今日の青空はすばらしかったですね。
先回の台風の後もこんな感じだったですが、
台風は色々なものをキレイにしてくれるようです。
風邪の後の爽快感と良く似ています・・・
正しい言葉を使う大切さの話の続きです。
正しい言葉を自分に対して使う事はももちろんですが、他人に対して使う言葉には、より一層気をつけなければいけないな~なんて思います。
余命宣告のような極端な話ではなく、些細な会話の中でも人はその言葉の呪詛にかかってしまいます。
例えば・・・・・
親は子供を自分の思い通りに(飼い馴らしとも言いますが)するために言葉で固定してしまいます。
あなたは体が弱いから無理をするな、と言い続けると、その子は本当に弱い体になり、決して無理をしない人間になります。
体の弱い事を理由に何も行動できず、成長できない人になってしまいます。
あなたはバカだから、勉強しないと良い大学にいけないと言い続ければ、どんなに勉強してもその前に「バカなボク」になり、本当にバカになってしまいます。
うちの主人は頼りにならないと言い続けると、本当に頼りない夫になるでしょう。
ある例ですが、お母さんが疲れてイライラしている傍で娘が楽しそうに歌を歌っていたのです。
お母さんは娘に怒鳴りました。
「そんな変な声で歌わないで!」と・・・
大好きな大好きなお母さんに突然に怒鳴られた彼女はびっくりして歌うのを止めた。。。。。
それから彼女は歌えなくなり、無口になった。
「私って変な声だ」という言葉で自分を固定してしまったのですよね。
彼女の中には長年に渡り悩ませる事になるコンプレックスがこの一瞬、お母さんの一言で作られてしまったのです。
まあこれは極端な話かもしれませんが、往々にしてこういうケースってあると思うのですよね。
私の知っている人で、君は若くして総入れ歯になると宣言された人がいるのですが、今50代ですが、それは現実化しそうな勢いで歯が無くなってきているのです。
あの時に無意識にインプットされてしまったんだ(笑)と本人は笑い飛ばしてますけどね。
言葉のエネルギーは強力に無意識まで到達しインプットされてしまい、その言葉でイノチを固定してしまうのです。
私は小さい頃からとっても病弱で病気ばかりしていた子供でしたが、お母さんは私を病人扱いしなかったのです。
今だけちょっと具合が悪いだけ的な感じで、病気に対して重要視しなかった。
「すぐ治る治る」と軽いのです・・・・結構きつい病気一杯やってるんですけど(笑)
それは多分、私に注意を向けるだけの余裕が自分(母親)になかっただけだと(笑)思うのですが、結果的にはそれでよかったと思っています。
私は自分が病弱だと一度も思ったことがありませんから。。。。とりあえずは色々な不具合があっても元気に過ごすすべを身につけています。
それは一重に母親の刷り込みがなかったからでしょう。
子育ての方法は過干渉よりも放任の方がエネルギーは複雑にならないようですね。
だからと言って良い事ばかり言わなければいけないという事ではありません。
正しい言葉=ポジティブな言葉と言う事ではないのです。
どれだけ真実に近い言葉を見つけて伝えられるかと、、、、呪詛にならない言葉を使えるか・・
そういうことを考えていくだけでも、自分から発する言葉は変わってくるようですよ。
人を貶めるような言葉を使わないように注意すると、自ずと相手の立場にたつようになるのです。
相手の立場にたつという事は、相手の事を想像してあげるという事になります。
相手を想像するという事は、相手を理解しようとする行為に繋がるのですね。
まあ高度な行為ではあるので、努力が必要です。訓練です・・・・・
筋トレみたいなものですよね。。。。。。
その時はきついですが、やっていくうちに知らぬまに筋肉がついてて、今まで持ち上げれら無かったウェートがヒョイと持ち上げられるようになってるみたいなね( ´艸`)ふふふ
私はまだまだ訓練中です。
愛ある言葉を使うのがとってもへたくそです。。。。。
それは多分愛ある言葉を小さい頃に覚えなかったからでしょう。
愛ある言葉をかけてもらっていないからでしょう。
でも小さい頃に覚えなかった、かけてもらえなかったからという言い訳は通用しません。
自分の心や脳のストレージデバイスの中身をこれから書き換えればいい話ですから。
もうたくさん生きてきましたから、
愛ある言葉はもう一杯知っているはず、そして一杯かけてもらっているはず・・・・です。
正しい言葉の
上書きφ(。。;) 上書きφ(。。;)
皆さんも正しい言葉の上書きしてくださいね。
人には二匹のカモが住んでいるらしいです。
一匹は
「できるカモ」
もう一匹は
「だめカモ」
同じカモなら・・・・「できるカモ」を飼っておきたいですね(笑)