私の母道江は人と同じがとってもキライな人だった。


学校で使う教材やクラブ活動で使う道具などは必ず、学校指定の物を持たせてもらえなかった。


道江は洋裁が得意だから、家にたくさんの裁縫道具があった。



家庭科で裁縫箱を用意しなくてはいけなくなり、学校から指定の物を買うようにとプリントをもらってきたが・・・・道江はそれをゴミ箱へ・・・・(泣。。。((( T_T))


道江が日頃から使っている裁縫道具を見繕い、安い裁縫箱を買ってきて、そこへ入れて持たせた。。。。。


私だけ違う・・・~~~~~(m--)m


裁縫シュミレーション用のシャツは道江が作った。


ボタンがつけられるように、端をかがれるように、ほつれを補修できるように、穴を閉じれるように、色々なケースを練習できるような父の使い古しのシャツを持たせられた・・・・


私だけ違った~~~~~(m--)m


テニスクラブに入ってた・・・クラブ指定のバックがあったけど、これもそう・・・・家にあるカバンを持たせられた。


私だけ違った・・・~~~~~(m--)m


とにかくいつもそうだった。


みんなと違う物をいつも持たせられた。


クラスで一人だけ・・・・学校指定のものではなかった。


特にそれに対して文句は言わなかった(文句を言って聞く相手じゃないし)


ただうらやましいとか、辛いとかという気持ちもなかった。


そういうことでいじめられることもなかったし・・・


でもやる気がうせた・・・・・それらの物を大切にすることもなかった・・・


やっぱり新しいきれいなものだとうれしいし、やる気も出てくる。それに大切にもする。



この話の流れだと、もっといい話になるはずだが、現実は違う。


母の愛情が今になって分かったとか・・・・母の心のこもったものを持たせてもらったとか・・・・
感謝の気持ちで一杯だとか・・・・


あほらしい・・・


適当に家にあるものを見繕ったものなんてうれしくない!これが本音。


それに人と違うということも嫌だった。(ほんまに嫌やった!!(` 曲 ´))


人と同じということが、どれだけ気持ちが安心するかを思い知らされた。


しかし、私は人と違うということに対して、小さい時から訓練してきたので、人と違うということに恐れを持たないし、焦らない人間になった。


基本的には自分がどうしたいかが基盤となる。


今の日本、人が群がる場所、皆が持っている物、要するに流行を追っていないと不安になる人が多い。


それが本当に好きなのか、食べたいのか。。。。それらを吟味せずに走る・・・


人と同じであることで安心する若者がたくさんいる。


道江が伝えていたこと


人と同じである必要はない
孤独を恐れるな


きっとこういうことを無意識で私に伝えたかったのかもしれない・・・・


私はそのことから一つ知ったことがある。


たった一人になっても、自分を生きていれば理解者は必ずいるということを・・・



でもヘタするとトラウマになる。


例えば人と違うといじめの対象になったりする。

そうすると親を恨んでたかもしれない、、、、のだ・・・・・


不幸中の幸いか・・・私はいじめられる対象になりにくいキャラだったから恨みにはならなかったが。。。


だからどの子にでも、そうすればいいということでありませんのでご注意ください。


現代のいじめは壮絶ですから・・・


しかし、人と違ってもいいということはどの子供達にも教えておいたほうがいいとは思います。