以前に何回か書いた事があるが・・・・


私が死ぬまでになんとかこの現世で体験してみたい事。


それは身体の中心に大きな空洞を通して、そこに風を吹き抜けさせたい・・・


そんな風通しの良い身体を目指して、現在精進しています。


身体ってほんとうにすぐに滞るんです。


今日気持ちの良い体だな~なんて思っても、明日になればまた滞る。


日常生活ってそういうものなんですよね。


ちょっとストレスを感じるだけでも、首が凝ったりする。


それぐらいに身体って大雑把じゃ~ないんです。


ただ振り幅はありますから、ちょっとした事で具合が悪くなったり、良くなったりもするんですけど、かなりギリギリまで耐える事(感じないようにする事)ができるという特徴も身体ならではなんですよね。


身体と脳を切り離せばいいわけです。


なので過労死という事態にもなりうるし、悪性腫瘍が全身に播種していて、猛毒である抗がんを打っていても人間は生きていけるんです。


鈍感にもなれるし、忍耐力もあるし、順応性もある。


そして敏感に色々なものを感じ取りすぎて、ちょっとした刺激で具合が悪くなる事もある。


多様な身体機能、感受性は鍛えるものではなく、柔軟性を持ちバランス感覚を養うモノかな~なんて思うわけです。


それが気持ちのいい毎日を送ることができるコツなのかな~なんてねヾ(@^(∞)^@)ノ


敏感過ぎても大変だし、鈍感過ぎても事を仕損じる事もある。


でも敏感に察知できる力も必要だし、生きていくためにはいちいち些細な事に気を持っていかれても生活しにくい。。。なので鈍感力も大切。。。


要するに心身全体の精度を高める・・・ということなのかな~なんて思うわけです。


でないと身体の中心に風穴を開けることはできない。。。。


すごいマニアックな感覚で、何を言っているのかわからないかもしれませんが・・・・


身体に向かう時の内的感覚は針の穴を通すような精度で気の流れを感じていくのです。


我が家は狂気に埋没していたので、勉強どころか読書をする余裕もない子供時代でした。


そんな中でも愛読書が二冊だけありました。


一冊は旧約聖書、、、、そしてミクロの決死隊です。


子供用の絵本みたいな感じで、絵が半分、文章が半分。


米粒ほどに小さくなった人間が潜水艦に乗って人間の体に入り、病原体をやっつけるという物語です。


もう本がボロボロになるくらいに毎日毎日読みました。


そんな感じで呼吸法や瞑想をする時に「ミクロおとり」を自分の身体に放つのです。


そして自分の身体内部を探索していくのです。


筋肉のズレ、、、血液の流れ、、関節の動き、消化器官の泣き声(笑)心臓のくしゃみ・・・そんな身体の声を聞きに回るのです。


そして彼たちの調整を内部から起こっていくのです。


それは舞踏の稽古の時も同じです。


外から見れば、ただジッと立っているだけでも内面はえらい騒ぎって事もよくあるんです。


私の左半部に棲んでいるみずちくんは矢が刺さったまま私に飲み込まれました。


矢が刺さっているので引っ掛かって出れないのです。


完全に出て行かれても寂しいのですけどね、出たり入ったりできる自由度はお互い欲しいですから。。。。。


最近、みずちくんの矢を抜いて差し上げようと格闘中なのです。


それにはやはり心身の精度を高める必要があるということなのです。


心身の浄化はヨガのアサナ(ポーズ)だけでは限界があります。


そのアサナの効果を最大限に効かしていくためにも、瞑想と呼吸は必須です。


ミクロおとりを心身内部に放つエネルギーは呼吸法なんです。


呼吸に乗せてあげるんです。



針の穴を開ける精度があれば、集中力はおのずと高まります。


爆弾で大きな穴を開けてしまう興奮した熱い集中というよりは、日本刀の切っ先に立つような静かな冷たい集中。。。


もどかしくてうんざりする感じではあるのですが、その数ミリの穴を通す事が身体の精度を高める準備なのような気がするわけです(あくまでも私の思い込みですけど)


ギリギリのところを慎重に静かに。。。そして正確に通っていく事、、、、これができれば身体の中心に風を通すことができるような気がするのです。



「あ~体があることが気持ちいい」


一度はそういう風な感覚になってみたい。。。と私は思うのです。


とりあえずは矢の刺さったみずちくんをなんとかしなければいけませんから・・・・・


しばらくはそれと向き合う事になりそうです。




意味不明なエントリーですが。。。

私的には大真面目なんですよ(笑)