私の尊敬している人に池田晶子さんとピナバウシュさんがいる。


池田晶子さんは言わずと知れた、女性では珍しい哲学家で文筆家。


彼女のストイックさは真似できませんし、生き方もゆるさがなく厳しすぎるので私には到底彼女のように生きることはできません。


しかし彼女のイノチの向かい方、イノチとは、自分とは、魂とは、世界とは・・・・を真剣に真剣に考えた人として私は彼女をとっても尊敬するのです。


彼女は46歳という若さでこの世を去った。


イノチは量ではなく質であると言い切った方で、それは負け惜しみとも取れるが彼女の生き様を見ると、そうじゃないだろうな~というのは明確である。


発病してからかなり長きに渡り闘病生活をしたらしい。
結婚もガンになってから、したと聞いている。
子供も産まないとご主人の親族に言い切ったそうだ・・・・


それでも池田晶子さんと結婚したかったのだろう。。。。。


ある意味、ご主人も晶子さんの事を尊敬していたのかもしれませんね。(もちろん推測ですけど)


彼女の闘病生活は長かった。


自分の体験として死やイノチを冷静に客観的にも主観的にも思考した人だと私は思っている。


基本的に彼女は自分のイノチやこの俗世界に未練も執着もなかったのだと思う。


なので病気がわかったら結構早くこの世を去ってもよかったのだろうけど、思考する事は死んでしまったらできなくなる。


彼女が唯一、この世界でしたかった事、それは思考すること。


だから彼女はイノチにしがみついたのかもしれません。


基本的に彼女は生きるということが不得意で生存に不向きな性質だと自分で言っている。


それでも患いながらも生き続けて、死ぬ直前まで思考し続けた事に職人気質を感じるのです。


抗う(あらがう)。。。。事は通俗的には良くない印象があるが、私はとことん抗う人はカッコイイと思ってしまうのです。


私は仏教的、神道的。。。。うーーんなんて言ったらいいのかわかりませんが、般若心経が言うような生き方が人間として最終的な到達点であるとはどうも考えられないのです。


まぁそれを目指している人にとっては戯言だと思われるでしょう。


例えば涅槃を目指しているとか、解脱を目指しているとか、煩悩消滅を目指しているとか、即身成仏を目指しているとか・・・・・


そこまで行かなくても、愛や慈悲・・・許し。。。慈愛。。。ワンネス的な心性を目指す??みたない感じかな・・・


それが人間の生まれてきた存在理由とは思えないのですよね。


一生懸命生きたら結果的にそうなった~ぐらいがカッコイイような気がするのです。


それぞれの役目という事でいいのではないかと思うのです。


考える


と言う事にイノチをかけるだけの集中力。。。。。あぁ~・・・・・うらやましいです。私的には。


何かに集中してそれを極めようと思うと、そのほかの事は全く必要ではなくなるのです。


何でもいいのですが、一つに向かう集中力は煩悩が最小限にそぎ落とされる。そんな気がします。


そういうことで。。。。私は同じ女性として池田晶子さんをリスペクトするのです。




そしてもう一人、、、、


世界的なバレエダンサーで振付師のピナバウシュさん。


これは以前、亡くなった時期にブログにエントリーしました。


この亡くなり方があまりに潔くて。。。。かなりかっこよくて感動したのです。


彼女は2009年6月21日、亡くなる10日前に新作の舞台に立っていた。


過労で気管支炎を発症してガンが見つかった。


ガンと診断されたのが6/26それから5日目の6月30日に亡くなったそうだ。


死ぬ直前まで普通に暮らし、ダンスの舞台に立つ美意識。。。すばらし過ぎます。やはり天才は違いますね。


切れ味が最高によい日本刀のように生きた方という印象でした。


人生の生き方そして見切り方・・・・・見習いたいものです。


享年68歳だったらしい。


彼女の身体美意識はすばらしく、動画を見ていると画面に吸い込まれそうになる。


恐らく20世紀~21世紀にかけての名の残る振付師&ダンサーだろうと感じるのです。


やはり命をしっかりと生きている人というのは、長く生きるということが目的ではないということがよくわかります。


善く生きる・・・・



自分を生きる人というのは恐らく、道は一本なんですよね。


凡人の私には今生では無理ですが・・・・・

あまり複雑にせず生きたいものですね。




どうしてこういう事を書いたかと言うとですね、知人が先日亡くなったのです。


その死に際があまりに潔くて感動してしまったのです。


病気が発覚し、、、、手術は不可能だとわかると、冷静に明白に、この肉体から去ると決心してすぐにこの世を去ったのです。


安らかにに気持ちよく、すばらしいイノチの美意識を持ち、この世界を去った様に私は畏敬の念を感じたのです。


死は生まれる事と同じで自分で決めることはできません。


死ぬまでに時間の猶予があったとしても、死を受け入れる事は中々難しいでしょう。


死ぬ準備なんて、ものは突然にできるものではありません。


それは元気なうちから自分の思想を決めておくことが大事だということなのです。


どう生きるかを考えるという事が、どう死ぬかに繋がるのです。


無目的に無意識に生きていては、事に流されるばかりです。


できるだけ意図的に意識的に行為を行なうことが大切だということです。


自分は何を考え、何を思い、何を話し、何をやっているのか。


彼女の死に様を見て、そういうことを明確にする事の大切さを思い知りました。



死に方を決めるのは、生き方なんですね。



彼女の事はまた次回にでも。。。。


冥福を祈ります。