代謝戻ってきました~やっと抜けた感があります。ヾ(@^(∞)^@)ノヤッホーって感じです。


どうであれ、ある程度、自分の中で現状がこなれたら、人にどう思われようがぶっちゃけてしまう事は大切だな~と実感しました。


リリースして早く楽になる事もあるようですね。





世間の様々な事件に対して結構、寛容なつもりの私もちょっとどん引きしたニュースが先日あった。


乳幼児を可愛いから抱かせてと近寄り、抱いた赤ん坊の両足大腿骨を折るという事件。


ちょっと想像ができない。


それも逮捕後10件以上の容疑があがっている。


足を折らなくても、つねったりしてあざを作ったり、強い力で抱きしめて泣かすような事が頻回にあったらしい。


「抱っこ骨折事件」という名前がついているのだとか・・・・


まぁ事件そのものをとやかく言うつもりはないが、この女性は20代後半。


離婚して幼稚園の娘と一緒に親元に出戻り両親と弟の5人暮らし。


近所の赤ちゃんを「可愛い、抱かせて」と近づき、足などをあざが残るほどつねるという事で近所では有名だったそうです。


逮捕直後は否認していたが、最近は容疑を認めて「国立大卒の弟と比べ劣等感を抱いていた」などと理由にもならない意味不明な事を言っているらしいが・・


人間の心というのは計り知れない闇が隠されているのだと、改めて実感してしまったのです。


人間ならではの所行だな~と。

人間以外の動物にこういう事をするモノはない。


とは言うものの、、、

私の同じ人間なんですが、どういう感覚でそういう事をするのだろう。。。。と考えてもよくわからない。


なので彼女に意識を合わして感じてみた。

どんな感覚だったのか??・・


途中で具合が悪くなってきたのでやめた。(´д`lll) ・・・・・


悪趣味な事はやめよう~

また代謝が落ちる・・・


彼女の心の闇は社会の闇でもある。

社会の負の遺産を背負っている側の人間なのでしょうけど・・・・

それは彼女の持っているエネルギーが引き受けたモノ・・・・・


巨視的に見ればそうなる。。。


他者と自分、、、


この比較、対立構造で全てを価値判断してしまうパターンを持ってしまっている以上、彼女の苦悩がなくなることはない。


人の幸福を妬み、それを壊そうとする・・・・もしくは実際に壊す。

実際に幸せかどうかなんて分からないが・・・・・彼女の中では乳幼児を抱いた女性は全員、幸福だという思い込みがあるのだろう。


彼女の回路は普通ではない、普通ではない無いところで、彼女の憎悪の量も普通ではないと想像できるが・・・


ここまで憎悪の肥大化はしなくとも、多くの人の心には、彼女が肥大化させた憎悪の種は持っているのではないかと思うのです。


少しくらいは人をうらやんだり、妬んだりすることは誰でもあるだろう。


彼女のように実際に行為に至らなくても、エネルギーのベクトルは同じ方向なのではないかと私は思うのです。


心は実際に行為をしているか、していないかではありませんから。


実際に心に発生した事が同じであればそれを、行為をするしないに関わらず、同一であると見なしてしまう可能性はあるのです。


そうすれば現実はその通りになってしまう。


憎い、羨ましい、妬ましいと思わざるおえない現実がリアルに目の前に強度をまし立ち現れる。


そんな経験をしてしまうと、人を憎んだり、羨んだり妬んだりするようなエネルギーを発生させる事が怖くなる。


でもこれがまた難しく、発生してしまうモノを意図的に抑圧してしまう事もよい方法とは言えないのですよね。


なんだか捻じ曲がった状態で溜め込み、これ以上溜めるの無理~(((゜д゜;)))!!という所まできて、エネルギーは大噴出してしまう事になる。


そうなると他人にも迷惑をかける事になりかねませんし、自分自身も大事に見舞われる。


なので。。。。チビチビ小出しにしておくことも一つの方法ではあるのです。


この世界のエネルギーの流れとしては、発生したものは表現されるという方向性がありますからね。


なので。。。発生したものは素直な形で、早めに表現しておいた方がいい。。。。。


でもだからと言って元を絶たなければ、何度も同じ事を繰り返します。


発生した苦悩の元である負の感情はフィードバックしておく事が大切だと私は思うのです。



なぜ?そう思うのか???という自分自身に対する問いかけです。



要するに何で私は妬むのか?羨ましいのか???とか・・・・・


なんで腹たってるのか?なんで苦しいのか、なんで気に入らないのか??と。


それを何度も何度も繰り返していると、そのうち同じ事で腹が立たなくなる。(私は。。。ですが)


「私って根性の小せぃ~女やな~」とか「私、性根が腐ってるしぃ・・・」と情けなくなるだけですから(笑)



後は自分に集中していればいいのです。



私は一般的に普通と言われているラインから外れて生きている人間です。


で、ですね・・・・


この私の生き様は今生での業なのだから、もうこれで行くとある時期に決めたのです。


決めたと言えばカッコイイですが、、、根性を決めざる終えない状況になったので決めただけなんですけどね(笑)(*゚.゚)ゞ


うだうだとしてたら大変な事になるような状況だったのです。


なので、後は自分に集中するだけになった。。。。決めたらやるべきことが決まるからです。


そこから本当に楽になったのですよね。

ただその決断で捨てたものはたくさんありましたけど(笑)



自分に集中できなければ(自分を見たくなければ)どうしても人の事が気になる。


人の事が気になって仕方がないという人は自分を見たくないからなのだと私は思うのです。


自分にエネルギーを向ける事ができれば、人に向かうエネルギーは少なくて済む。


にぎわったカフェでも、とっても集中していれば、うるさい事も気にならず本を読める。。。そういうのと同じ。


自分を見たくない、知りたくない、、、自分に居られない、自分に向き合いたくない・・・という人は外側を見ようとする。


外側が気になる・・・・・外側ばかりが気になりだすと、神経が過敏になってくる。


気になるモノにばかり目が行く。


どうしてそう思うのか。。。。私がそうだったからです・・・・・苦悩の真っ只中にいる時は自分以外のものばかりが気になるモノなんです。


自分に集中できるようになって初めて、その時の事がわかったのです。


外の世界に無関心だという事とはまた違います。


自分にしっかりと向き合う事ができれば、自然に他人に対しても丁寧に接することができるようになるはずなんです。






乳児の足を故意に折った女性、、、心理的に解釈すれば色々とあるでしょうけど。。。。。


そんな事がわかったところでどうにもならない。。。。


私は思う・・・



赤ちゃんを連れた幸せそうなお母さん。。


自分ができなかったモノに対しての憎悪・・・・

そして幸せになれなかった自分に対しての憎悪・・・


憎悪のエネルギーを自分の中から引き出してくれる、そのモノからどうしても目を逸らす事ができなかったのでしょう。