やっと雨があがり、お月様が顔を出しました。


気圧が低いのが続くとカラダがどうも重い。。。。。人間のカラダはお天気に左右されるもののようです。


久しぶりに地震がありましたが、やっと重い感じから出た~って感じでカラダが軽くなりました。


つかの間のさわやかを楽しむことにしましょう。


久しぶりに西成人の話を・・・・



新型インフルエンザがとりあえず終息したようです。


この騒動の後、よりいっそう清潔志向が強くなった。


様々な施設の洗面台に消毒液が置かれることも珍しくなくなった。


しかし10数年前にいた西成では不潔極まりなくても力強く生きていた人がたくさんいた。


西成人はとにかく不衛生である。以前にも言ったが・・・体に黒かびが生えるほど不潔(。_+)\


しかし人間とはこんなに強いものか・・・・と毎日が新鮮だった。


へぇ~へぇ~(゜ー゜)(。_。)(゜-゜)(。_。)の連続。


「すんげぇ~すんげぇ~(((o(^。^")o)))」と人間の凄さを目の当たりした。


「人間ってこんなんでも生きていけるんやな~」と感慨深くなることも日常的。


西成人は通常では重症で食事は食べれないだろうに・・・・と思うほどの病状でも食事を出すと食べる・・・・のである。


運ばれて重症と判断すると、基本的には絶食にしておく。


しかし食事の時間になると、匂いで目を覚まし(さっきまでの意識障害はなに??)


「ワシのメシは??( ・◇・)?(・◇・ )」と聞いてくる・・・・


「絶食やから出ぇへんで~」


と言おうもんなら・・・・激怒・・・激高かもしくは意気消沈・・・・で悲しい顔をする・・・


もちろんほんとに絶食にしなければいけないような病気・・・・例えば吐血とか、心臓系、脳梗塞系などは嫌がをでも、無視する。


しかし気分さえ悪くなければ、食べてもよいような患者さんだと・・・・


「でも、食べられへんやろ?そんな苦しい息してんのに・・・」もしくは「高熱出てんのに・・・・」

と絶食を納得させる会話が続く・・・・


「いや!!!食べれる!!!ヾ(。`Д´。)ノ」と強固な顔


「じゃ~夜から出してもらえるように先生に言うて見る」


「夜からとちゃう!!今出して!!o(;△;)o」


「悪いけどもう間に合えへんねん。。。。。ごめんな~」


「・・・・・・( °д°)」


大概は夕食まで我慢してもらうが、あまりに激怒する人や悲しい顔する人には、朝ご飯で残ってる食パンを出すことがある。


しかし重症な人が食パンという、極めて喉に通りにくい食べ物を食べるわけが無いと思うでしょ。


私もそう思うけど・・・とりあえずその場をおさめようと試みてみるのである。


皆さん想像してみてください。


インフルエンザで高熱が出て吐き気頭痛があるときに、パサパサの生の食パンとマーガリン・・・・食べれます?


それがムシャムシャ食べきってしまうのです。吐かずに・・・・


完食∑(゚Д゚)


それぐらいに初期の欲求に対してのパワーが私達常人とは違うのです。


この時代にマズローの欲求段階説である、一番根底にあるもっとも基本的な欲求「生理的欲求」が満たされていないのです。


だから反対に言うと生命維持に対する機能が格段レベルアップしている。。。。と・・・・・


どんな状況でも食事をとる力がある。だから回復力もレベルが違う。


生命力があるのか・・・ないのかよーわからん・・・・って感じです。


こりゃーもうあかんやろ・・・・と思うような病状でも、見る見る復活していく。


点滴や薬に対して、普通よりも反応がよいのだ。


それら科学の力に対して耐性がないから効きがよい。


ただのブドウ糖の点滴一本打つだけですさまじく元気になる。


私は今まで得た経験や知識を全て、フォーマットしなければいけない状況となった。


まあ、だからと言って全てがそうとは言えないが・・・・。


ただ言えるのは・・・・・現代人はココロもカラダも少し複雑になりすぎている。


そう思うのです。。。


「死んだらどうしょう・・・・」


そうやって私もみんなも不安になっているが、その恐怖の源の「死」とは一体なんのか・・・・・


私も偉そうなことは言えません。


でも「死」が何かということは答えることはできませんが、多分「死」って私達の意志を超えたところからやってくるのではないかと思うのですよね。


私達が選んで向こうへ行くものではない。


人類はそれらをコントロールできると思っている節がある。


今回のインフルエンザ騒動を見てそう感じました。


もう少し自然に対して謙虚になる必要があるのでないかと・・・・


長く生きるということだけに固執し、どう生きるかということに関しては希薄になっている。


食べる為に生きるのか。

生きるために食べるのか。


やはりそこに戻るのかもしれませんね。


2500年前、ソクラテスが生きていた時代と現代。


何一つ変わっていないということなのです、、、、、