レイキマスター(恥・・・(* ̄Θ ̄*))となり、毎月一泊二日のレイキセミナーのスタッフとして参加し始めた。


1回のセミナーに40人くらい参加する。その参加者にアチューメント(伝授)をしていくのだが、40人もいると流れ作業状態となる。


1人に7回アチューメント(伝授)するから単純計算で280回行うことになる。


スタッフ7人でアチューメントすると、二日間で40回も同じ事をやりつづける・・・・・結構過酷・・だし値打ちがあまりないような感がある。。。。


バイト料は破格によかった。私がレイキセミナーに払ったウン十万円は半年ほどで全て回収した。


それからしばらくして私は病院を退職することとなり、退職日が決まると直ぐに沖縄行きのエアチケット片道をとり長居するつもりで荷造りをし、退職の日を待つことに・・・・


もう体も心の限界にきていた。理由は一杯あるが、一番は理屈抜きに体が疲れてて、判断力が鈍っていたことを実感したからである。


余裕がない・・・・・優しくなれない・・・・楽しくない・・・そんな理由である。


送迎会は飛田新地の料亭で大々的に催してくれた。病院の代表は私に一年後に戻ってくるように念押しをした・・・・(戻るつもりは全くなかったので笑って誤魔化した)


そして退職一週間前・・・・夜中に電話がかかってきた。


レイキセミナー担当スタッフのもりもっちゃんからだった。


私が仕事を辞めると聞いて、パートでいいからしばらく手伝って欲しいという。


手伝い程度なら沖縄から帰ってきてからだったらいいよ~と安易に承諾した。


しかし・・・・・沖縄から一時帰ってきて会社に出向くと、仕事は山ほどある。もりもっちゃんは基本的に実務のできない人であった。


この世界には往々としてあることであるが、精神世界に身を置いている人は現実離れしているところがある。


その手伝いとなると、それは手伝いではなく本業になってしまう。


補佐とは名ばかりで、3ヶ月もするとセミナーの運営実務は全て私が行うようになってた。


宿泊手配、スケジュールの調整、講師との打ち合わせ・・・・セミナー運営に伴なう各業者との打ち合わせ・・・・経理などなど・・・・多忙を極める。ボランティアでやっているわけではない。それで利益を出すわけだからそれなりに厳しい。


鞍馬や貴船神社ツアーを行いお客様を案内したりもした・・・・


レイキセミナーは月に福岡、京都、東京と3回行われる。それらの実務を私が行い、もりもっちゃんといえば・・・・・・・・


私を呼んだ意味がわかった・・・・もりもっちゃんは自分ができないことが分かっていたから、私を呼んだのである。


やり始めると集中してしまう私・・・・パートからいつの間にか社員になっていた。


前にも書いたが、その会社に10日違いで入ってきた男性と恋に落ち、婚約して破棄されたり、入社1年で東京に転勤になったり(そのまま東京にいついてしまったけど)と色々ありながらも、あれよあれよと10年が経った。


病院を辞めて1週間で今の会社に入り、それから1年後に東京に来て10年。早いものだ。あと五年もしたら病院勤めと同じ年数この会社にいることになる。


私は東京に来るためにこの会社に入ったようなものである。


レイキセミナーは入社して半年ほどで消滅して、もりもっちゃんも辞めてった。


私だけがこの会社の残ったのである。


うちの社長が言う。「あのレイキセミナーはみずちさんと出会うために開いたようなもんやな~」と・・・・私もそう思う。


この会社との縁は深い。


東京に転勤になったことで、私は懐が深くなった。ありがたいことである。