やっと出てきた薬に対してのまともな意見。
そして清潔過ぎる事で病気になりやすくなるという認識がメディアで取り上げられるようになってきた。
過剰な清潔、薬は逆効果だということです。
必要以上に手を洗いすぎたり、消毒液を使うことで皮膚常在菌が失われ、免疫力が下がる。
肌はもちろんが荒れる。
荒れるくらいならいいが、ちょっとした事で化膿しやすくなるし、アトピー性皮膚炎を発症する事もある。
病院に勤めている頃はほんと手がいつもボロボロだった。
なのでディスポ手袋を利用して手を極力洗わないようにして対処をしていました。
一日50人の患者さんを触れば、50回以上は手を洗いますから・・・・
患者さんごとに手袋を変えるという事で手洗いを半分くらいに減らす工夫で手荒れを回避してきたのです。
でも手術に入る時には強力な消毒液をつけてタワシでゴシゴシ洗いますから、それも回避できません・・・・・・
ほんと手荒れは辛かったですね。
ウォシュレットも同じ・・・・です。
あまり洗いすぎると粘膜の防御機能が落ち、膣炎を引き起こす要因にもなります。
うがいも喉が痛いとか風邪を引いていなければ水うがいで十分です。
粘膜から細菌の侵入を防ぐための味方の菌まで殺してしまい、無防備な状態に粘膜はなってしまうのですね。
手を洗う事、うがいする事は大切だけどやりすぎがいけないと言う事なのです。
消毒液をつけてゴシゴシする必要はないし、消毒液でうがいする必要もない・・・・・・
普通の石鹸で充分。水で十分という事ですね。
それに伴い薬で免疫力を下げると言う意見も世に出始めた。
薬で苦しんできた経験のある私には喜ばしい朗報です。
やっとそういう風に考える医師が出てきているようだ。。
今までもそういう医師はいたと思うのですが、中々変人扱いされる為にメディアに露出する事はなかった。
もちろんメディアも取り上げる事はない。
色々な利害関係があるからでしょう。
国公立の病院は良い天下り先にもなっている。
製薬会社との癒着もあるだろうし、薬の弊害を唱えることで補助金などの交付も受けにくくなる。
そういう利権から外れた医師でないと中々伝える事はできない。
しかし・・・・最近はネットという環境が普及し個人が自分の考えを伝えられる環境が十二分に今の社会にはある。
ネットはもちろん弊害もあるだろうが、良い面もたくさんある。
テレビでやっていた先生は小児科医だった。
子供の熱は薬で下げないという趣旨。
40度以上の熱や3日以上続く熱以外は薬で下げない。
子供の体は素直だから免疫力も発動されやすいので大概翌日には下がっていると・・・・・(そのとおり!)
そして熱をそのまま放置して自然治癒力にまかせる事で免疫力が上がる。
外的な菌やウィルスと闘う力が養われるのですね。
これも筋トレと同じです。
熱は基本的にカラダの治癒能力の一つですから・・・それを薬で止めてしまうというのは勿体ないということです。
カラダの不具合を熱で治そうとするのが自然な生体のシステムなんです。
で、薬の飲みすぎはこの免疫力を下げる。
風邪を引いたら病院に行く。
薬が出て。。。それを飲んだら治ると思っている人が多いでしょうが、実際風邪が治る薬というのはない。
「ない」と言ってしまうと言いすぎかもしれませんが、抗生物質が全身に回った風邪ウィルスを本当に殺しているのかどうかなんてわからない。
風邪が治るのは現実問題、自分自身が治していると言っても過言ではない。(と、私は思っています)
白血球や抗体などの免疫系の働き、すなわち体に本来備わった自然治癒力で治る。
発熱すると免疫系の働きが活発化し、病気を治す力がよりいっそう強まる。
そしてウィスルは高温が苦手、身体は自ら熱を発しウィスルを殺しているのです。
熱で自身の免疫兵隊を活発化させて、熱でウィスルを焼き殺すみたいな感じでしょうか・・・
これで病気が治癒する方向に導くのです。
せっかくの熱なのに解熱剤で熱を下げてしまうと、この大切な働きを邪魔することになり、結果的にウィルス側に味方することになる。
大腸のガンを患っている知人は手術前検査の数日前から40度近い熱を出して寝込んだ。
なんとか検査当日には熱が下がり病院へ・・・・・
なんと腫瘍が半分くらいの大きさになっていて、手術が見送りになったのです。
それが熱のせいかどうかはわかりませんが、今も元気に内科的治療をしながら腫瘍と共存共栄で生活しています。
私は年に一回くらい高熱を出しますが、熱はギリギリまで下げません。
ただ私の熱は結構高く、出ている期間も長いので、、、、脳細胞が死ぬか、ウィルスが死ぬかの我慢比べ状態になってしまう事がよくある。(笑)
私は極端な性質を持っているので、そういう本末転倒な我慢比べの自分との戦い的な現実を引き起こしてしまいがちなのです。
鎮痛剤中毒から脱出する過程でもそういう我慢比べ戦闘を何ヶ月もした覚えがあります。
頭が痛くならないような措置をとるというよりは、頭痛を我慢して鎮痛剤をどれだけ飲まないでいられるかみたいな自分とのバカな闘いを勘違いしてやってしまうのです。
対称がずれてしまうわけです。
私が解決したい問題は「頭痛」なのに、いつの間にか「鎮痛剤を飲まない」という事に対称が摩り替わり闘うという姿勢になってしまうのです。
目的が「闘う」「我慢する」ということになると、闘う相手、我慢できる相手がいるということです。
その「闘い」「我慢」をする為には頭痛がないと闘えません。
これじゃ頭痛がなくなるわけがない!頭痛がなくなると「闘えません」し「我慢もできません」からね(笑)
そんな我慢くらべや闘いは本末転倒ですから、そういう戦闘的雰囲気になったら早々に白旗を揚げて負けを認めます。
一度は解熱剤で熱を下げて。。。。。私は闘いませんよ~私の目的はそれじゃ~ないっすから!!という姿勢を見せてから再度、熱と向き合います。
いつでも辛ければ薬は飲むよ。。。という柔軟な心を持つように心がけます(笑)
こだわりは様々な不具合の元になりますからね。
それに一度負けたとしても、必ず解熱剤で下げた熱はまた出ますから・・・・・
二度目からは早々高熱にはなりません。39度までにおさまります。。。
で、そこからは熱で自分の体を大浄化作戦です。熱は身体を掃除する最大の武器ですから(笑)ありがたいですよ。
これが抜けた時は本当に気持ちいいんです。
身体の毒を全部洗いざらい焼却したような感じですから、、、結構発熱は大好きなんです。
しかし、それで仕事を休むのはちょっと。。。苦手。
なので。。。上手に休みを利用して風邪を引くようにはしています・・・・(笑)
熱は年に一度の大掃除だと私は思っているので薬で下げるのは勿体ない・・・・・
ただ病気っていうのは自分の生きる姿勢に対してのシグナルでもあります。
そんな高熱を出してでも焼却しないといけないほど、身体は汚れきっているという表れですから、それはそれで考える必要はあるのです。
私達の現実は自分自身の内面、、、精神が具現化されたものですから、不具合があればそれは軌道修正してみた方がいいんじゃねぇーのという合図だと私は思っています。