明日からスキーに行きます
2年ぶり


40の手習いというが38歳からはじめたスキー
まあ普通には滑れるようにはなったけど
久しぶりだからちと怖い


5年前に一緒に行ったしぶりんも4年前に一緒に
行ったすずかも、もうこの世にいない


不思議なものだ

人間の死亡率は100%


しかし「死」からこんなに遠い国も少ない

病院勤めから離れて、死体を見ることはなくなった


死がとっても遠いのである

身近だったから余計に思うのかもしれないが
とっても不自然な感覚に陥る


今この時が延々に続くがの如く、錯覚してしまうのである
自分が死ぬということにリアリティがない


人の死から遠いと感性が鈍る


母道江が線路に座り込み、電車に轢かれて死んだ時
私は彼女の死に顔を見なかった


どうしても見れなかった
死んだことを認めたくなかったのだろう・・・・たぶん


その間、何処へ行ってたのか・・・思い出せないが
母が荼毘にふされるまで家出していた


その時付き合ってた男の所にでも行っていたのだろうか???
葬式には参列したが・・・


そこで母の死から逃げてしまったから、
それから10年もホームレス専門病院に居続けることになってしまった


かあちゃんの事を昇華できるまでに10年もかかった

そこで私は学んだ


やっぱり生きていて、起ってきたことは基本的には逃げない方がいいと
それに向かった方がいい


私は精神世界的なお説教を言うつもりはないけど
でも体験的にそう思う


しぶりんもそうだった
彼女は逃げて逃げて逃げて逃げ切った(死んで)


まあそれも良いだろう
彼女のやり方だから


初めてスキーに行くことになった時
彼女は下痢になって行けなくなった(余程行きたくなかったと(無意識が))


翌年・・・・・・なんとか一緒に行けた


なんとかボーゲンで子供がソリをする斜面を

滑れるようになった


で!お昼前やっとの思いでリフトに乗りコースへ
しかし滑ることができず(初心者コースやけど)、
途中でスキー板を担いで、カニさん歩きで彼女はコースを降りた
(そっちの方が辛いだろうに・・・)


どうしても高所斜面の恐怖心から脱却できず
一日目の午前中にギブアップ


かなりふて腐れていて
もう二度と滑らないと言い切っていた


翌日も滑らなかった

さてはて彼女は何をしに行ったのか


でもスキーから帰ってきてしばらくして
「来年もう一回トライする」と言いだした


私はあきれたけど・・・・・
「そうやな、がんばってな」と言っておいた


翌年、スキーシーズン2月彼女は末期がんで入院中

3月に死んだ・・・・・


結局、できないことができるという快感を何一つ知らずに死んだ


明日からスキーやな~と思ったら
そんなことを思い出した


逃げれば、事はどんどん大きくなる
私はチャレンジャーじゃないし、恐がりだから事が小さいうちに
やっとくことにしている


地道に坦々とコツコツ

やっぱりこれが私には一番あっている


明日から雪山です

行ってきま~す