いたこニーチェ/適菜 収
¥1,365
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「超訳 ニーチェの言葉」という本がえらく売れているらしく、実際に持っている人を何度もみかける。


哲学ってある意味・・・・泥沼みたいなものだと私は思っている。


泥沼が好きな人にはよい学問ですよね( ̄▽+ ̄*)


私はニーチェの代表的な著書「善悪の彼岸」などの硬苦しい本は読んでいないが、ニーチェに関しては「いたこニーチェ」という本を読んだ事がある。


これけっこうおすすめです。




突然主人公の目の前に、100年以上前にこの世を去った歴史的思想家ニーチェが現れ、主人公の価値観を粉々にしていくという物語。


超現実的な主人公の生活に繰り広げられる非日常的な霊の降臨。



主人公は嫌々ながらニーチェ哲学のプライベートレッスンを受けるという筋書き。


物語を読みながらニーチェ哲学が学べるという中々の本です。


ニーチェ初心者にはおすすめです。


それにニーチェの毒っぽさもちゃんと伝わる・・・


今、売れている超約ニーチェはちょっと違う。

疲れた人々を癒す金言集って感じ・・・・かな。


それだとその前後に何を言いたいのか。。。どういう思想からこの言葉を導き出したのがわからない。


哲学とは考えること。。。プロセスなので結論だけを読む事はなんだか意味がないような気がしないでもない。


ある書評を読むと超約ニーチェのような金言だけを集めて書いたようなものはニーチェではない。


ニーチェから毒を抜いて砂糖で包んだお菓子のような本だ。と書かれてあった。

しかし毒を含んでいるからと言ってそれが正しいニーチェと言うことでもなかろう。


どっちでもいい、読む人が何かを感じるなんだろうしね・・・・


なのでどちらもニーチェだと私は思うのですが、ただ個人的に「相田みつを」的な励ましポエムは好きではない。


心がひねくれた私は「そのとおりだけど・・・だからなに?」と思わず言いたくなるのです。


そんな文章を読んで癒されるだけの心の穏やかさを持ち合わせていないのです(笑)


そんな余裕が心にないわけです。。。。


☆幸せは いつも 自分の心が決める


なんて事が書かれたカレンダーを見た事があるが・・・


そりゃーそうさね・・・そのとおり!!でもそんな簡単や~ないねん人間の心って


ってね・・・・・カレンダーに向かってブツブツ言う変なヤツなんですよ私って。


さて・・・・


ニーチェはキリスト教と人類に恨みがあったようですね(笑)


特に自分と同じ哲学者(プラトンとかカントとか??)を憎んでいたふしがある・・・・


それを起爆剤にして思想を熱く説くので、その暑苦しさは本を読むと伝わってくる。


なので私は結構好きです。


ニーチェは色々な事を説いたのだけど、有名なのは「原因と結果の混同」というのがある。


混同というのは「取り違える」と言う意味。


原因があって結果がある。


しかし人間は往々にして結果を原因の前に置くと・・・・


人間は苦労とか苦悩とか苦境を乗り越える、解決するという事で喜びを感じる性質がある。


苦労が大きければ乗り越えた後の喜びは格別。。。。


ちょっと小さい話しですけど、重労働の後のビールの美味さはいつものビールの味と違うというのと同じです。


しかしこれが原因と結果の混同ということなのです。(らしいです)


当てはめるとですね。


苦労=原因

喜び=結果


となります。


でもこれは間違いだということなのですね。


人間は元々、喜びたいとか勝ちたいとか・・・・強くなりたいとか。。。生きたいとか・・・・そういう本能というか煩悩的なものを持っている。


イノチそのものにビルトインされている。


なので乗り越えてきた苦労は、乗り越えた後の強くなった意思に作られたフィクションということです。


なので格別に美味しいビールを飲んだから、苦しかった重労働が存在するということです。


病気になり、健康になりたいと必死で健康になろうと努力した結果健康になった。


原因が病気にあり、努力した結果健康になったと普通は捉えますが・・・・


ニーチェが言うにはこれは健康になったから病気があった。。。ということになるのです。


要するに結果と思っているものは原因なんだよと言うことをニーチェ先生は言われたのです。


今現在健康だから病気が認識されているということでしょうか・・・・


難しいけど・・・・


あとは概念の逆転現象とかね・・・・ありますけど、そんな難しい内容がこのいたこニーチェではスッーとアタマに入ってくる。


物語仕立てがいいのでしょうね。


邪道と言われればそれまでなんですけど・・・・(笑)


哲学書や思想書はしきいが高くてという人にはこの本はお勧めです。




人類の宗教性は現在最低ラインをキープしているようです・・・・底とも言えるかもしれません。


人間の精神は2000年前と何一つ変わらない。

これからも変わるようには思えない・・・・


ブッタが言った言葉を聞いてありがたく思ったり、感心したりするのではなく・・・・


「それ、私の事やん」と言える人が出てくるまでは、この混沌とした世界は続くのでしょうね。


まっそれもヨシですが・・・・


哲学は読むだけでは自我を満足させるだけ。。。。。それを生活にどういかすかという事なんだと思うのですよね・・・・


原因と結果・・・・取り違えたからと言ってそれがどうした・・・・となる・・・・


で、、、、私はまた考えるのです。




じゃー取り違えずに物事を捉えられたらどうなるのか・・・・



さてさて、、、今晩眠れるのでしょうか(笑)