ヤクザものと別れて、夜も仕事をするようになり、かなりハードな毎日を過ごしていた。


でも若いってスゴイ、やれちゃうのですよ。今なら絶対無理ですが、あの頃は何でもやれちゃうような精神も肉体もあったようです。


水商売は生まれて初めて・・・・・始めての水商売はミナミの10人くらいしか入らないようなスナックに勤めていた。


名前は・・・なんだっけ・・・たしか「ハテナ」だったかな・・・・源氏名は「小夜美」


でもなんだか合わなかったのか、すぐに辞めてしまった。で、ラウンジに面接に行ったら、私を見て・・・「うちにはイメージが合わないなぁ~」って断られた。


へこむ私ヽ(・_・、)


オーナーは「じゃ~一つ紹介してあげるから面接行ってみる?」と助けの舟。


やったーーーーv(≧∇≦)v 「もちろんです!!お願いします」と紹介されたのは、カウンター形式のラウンジ。同じ席に座らなくてもいいし、机を挟んだ対面で且つ座れる!!かなりラッキー、いい条件。


名前は「テルセーロ」ここのオーナーはカマタ一族といい、ミナミでラウンジからクラブ、スナックと幅広く経営していて、有名な一族。テルセーロはその中の一つのお店であった。


テルセーロのマスターはカマタ一族の長男であった。


時給もよかったし、ノルマもなくバイト感覚でも充分やれる感じで、翌日から働き初めた。


名前はそのまま本名を使うことにした。


看護学生のホステスはとっても人気があった。どんどん時給があがり、テルセーロから働き場所が高級になっていった。


最終的には同じ系列の高級クラブに働くようになり、月収が50万に手が届くほど・・・・・


それで私は病院(産婦人科)の方を辞めてしまった。やはり病院と学校とホステスはきつかった。


本当は病院を辞めることはできない。看護学校に通学する条件が病院勤務だからである。でも卒業まであと半年だったし、次の病院を探さしているという名目で卒業まで通した。


クラブのオーナーも私の事を認めてくれていて、看護師になっても来て欲しいと、ことあるごとに言ってたし、私についていたお客さんも辞めることを引き止めた。


かなり揺らいだ・・・・・ユラユラユラと・・・・・お金にも不自由しなくなり、貯金もできるようになった。


でも・・・・看護学校卒業と同時にきっぱり水商売から足を洗った。


基本的には向いていないのがよく分かっていたし、夜はだめ。


男と酒、金にまみれた夜に身を投じるだけの根性はなかった。私の無意識である。


母道江が通ってきた道だから。ホステスをやっていて、客と恋愛をし私を生んだ。認知もしてもらっていない。前にも書いたが、呉服問屋の旦那で妻子がいたから。



それと同じ道は通れないと思った。もちろん無意識で。その時には意識はしていない・・・けどそれは夜の世界への違和感として感じていた。


ヤクザものと別れてから夜の世界にはいたけど、恋愛はしなかった。


まあ少しは遊んだけどね( ̄。 ̄)水商売の男はカッコイイし、お金ももってるし、優しい。


それは若いから仕方ない。けど、深入りはしなかった。


まだ心が壊れていたし、余裕がなかった。


そしてやっとぎょうさんの草鞋を脱ぎ、生活は看護の道一本に絞って病院勤めに精を出した。


貯金もできて、なんだか安定した生活となった・・・・・・のは幻想だったような・・・・束の間だったような・・・・・・┐('~`;)┌