怒涛の一ヶ月が終わった。叫び


今日は死んだように家に引きこもっておりました。


なんだかやっとイノチが吹き込まれた感じになってきました(笑)


確かに・・・一年は短かったようには感じるのですが、この3ヶ月は長かった。

色々と決めないといけない事もあり、決めた後も不安が付きまとい・・・・


毎年・・・この時期には一年を振り返り、若干(笑)反省をしつつ、来年のテーマを決めるのですが、脳みそが動いていません。


そう・・全く持って動いていません。


なので総括に至るのは来年かもしれませんね。


ただポイントの言葉だけは浮かんでは消えしているのです。


それがまだ繋がりませんが・・・・


「絆」「弛緩」「挑戦」


頭が動いていないと文字って書けないもんですね。



しかし頭がフリーズしていると身体感覚が精妙になる。


先ほど少し身体に向かっていたのですが、これが中々いいんですよね。


シークエンスがスムーズで・・・・・シークエンスと言うのは「流れ」と言う意味になると思うのですが、。。


ヨガには色々なスタイルがあり、私はTPOで使い分けています。


緩めたい時、熱を生み出したい時・・・筋肉に語りかけたい時。。。とりあえず疲れを吐き出したい時・・・・


それぞれに合ったシークエンスを自分流で組み立てて行っているのです。


これが頭が動いている時にはシステマチックなシークエンスになってしまい、なんだか堅苦しい雰囲気になるのですが、頭がフリーズしていると身体の求めているシークエンスになるため、とっても軽やかで揺らぎのあるシークエンスになるわけです。


皮膚の声を聞き、骨の声を聞き、筋肉の声を聞く・・・そして自分の中の空洞を見つけてそれを広げていくのです。


アサナ(ポーズ)は私にとっては練習と言うよりは我が身との対話時間です。


なのでアサナ完成形のキレイな形を作るというのが目的ではありません。


もちろんきれいな形が取れるということは、それだけ気の流れも良いわけですからね、それに越した事はないのですが・・・ただ形をとると言う目的でのヨガは私にとっては意味をなさないわけです。


アサナにシークエンスを取り入れて呼吸で流していくのです。


これが身につくとヨガだけでなく日常生活にも役に立つと私は思うわけです。


流れに乗る・・・・・と言う事です。


毎日、無自覚に生活をしていると、今何が起こっているのか意識せずに流されてしまう。。。もしくは流れに逆らって泳いで疲弊する事になりますから・・・


ヨガは私達人間の人智を超えたエネルギーの流れの波に乗れる訓練だと私は思っているのです。


要するに。。。共時性をキャッチしやすくなり、それによって確信が生まれると言う事です。


自分がブレにくくなるのですよね・・・・・


まぁ私もまだまだです(笑)ブレブレですから(°Д°;≡°Д°;)


ふと気がつくと激流を遡上していたりして、討ち死に寸前になる事もありますから(笑)道は長いです。


ただ来年はもう少し突っ込んでヨガの世界を学びたいな~と思っています。




そうそう最近見た映画の話を少しだけ・・・・・


私はテレビはあまり見ないのですが、その変わりにツタヤディスカスと言って宅配レンタルDVDの契約をしてるのです。


これ、結構便利です。


で、先日ですね「蟹工船」が送られてきました。


もちろん私がリストに入れたのですが、はじめの5分で「あ~失敗した」と思ったのです。


暗くて陰惨な物語で見ていられないのです。

まさかこんな映画だったとは・・・・「もうやめちゃう??」と思いながらしばらく見ていたのですが。。。。。結構深い話しで最後まで見てしまったのです。


陰惨な場面は早送りでしたけど・・・・・


物語の内容はネットで山ほどヒットしますから割愛しますが、小林多喜二さんの小説でプロレタリア文学の代表作です。


恐らくですが・・・・・小説はもっと陰惨で読みきれないのだろうし・・・・そこまで書いてどうすんだろう・・・と思う内容なような気がします。


映像だから軽くソフトにそしてコミカルに今風に描かれている。


だから最後までなんとか苦労しながらも見れたと言うことでしょうね・・・・


それに私個人の意見として・・・この物語は事実に基づいて書かれているので、史料としては意義を持つだろうが、作品としてはどうなのかと・・・思うわけです。


労働運動が成功し、その「組織」「闘争」が次第に他の労働者階級に広まり、労働者の地位が向上し資本主義が発展した。


その末路が現代です。

資本家と戦い・・・勝てば世界は良くなると言う・・・・幻想??


ちょっとちゃうよな~なんて思っちゃったんですよね。


原書ストーリーそのものは横に置いたとしても。。。映画のシナリオは深いんですよ・・・


良い社会を作るため云々ではなく・・・・人が生きると言うことはどういうことなのか・・・・


それが要所要所で分かりやすいセリフで綴られているのです。


ある一場面なんですけどね・・・・



自分達は生まれた時からこういう階級だから仕方がないと今の現状を卑下し、上の立場の人間を疎み、羨み、自分が今不幸なのは社会のせいだという観念に縛られている労働者達。


そういう人達に向かってロシア船の通訳が片言で説教するわけです。



自分の事は自分で決める。
これ大事ね。

一人一人が立つ。

大きい小さい関係ない。
文句言って何もしない人だめ。

分からない、怖い、やらない~これもダメ。

(こんな考えだと)
何もかわらないね。


変わる事は誰でもできる。

それは
イメージ
考える事

自分どうなりたいかイメージする。

考える考える考える


大きい小さい関係ない
なげちゃだめ

考える考える考える

人のせいもだめ

考える事止めたら終わり


ずっと考える。

(そしたら)何するか見える。
見える・・・・・

今する事見える

一人一人考える
一人一人行動
一人一人大事

自分何をしたいか考える。

自分の気持ちを考える・・・







中々、ズッシリと私のココロに来ました。

ん。。。。私だけかしら(笑)





明日はもっと頭が動くと思います。


ではではお休みなさいまし~