昨日書きましたが、白湯は一度沸騰させたものを二度沸騰させてはいけないのだそうです。
白湯飲み健康法の大きなポイント。。。
「再沸騰は避ける」ということらしいです。
残った白湯を再び沸騰させると、完全に整っていたドーシャのバランスを崩してしまうのだそうです。
必ず新鮮な水を使ってもう一度はじめから白湯をつくります。
ただポットに保温していたものを飲むのはOKです。
一度完成させた白湯をその状態のままで飲むことになるからです。
ドーシャのバランスが完全にとれた、純粋な白湯は飲んだ人の心身をも調和して浄化します。
私も何度も記していますが、ドーシャのバランスが完全にとれた白湯とは
水(カパ)火(ピッタ)風(ヴァータ)の3つのバランスが取れているということです。
水を火で沸かして、沸騰(風)させるということです。
(IHは避けてガスコンロで沸かしてくださいね。IHは火ではありませんから)
この本を書かれた蓮村先生は白湯を飲むと人生が幸福になるとまでおっしゃっています。
ここまで言われる根拠は私にはわかります。
ただ白湯を飲む人の白湯に対する情熱のかけ方でそれは変わってくるとは思うのです。
白湯を飲むということはカラダを冷やす因子を極力減らすという生活になっていかなければ、白湯だけ飲んでいても幸福にはなりません。
さて皆様も今日から、この魔法の水「白湯」を糸をすするように召し上がってくださいね!!!
話は少し変わります。。最近の私のココロの中です。
昨年からグググッと身体の変化があり、それから頭痛がほとんどなくなりました。
何度も書いてますけど。。。
病院にいた10数年前は毎日セデスを飲んでいましたけど、現在は少々の事では痛くならず、、、、
稀に痛くなっても薬で誤魔化さず自分流で改善できるようになり、その痛みを乗り越える回数を重ねるたびに自分の自信になっていくのがわかります。
「もう大丈夫」
「痛くなっても自分でなんとか治せる」
と思えることで、頭痛に対しての恐怖心がかなり減りました。
そして最後の砦に今、差し掛かっています。
砦とは私の身体の蛟(みずち)の棲んでいる場所です。
昨日、やっと全様が見えてきました。
脈が飛ぶとよくブログに書いていましたが、最近では私の中で棲んでいる蛟(みずち)くんに強力にアプローチしだすと途端に脈が飛び始める。。。。。
それで怖くなってやめる・・・・その繰り返し。
今日もずっと暴れてます(笑)
ただ今までと同じ方法では。。。またこのまま収まってしましますから・・・・
違う方法が必要になってきます。
昨日も書きましたが、どんな世界でも絶対的な正しい方法というものはありません。
人は自分が学んだ事を正しいと思いたいのが常です。
でも正しいと思って進まない限りはその道を極めることはできません。
疑ってばかりでは何も事がなされませんから、とりあえずは信じて進むことが大切です。
主観的でいいのです。
それはあたり前のことですから。
ただ臨機応変にその信じているものを刷新して新しくしていくことも大切です。
学びの知識や知恵は自分の器に応じて変化していくものですから。
いつまでも一番初めに学んだものにしがみついていても成長できませんし、心も広がりません。
色々な流派(特定のものを指しているわけではありませんよ)を引越ししていくに従って、一番初めの流派のおかしい部分が見えてきたり・・・・違いから良い部分のいいとこを統合させて自分流にしてみて、より自分にフィットするものが発見できたりと・・・どんどん広がってくるのが面白くなってきます。
そういうことを楽しめる人が人生が豊かだと言えるのではないかな~なんて思うのです。
なんでもスムーズに行ってしまえば生きている意味がないようにも思いますしね。
なので。。。。それも含めて楽しみながら私はこの自分の中に棲んでいるミズチくんと向き合っています。(つもり)
このミズチくんを棲まわせている自分自身を見る。。。。
そう・・・・他人の事を見ている自分のココロを観察すると。。。。ココロの狭さに愕然とします。。。。
そういう事、一つ一つを気づいてココロの使い方を正す・・・・その繰り返し。。。。筋トレと同じです。
地道にまだまだ根気良くやっていきます。
意味不明ですが、そんな思いで最近暮らしています(笑)