調子が徐々に戻ってきて、入隊生活も順調です。
キャンプの模様はしばらく淡々と地道に、こなして行く日々となりますので、違うお題をいかせていただきます。
以前から何度も書いてはいるが、私の母道江は線路に座り電車に轢かれて自殺した。
道江が自殺したのは、私が高校を卒業して見習看護師として病院に就職した年の暑い夏だった。
時を同じくして、以前これも書いたが・・・ 外科に入院してきた16歳年上の職業ヤクザの男と同棲し始めた。
彼との生活はそれはそれはホンマモンの修羅場でテレビで見るような事が目の前で起った。 同棲中、看護専門学校を受験し合格・・その後通学しながら病院に勤めた。(病院勤務が入学の条件だった)
生活は同棲相手がすべて見てくれていて、ヤクザの女が看護学生という物珍しさで、皆協力もしてくれた・・・
家事とか稼業の手伝いなどは一切免除された。
彼も応援はしてくれていたが、やはり無理があった・・・・・・ 白衣の天使ではヤクザの女は勤まらない・・紆余曲折・・・・突然に別れがやってきた。
「ヤクザの女の鏡」と言える人が彼の子供を身ごもったのだ・・・
私は彼の家を出て一人アパートを借りた。 経済的に苦しくなった。
見習の給料数万円で学費や家賃、生活費は賄うことができない。
20歳の時に家出同然に男の家に転がり込んだので、いまさら実家に泣きつくこともできない・・私はお金の為、大阪ミナミの町でホステスに身を投じた・・・ ここまでは以前に書いた・・・・・
母道江は私を生む前には大阪ミナミでホステスをしていたらしい。
知り合った呉服問屋の旦那と不倫関係に陥って私を生んだ・・ 彼女はホステスをする前、故郷で看護師をやっていたらしい。
白衣を着た彼女の若い頃の写真が今でも手元にある。
その写真が小さい頃の私の心にインプットされたのか、子供時代なりたいものはと聞かれれば「看護婦さん・・」と答えていた・・私は高校を卒業し、なんの疑いもなく医療の世界に足を踏み入れたのだ。
そんな経緯の中、仕組まれたように・・母道江がいた同じミナミの夜の町に身を投じた。
彼女と違うのは兼業ホステスだったこと・・・
そして男っ気はまったくなかった・・・ とにかく卒業するまでと必死だった・・・
午前中病院で勤務し、昼間学校、夕方また病院にもどり8時まで仕事、終わったら学生服のままラウンジに出勤しお金を稼いだ・・
しばらくすると看護学生という物珍しさで上客が何人かつき、指名料や同伴などの手当てで給料が一ヶ月手取りで30万くらいになっていた。
そして卒業まであと4ヶ月というところで病院を辞めた。
基本的に病院勤務が条件の学校であったが残り4ヶ月程度だと学校も見逃してくれるからだ。
病院を辞めてからはホステス稼業に力を入れた・・・・
働く時間が長くなり給料はどんどん上がっていった。 毎月50万くらいはあったように思う。
4ヶ月後学校を卒業し見習い看護師から脱出した。
そして悩んだ・・・このままホステスでやって行くか・・・・・病院に就職するか・・・・・私の人生を決める大きなターニングポイントだった。
学校を卒業して、ホステス稼業だけの日々が一週間も続くと、ほとんど水商売の女になっていった。
昼過ぎに起きて、喫茶店で朝昼兼用の食事する。その後スーパーで買い物をして帰る。
夕方から行動開始! お客さんに電話をして同伴をお願いする。同伴相手が決まると丹念に身支度、そそくさと待ち合わせ場所へ・・・夕食を一緒にして、そのまま出勤。
夜、仕事が終わるとホステス仲間と遊び歩いた。 同じ水商売仲間の男とも遊び歩いた・・・
楽しかったけど、その反対に「やばいな・・・」と思いはじめていた。
このまま流されていいかな・・・・という思いと、流されることの恐さを同時に感じていた。
ある休日、家の近くの病院前に掲げた看板が目に入った。
「看護婦募集」・・・・・病院を見上げると、ふと一つの出来事が私の脳裏をかすめた・・・つづく