この世界は


「幻想」である 


「マーヤ」である


「虚構」である


「夢」である


「仮想現実空間」である


色々と言い方があると思うのですが、私達が現実と思っている、この世界は真実じゃないんだぜ!と言う意味の事を表現するために上記のような言葉を使う。


私はこれらの意味の事を言われた時、読んだ時に違和感を覚えていた。

しかし間違ってはいないし、私もそう思うから反論のしょうもなく、、、、
その違和感を感じないようにしてきた。


でも。。。。やっぱりどうしても違和感を感じる。
なんだかちょっと変、、、、みたいな漠然とした感覚に陥る。


同じ言葉、文字でも違和感を感じないで素直に「そやな~」と思える時もある。


多分それは言葉の意味ではなく、発信側の相手のバイブレーションに対して私が反応してしまっているのかもしれません。


で、ちょっとそれを真剣に考えてみた。この違和感はなんだろうって。


私は知的レベルが低く、頭で論理的に物事を解釈できるタイプではない。

カラダ的感覚だけを頼りにすべてを判断して生きてきた。


頭で考えてるヒマが合ったら動け!というちょっと乱暴な性格を持っている。

そんな人間がえらく難しいことを考え始めたもんだから、回りはエライ迷惑したようです。


ご迷惑をおかけした皆様、ごめんなさい。さぞかしうるさかった事でしょう・・・・お付き合いいただきましてありがとうございました。


とりあえず私の頭の中は終息した・・・・というか、諦めがつきましたので終わりにします。


で、少しだけ・・・・頭の中のもの吐き出させていただきます。
だた・・・・結論はない話ですのでご了承ください。恐らく・・・・書きっぱの話になってしまう可能性があります・・・・がお付き合いいただけましたら幸いです。





この世界は幻想である・・・・虚構である。。。これはどういうことなのか?


私達が生きている世界はウソなのか・・・・話はそこから始まります。


例えば夢を見ている時はそれが現実だと感じ、そこで泣いたり笑ったりします。見ている間は現実そのもの。目が覚めたら、それまで現実のように感じていた夢の世界は消えて行く。


でもそこで感じた事や体験した事は自分の中に残っている。泣いた事も怒った事も笑った事も・・・・


ある意味、夢での体験感覚は真実で無いとも言い切ることができない。人が感じる感覚の話ですからね。


「夢」でも「現実」でも感覚というレベルで言えば、同等のエネルギーを持ち、私達の心身への影響も同等レベルに受けてしまうと推測する。(私の体験上ですけど)


例えば妄想癖のある人は、自分の中から発生した妄想を現実と思ってしまう。


心の中で発生した事はエネルギー的にはもう現実に等しいのですよね。妄想人にとってそれは現実の何者でもないということなのです。


で!現実なんてものはとても曖昧なものと言う事になり、この世界は幻想である、虚構である。。。そうですよね間違いない!です。その通りです。


さてではどこに違和感があるのでしょう。


例えば夢で交通事故を起し、人をひき殺してしまった。。。。。感覚的には現実でひき殺した時と同じような感覚を体験する。焦燥感、罪悪感、悲壮感、不安感、恐怖、自己否定・・・・恐ろしいほどの苦悩を感じることでしょう。


でも夢から醒めた「あーーー夢でよかった」そこで終わり。

しかし実際に人をひき殺したとしたら、それはその時では終わらない。


味わう感覚は同じでも、時間軸というのがこの現実世界には存在する為に焦燥感、罪悪感、悲壮感、不安感、恐怖、自己否定・・・・恐ろしいほどの苦悩は時間軸に添って継続して味わうことになる。


完結するまでにある程度の時間を要するということである。夢の世界よりも明らかに苦悩の時間は長い。


実際は時間軸と言う物も錯覚なのかもしれませんが、それを確認証明する方法はない。


とりあえず夢と現実の違いは「時間軸」ということになる。
と言う例えを踏まえて・・・





先ほどの話に戻ります。



「この世界は幻想である」と言うことを説明するにあたり・・・「私達が毎晩見る夢はこの世界と同じなのです」という言い方をします。


この夢をこの世界に当てはめてみた比喩方法ですね。


でもこれも私には違和感を覚えます。


じゃー夢から醒めた時の現実世界的なものが、もしこの私達が住む現実世界から醒めた時にも在るのかという疑問が沸いてきます。(難しいですか?)


マトリックスという映画にもありますが、ネオ達の首に挿入されているプラグを抜くとネオ達が現実世界だと思っている仮想現実から真実の世界に目覚めるというのと同じですね。


「この世界は幻想である」という言葉から受けるイメージが、物理的にこの世界の裏側(裏か表が知りませんが)には真実の世界があたかもあるような印象を受けてしまう。


まずその言葉足らずの印象に違和感を覚えるのです。



プラトンも同じような事を言ってる・・・


現実世界の背後には真実の世界「イデア界」があると・・・純粋な理性的思考でそれは認識されると・・・・わざとわからないような書き方をしているとしか思えない説明ですよね。


イデア界というのは。。。


そうですね。。簡単に言えば、実際のアイドルとブロマイドの関係という感じでしょうか。


私は金城武くんが好きですが、会うことができません。なので金城くんの写真を見てほっこりします。(実際は持ってませんけど(笑))


でもその写真は本物の金城くんではないですよね。
写真の元となってる金城くんが真実で、逆にその写真に写ってる金城くん偽者ということになります。


金城くん本人がイデア(イデアは真実。イデア界は真実の世界ということらしいです)


プラトンが言うには真実である金城くんの姿を見たことがないのに・・・私は金城くんの写真を見てほっこりする。


つまりイデアは現象界(私がいる現実世界)における物のカタ。


金城くんそのものがカタで、現象界に住む私ははカタで作った偽物(写真や映像など)しか見れないのだよ。。。。というのがプラトンが提唱するイデア論。


これもなんだか違和感がある。


金城くん本人が本物で、金城くんの写真は偽者という二つの世界が存在するから・・・・


私は偽者、本物と言う言葉に引っかかっているようだ・・・・。

単なる物事の捉え方のポジショニングということであれば解るのですけど。


さて・・・すいませんまだまだ続きます。


ヨガ発祥の地インドでも昔から、この現実世界は夢のようなもので実在していないと言ってきました。


そのことをマーヤ(幻想世界)と表現しています。


あんたらの現実世界での日常の心はいつも夢見取るんやで、それに気づかなあかんのや!あんたらはそのままの現実を見取るわけちゃうんや!!でぇ~


と言うことをガーネーシャが言ったかどうかは知りませんが、そんな感じです。

しかし、、、、これは違和感があまりありません。この話に世界は二つないからです。


ただ「そのままの現実」ってじゃーなんや??とはなりますけど。


「現実世界」は幻想であり、夢であり・・・そして「現実世界」には「そのまんまの現実世界」が在る????難しいですよね。



だんだん樹海にはまってきました。

そうです、言葉遊びになってしまうのです。言葉で表現できる問題ではないんですよね。
多分どこまで行っても矛盾から逃れられませんから。

でもここを押さえて置かないといけないような気がしてなりません。



なんとなく解ったような気になって、その言葉(この世界は幻想である)を乱用する。またその話を聞いて「この世界は幻想(マーヤ)」という言葉を間違って捉える。


そうなんだかその部分にも違和感を覚えているのだと思います。


現実世界と真実世界があるようなニアンスに・・・・


恐らく・・・・現実世界と真実世界というような比較論争の問題ではないし、その答えがあるわけがない。

この思考でいるとドグマにはまってしまう。

現実は幻想であり、幻想も現実である・・・・どちらもどちら・・・



私をはじめすべての人の心の中にはフィルターがあり、それが薄いか厚いかはありますが、いずれにしても人は必ずフィルター介してこの世界を見て解釈している。



そのままの現実なんかは誰にも認知できないもの。


この世界は幻想だと言った事がもう幻想ということになるのです(笑)

完全に樹海迷走状態ですね。ほんと難儀で面倒な性格なのですよね。


このへんで私の違和感の原因をまとめると・・・



現実世界(現象界)は存在せずに、覚醒(アセンションとか悟りとか色々と表現はありますけど)とともにこの私達の現実世界が消え失せて、真実の世界(なんだかよくわからないですが)がやって来る的ニアンスが含まれているようなバイブレーションを感じる場合、もしくは言葉が足らずそういう風に受け取られてしまうような表現しか、しなかった場合には私は違和感を覚えるということなのです。


幻想以外の世界があるのか?それはない・・・

しかし知るということで世界は変わる。

何を知るのか・・・この世界は幻想であるという事を知る。気づく。


ただそれも幻想に過ぎない。

なので・・・・・私達はたえず世界を偽造し続けてでしか生き続けられないということなのでしょう。



難しい話になってしまいましたけどね・・・

それぞれのポジションが違うだけでしかない・・・・・

この世界の捉え方の話だと思うのです。


それぞれの人の心の中に投影された世界が人の数だけあり、世界自体はそれしかない。


同じものは一つとしてない。


昨日一つのパンを二人で分けて食べた。同じパンなんだけど、それは同じパンではない。

私の舌が感じたパンの味とはきっと違うから・・・・


パン一つとっても人が変われば捉え方は違うのである。


「美味しいでしょ?」

「ん?うーんそんなに・・・・」

「えーーなんでこんなに美味しいのに!!!キィーー\(*`∧´)/」

という会話はしませんでしたけど(笑)


こういう些細な「違う世界」が恐ろしいほどこの世界で起こっている。


人は違う世界を見ているという事が知らないと諍いが絶えない。。。。


だから自分の思い込みの世界から少し距離を置いて、この世界は自分が作り出した幻想なんだよ。。
と捉えた方が色々な不具合やら面倒な事やらを他人のせいにせず、自己責任で心平和に暮らせるよということななんだと思う。


決して虚構や幻想が善くないということではない・・・私達は心がある限り虚構の世界、幻想の世界でしか生きることができないのだから。


その中で食べて寝て働いて一生懸命に生きていくしかない。

虚構であれ幻想であれ・・・私達はそこで生きている。


それを知るだけでいいのだと思う。この世界は幻想だと認めていれば、最善の見方を味方にすることができるはずなのです。




また明日も書くかもしれません。

とりあえずは・・・・・