肉屋のおにいちゃんの死後の事はもうあまりよく覚えていない。
死んでから彼のアパートに行きお線香を上げた。
あまりに憔悴している私を見て、九州から出てきていた家族は私に写真と彼の遺品であるシャツを持たせた。
お母さんに何か言われたけど・・・・覚えていない。
奥には別れたという彼女が座っていて、彼女も同じく憔悴して呆然としていた。
それがはじめて人を好きになるということを覚えた体験だった。
人を好きになると、本当に胸が苦しくなるんだ・・・・と思った。
彼の事を考えるだけで本当に胸がきゅーーて締め付けれて立っていられなくなる。
好きだと脳で考えるのではなく、胸で感じているものなんだ。
心って本当に胸にあるんだ・・・・と思った。
よくドラマとか本とかで聞くが、本当にそうなるんだぁ~と・・・・・
そしてその愛する人を亡くしたとき、何も考えられなくなる。涙も出ないということも覚えた。
そう言えば母さんが死んだときもそうだった。まあ電車に飛び込んだということもあり、色々と雑用が大変だったから泣いてもいられないと状況で、純粋に悲しみに浸ってられないという現実もあった。
まあそんなこんなで、一つ終わって。
それから同じ年の夏に母さんが自殺して、その冬に同居していた祖父(お父さんの父)が長い闘病生活を経て大腸ガンで死んだ。
この時期は本当に大変だった。
お母さんのこと、家の家事、おじいちゃんの看病、9歳の弟の面倒、そして高校にいかないといけない・・・・遊びたい・・・・そして肉屋のおにいちゃんとの恋・・・・もう混乱していた。
よくグレることもなく健やかに育ったことだと、我ながら関心している。
怒涛の10代が終わり、私は20歳を向かえて大きな転機となる恋をした。
その人は16歳年上のヤクザだった(というか元ヤクザ・・・・広島の刑務所から刑期を終えて出所、ただ広島には戻れない事情(きっと恐い事情だと思うけど)があったらしい、で大阪へ逃げてきたらしい)
ようはチンピラ?というヤツかな。
注:付き合った時はヤクザとは知らなかった。