために働いた。それも「黙して」働いた。僕はこの「沈黙」の中身を想像する。



敗戦後、生き残った人々はあまり戦争の話をしなかった。狂気の世界では人間は何をしでかしてしまうのか。おとなしい性格の僕の父親だって何人の敵を殺し、他国の民間人を酷い目に会わせてきただろうか。それは映画や小説ではないのである。だから、彼らは心の奥に記憶をしまいこんだ。父親はよく戦争の夢を見ては寝言を言っていた。



もうひとつ彼らが黙するには訳がある。それは生き残ってしまったということに対する自責の念である。戦友は死に、自分は生き残ってしまった。日本人はそれを申し訳ないと思うのだ。生還に諸手をあげて喜ぶわけにはいかない。また、天皇陛下のために身を捧げることができなかったと思う人がいたかもしれない。逆に、「天皇陛下万歳」と唱えて玉砕していった戦友の無念を直接ぶつけることができないもどかしさは、もし、戦争責任を天皇に負ってもらうことになれば、逝った者たちはもっと浮かばれないことになる。死者は信じて逝ったのだから。



そうしたことがらは忸怩たる思いの塊となって生還者たちの口を硬く閉ざしたのであるが、ただ唯一、死んでいったものたちの魂を引き継ぐこと、つまり彼らの分まで生きるという力に変換し、ただ黙々と働いたのである。そう考えると、三百万の絶望が敗戦後の未来を支えていたと思えるのである。絶望に散った魂がもっていたであろう希望を力にして高度経済成長は実現したのである。三百万の魂が死して「お国」を支えたというそこに、僕はスピリチュアルな力、「霊性」を見るのである。・・・ 




 

だが、彼らの神通力も尽きてきた。戦争を知るものが次々と消えてゆくに連れて、日本の国力は生きている人々の等身大の力として反映されてきた。バブル崩壊後の日本の不安定さはそれを如実に物語る。そして、今回の東北大震災と原発事故によってその内臓を抉られた時、国というものと僕たち自身の結びつきがいかに希薄なものであったかを知ることになった。あの三百万の若者と沖縄戦の殉死や内地における各都市の空襲や原爆の破壊力によって、どれほどの尊い命が失われたか。



この度の震災と原発事故を受けて、この状況はほとんど戦争状態であるとする論調がここかしこに見受けられるが、それでもその内的リアリティは過去に追いつくものではないだろう。もちろん死者や被害を蒙った人の数の話ではないが、実に数百万の魂が無念を残して消えたのである。津波にさらわれた親兄弟、子供を海の彼方に茫然と凝視するのと同じまなざしが、わずか紙一枚の事後報告で処理されてしまったのである。どんな戦争であろうとけっして救出劇にはなりえない。



被災地での、子を思い、親を思い、兄弟姉妹を思う情景に少しでも心が動かされるとすれば、過去の人々だって思いは同じはずだ。だが、彼らは文句ひとつも言えず、泣くことも忘れさせられ、嘘を信じ、戦った。いったい彼らは何と戦っていたのだろうか。ただ笑って過ごすだけが人生ではないが、可能性を試みるチャンスさえ奪われることの非情さにたいして、どのように自らの運命をあずけたのだろう。もし、自らの運命をあずけることの大義が「天皇陛下万歳」に収斂するなら、敗戦は大義を守れなかった自分たちの責任である。



しかし、あの戦争は天皇陛下を守るために始まったものではない。最初はこちらからの侵略である。敗戦の色が濃くなっていつの間にか天皇に殉死するための戦いになってしまった。どこかで何かがすり替わった。神国日本=天皇。日本という国自体に潜んでいた無意識があからさまに顔を出した瞬間である。この、「どこかで何かがすり替わる」ことに僕たちの民族の感受性は鈍い。まあまあ、なあなあで事を済ませる癖をみればよくわかる。今の原発問題にしても、必ずどこかで何かがすり替わろうとするだろう。僕たちは、その瞬間を絶対に見逃してはならないと思う。その変化は外側の仕組みよりも自らの心に発生しているのだ。



話が行ったり来たりするが、戦友を失って生還した者と国内で祈っていた者たちは力を合わせて「黙々」と、日本復興のためというより生活のため、生きるために働いた。その「黙々」はさまざまな鬱積した思いによって成されていた。それは、自責の念、憤り、悲しみ、後悔、不安、かすかな安堵などである。がむしゃらに働くことによって生活は向上していったが、何となく心は晴れない。喉元に引っかかる小骨のようにすっきりしないものがあった。それは、ひょっとしたら多くの人が気づかずに無意識の底に沈めていた思いであったろう。



敗戦処理において天皇は日本国の象徴として留まることになったが、働く者たちの無意識の底にくすぶっていたものは、その天皇及び皇室と国民との心の中の距離感であった。そうなってしまったことの経緯はすでに述べたが、そんな釈然としない国民の無意識的感情を取り持って、天皇や皇室への親しみを復活させた人物が登場したのである。美智子妃である。



僕は美智子妃の存在が三百万の若者の魂と共に日本という国を土台で支えていると信じるものであるが、この近代においても日本は女性シャーマンの国であることがよくわかる。天照皇大神然り、卑弥呼然りである。戦後十年も過ぎれば物質的に国民生活は向上しただろう。だが、皇室との精神的和解はでうであったろうか。そこにはまだ和解の徴はなかった。そんなとき、一人の女性が立ち上がった。歴史上はじめて民間から皇室に嫁ぐことにより、形の上で日本はこの一事をもってひとつになり得たのである。そして、その後の美智子妃の存在から、気配から滲み出る愛らしさ、気品、慎み、慈しみ、明晰さによって国民の鬱積した思いは溶解していくのである。
民族の総意としての霊性がこれほど一人の人間に象徴されるとは驚きである。・・・


(記 高橋実)  ブログ 時の徴


つづきはまた追々UPしてくれるようです。


乞うご期待