以前病院に勤めていた時、ドクターが患者さんに病状を説明するのを聞き、いつも疑問に思っていた。


どうして最悪の場合のケースを普通に起こる出来事にように話しをするのだろう・・・・


患者さん不安になるのに・・・と。

良い事は言わないのですよね。

余命を伝えるにしても短めに言うのです。

そんな事を言うと本当にそうなってしまう。


どうして希望を持てるような言葉を使わないんだろうって・・・・いつもいつも思っていました。


私が西洋医学の世界にいることが辛くなった原因の一つです。

言葉で呪詛をかけているように私は感じていたのです。


言葉と言うのは人間にとって強力な道具であって、それは諸刃の剣となる。


美しい夢を作り出す事もできるけど、破壊に使うこともできる。
自由を作り出す事もできるけど、奴隷にしてしまうこともできる。

言葉は純粋な魔術にもなるけど、黒魔術にもなる。


人類が言葉を持ったとき、きっと人々はホッとしたのではないかな~なんて想像します。


人に思いが伝わった時ってなんだかうれしいし、心が軽くなります。ヾ(@^(∞)^@)ノホッってね


反対に毒を吐かれると、具合まで悪くなります。


正しい言葉を使う事に注意向けることは人生において大切なことです。


言葉は人生を創造する力になる大切なもので、その事を知っているのと知らないのとでは、創造する人生はまったく違ってきます。


私も本当に毒を一杯吐いてきました。考えると恐ろしくなるほどです。

まだまだですけどね(-。-;)


言葉を正すと、目の前の風景も変わってきます。


以前虚構の話を書きましたが、世界の見方は言葉で作っているようなものです。


幻想の世界は言葉で、できていると言っても過言ではないかもしれません。


人は物を認識して、それを言葉で固定します。その言葉次第で世界の見方が決まるのです。


言葉は外側に影響を与えているのですが、まず自分自身がその言葉の呪詛にかかっていることが多いのです。


音声で吐く言葉ばかりが言葉ではありません。

心の中で思っている思いも言葉なのですよね、実は・・・・・


「私ってなんでこんなに醜いんだろう」という極端な事までは思わないにしても、些細な独り言で「毎日つまんないな~」となんとなく言葉にすることで、もう毎日が本当につまんなくなってしまうのです。


「毎日つまんないな~」と言葉にしている限り、つまんなくない世界は訪れにくくなってしまいます。


もうつまんない世界しか見えなくなってしまう・・・・

多分つまんなくない出来事もちゃんと見ればあるはずなのですよね。。。


でも、だからと言ってサディステックに本当は苦しいのに「毎日楽しくて楽しくて仕方がないわ~(T▽T;)」と言う必要はありません(笑)


あまりそういうことに一々引っかからない方がいいのです。

どういう事かというと、外側の現象を判断しないということなのですね。


良いとか悪いとかの判断で言葉にしていると大変ですから、、、、少し離れて俯瞰して見る。


「あ~今日も私がんばった」程度にしておくといいと思いますよ。


毎日の使う言葉を気をつけるだけでも、ちょっと違った世界が目の前に現れきます。


それが結構できるぜぇ~的になってきたら、感謝の言葉を出すようにするともっと良いかもしれませんね。


最近ちょっぴり商用になってしまった「ありがとう」ではありますけど(笑)

でも汚れた言葉を吐くよりはずっとイイ!


人に何かしてもらったとき、私達日本人は「ありがとう」と言って感謝します。


「ありがとう」は 「有り難う」と漢字で書く。


「難しい事、困難なことが有り」


・・・・これがどうして感謝の気持ちを表す言葉として、
日常的に何気なく使われているのか・・・・


本来は感謝を表す言葉ではなかった。


「有り難う」は「有り難し」から派生
「有ることが難しい」「非常に稀である」という意味ですね。


極めて稀な事、珍しい事は、神や仏の力で実現すると昔は考えられてきました。


そういう稀な出来事や奇跡を神仏の力と考え、「ありがたし」と手を合わせて神仏を拝んだそうです。

そうです・・・
「有り難う」は、神仏への感謝の「有(あ)り難(がた)し」が変化したもの。


干ばつで作物ができない危機的な状況、そんな時に雨乞いをしたら、雨が奇跡的に降った。


村人は「ありがたしありがたし」と空に向かって拝む・・・・

そんな言葉です。



私はそんなありがとうという言葉が大好きです。