なんだか今日は本当に変な天気だった。


水の神様がバケツをひっくり返して、ちょっと遅い夏越しの祓いでもされていらっしゃるのか。


電車に乗っている窓の外は青空なのに、向こうが見えないくらいの大雨が降っている。


私の電車を追いかけてきているようだった(笑)



おとりの夢現-CA3A0303.jpg


でも気持ちは清清しいから、変なものではないということはわかる。


最近、水の神様が先陣きってお歩きになっている姿が見える。(ような気がする)


浄化なのでしょうかね。それに風神様も今日はお出ましです。


何かお祭りでも始まるのでしょうか・・・・・・


夏の戸隠行脚が楽しみです。


八百万の神様待っていてくださいね。


しかし最近不調を訴える人が多いな~と感じる。


昨日も講演会があったのですが、200人近い方がいらして、それぞれがそれぞれに悩みを抱えているのが手に取るようにわかるのです。


なんだか、、、、絶望的な気持ちなる瞬間でもあります。


現在はかなり閉塞した社会が展開され生命の躍動感を感じれず、それでいてなんでも簡単に手に入る。


そして情報化時代となり、自己変革もまた容易であるかのように喧伝される。


それでも、不安や過剰な緊張から解放されることはない。


成果主義、結果主義のストレスから脱しようとして新たな成果を目的にして走る。


構図としては同じなので人々はずっと走らされる。


そんな姿を見て、人間の生きていく意味に疑問をもつ子ども達。


仕方があるまい、尊敬できる大人がいない。


私もしかりですけど。。。。




私は見えないものを信じてはいるし、この世界は目に見えないもので出来上がっていると思っている。


しかしそこから全て、物事をみてしまうと身体がある以上、よほど慎重にしないと,、偏った方向に行きかねないし、精神を制御できる力がないと足を踏みはずしやすくなるように思うのですね。


だから目に見えて、リアリティを誰もが感じることができる、精神、ココロの入れ物である社(身体)を整える、キレイにするということから入る方が、目に見えないものを信じる力を養うためにも、いいように感じるのです。


身体や心に入れる物、出す物。。。。にもう少し注意してみてはということです。


そこから始まるともいえるのですね。


神様が降りてくる神社仏閣がどうしてあんなに掃き清められているのか。


神主は掃除ばかりやってますよね。


それは神様がどういう気配でやってくるかがわからないから、いつもきれいに整然としておかないと神様を気づけないから



神様は神々(こうごう)しく神様らしく降りてくるわけではない。


ちょっとした風の揺らぎや草木の音、ひのひかり、水の滴や雲、蛇かもしれないし。。。。乞食かもしれない・・・・鳥や虫かもしれません。


何で登場してくるかわからない。ちょっとした変化を見逃さないように、、、キレイにしておくのです。


キレイにしておくことで小さい微妙な変化も気づけるようになるのですね。


汚れいているとそういったものが見つけれない。


グチャグチャになっていると感じられないのです。


だからキレイにして、神様がお出ましになったらすぐにお迎えできるようにしておくのである。




身体も同じです。

自分のカラダをぐちゃぐちゃにしていると、何が発生したかわからない。


変化もわからない。


人間本来は何か身体に不具合が生じれば初期の段階でそれを修復する力がある。


運命ならそれは仕方がありません。それはその人の命の寸法ですから、それは受け入れるしかない。



でも、自分自身が作った原因からの病なら、それは自分で修復できるはず。


身体の中が汚れて、ぐちゃぐちゃになっていると自分の中で起こっていることがわからない。


発生したものを気づけない。シグナルを見逃し、、、、大事になってしまうこともある。


今の社会はその人間の形示しで、ぐちゃぐちゃの混沌とした世界となり、わかりにくくわかりにくくしている。


わかりにくいから刺激をより強力にして、五感に働きかける。


外側の刺激が強力で騒がしいと、自分の内側をどんどん感じることができなくなり、鈍感になる。


鈍感になればなるほど変な病気が増えてくるのでしょう。



だから掃除をしましょうと。。。。いうことです。

わかりやすくしましょうよ。。。。ということですね。



その掃除の方法の一つが呼吸法です。


私のやっていると呼吸法はかなり強力に身体と精神を大掃除します。(誰でもできるということではないのですが)


気の流れなどの身体の物理的な掃除もさることながら、感情や感覚、スピリチャルな感性も喚起します。


それはどうしてか、呼吸法は、こころとからだをつなぐ架け橋になるからです。


でもね呼吸法って地味で飾りっけのない実践ですので、現代のおしゃれな風潮にはそぐわない。


グリーンマイルっていう映画知ってますか?

主人公の囚人コフィーが人の毒気を吸って病気を治すのですが、それを吐き出すときに咳をして黒い煙を吐きます。


あの方法なのです。


だからちょっとした憑き物はすぐにおちます。


しかしまたすぐに憑いてしまうのですね、そのまま意識が変わらなければ同じだからです。



ちゃんと息をする・・・・全身で呼吸する。


それだけです。


それだけでも必ず少しずつでも変化していきます。


呼吸はプラーナといい、生命エネルギーという表現を使います。


自分の生命をエネルギーとして感じ、その変化やプロセスを体験していくことから他者からの評価に左右されない自己肯定感が生まれます。(はずです)


自己肯定を邪魔しているものはなにか。


呼吸法はそれを自らの中にみつけていく作業なのですね。


呼吸は生命エネルギーを補充するポンプ役割です。


そして補填したプラーナ(生命エネルギー)を身体にまわすのがバンダです。


バンダの話をしたらまた長くなりますので、次回にでも。


意図的に呼吸する。。。これすら現代人はできなくなってきているのですね。



ちなみに私がやっている呼吸法はグリーンマイルの囚人コフィーがやっているものと同じ類のものですので。。。。


中々抵抗なくできる人が少ないというのが現状です。


やる気があれば誰にでもできるのですけど。


でも通常のヨガでやるようなウジャイ呼吸程度なら誰にでもできると思います。


もうすぐお盆ですから、夏の大掃除初めてみませんか。