小さい頃から独り言が多かった。自分の内側に入り、そこで物語が始まる。


様々な登場人物(実在はしない)と話が展開する。だんだん内に入って深くなってくると、心の中の声が口から溢れ出てくる。周囲の人達が不安気に私の顔を覗きこむこともあった。


その物語を続けたくて早く家に帰りたくなった。その物語の結末がくるまでそこから抜けられない。ものすごい集中力でその中(妄想)に入り込んでいく。現実なのか夢なのかわからなくなる。本当に現実なんて曖昧だと感じる瞬間だ。


その夢の中では私ではなく「おとりちゃん」という人物がよく出てきた。


おとりが私の中の小さい子供だと認識し、「おとりちゃん」の事を公言し始めてから、「おとりちゃん」が夢の中からいなくなり現実の生活の中に出てきたのだ。


おとりが現実に現われていた頃、おとりは縦横無尽で無作法で横暴であった。私はパニックに陥り生活が大変になった。しかし幸か不幸か私は精神力が強い・・・・「おとり」よりも理性が勝ってしまったのだ。


徐々におとりをコントロールできるようになり、おとりは変化していった。


リアルな夢を見ることがなく、夢は断片的になり、食べることもなく、母親も出てこなくなった。


そんな時・・・・・・


4年程前からヨガを習い始めた。その頃ヨガ教室をずっと捜していて・・・・紆余曲折を経て、結局新宿のヨガ教室にいくことにした。


初めて行った教室の帰り、花園神社という神社を見つけた。境内に入るとなにやら催しものがあるらしく鉄パイプの柱が一杯立っていた。私は歩きながら、心の中で手を合わせるくらいの感じで、特に意識することなく通りすぎ帰宅した。


次の日・・・そのヨガ教室のHPを覗いてみると・・何気に開いたページ・・・・眼に飛び込んできたのは「おとり様」と「花園神社」の文字・・・そのヨガ教室を主宰する先生が書いているエッセイの中に「おとりさま」の説明があった。長い文章なので簡単に説明をすると・・・


なんでも酉の市をする神社のご祭神として、「おとりさま」とよばれる「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」と、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の二神をまつってあるのだとか。発祥が浅草の鷲神社で昨日通った花園神社にもおとり様をご祭神としてまつってあるのだそうだ・・・・私にとっては初耳だった。関東では有名らしい・・けど・・昨日通ったときの、鉄パイプの柱は酉の市の支度だったようだ・・・


毎年11月の「酉の日」には「酉の市」が開かれる。


そして「おとり様」とはヨガのN先生曰く「夢見る力(イメージが現実を創り出す)」の象徴なのだそうだ。そうした「夢見る力」にあやかるお祭りとして酉の市があるのだと書かれていました。


夢見る力の象徴がおとりさまだということの、真意は別として、私の前に現れたおとりの正体は紛れも無く夢見るおとりであったのだ。。。。。。


母親は私の中で生き続け、母親に乗っ取られ半ば母親の人生を歩んできたと思っていた。


母親への強い渇望が母親に命を吹き込み、その呪縛に苦しんでいたと・・・・母親から離れることを考えた。


母親と完全に離別するということは不可能だけれども自分の人生に責任を持つということで、母親からの呪縛解かれるのではないかと思っていた。


だからおとりはおとりとして、私の中で成長をさせて母親との癒着を解こうとして、おとりの名前をそのまま使っていた。


しかし今思うと「おとり」は私の変わりにできなかった母親との生活をし、私の欠けた部分を補っていたのではないだろうかと思い始めた。


取り残された自分の中の子供・・・という心理学的なものの考え方があるが、私はおとりがいたからこれまでやってこれたのではないか・・・・・


人生色々と波風はあったが、自暴自棄にならず、ありがたいことに勤勉にそして健やかに沢山の人に支えられて生きてきている。


夢見るおとりは子供のココロを忘れた私の変わりに、母と共に生活をしてくれていた。


そしておとりの役目は終わったように思う。


ただ母親と完全に離別するということは不可能です。


けれども自分の人生に責任を持つということで、おとりのお役目も終わりに近いということなのでしょう。


私の一部である「おとり」という名前から、私の本質的なエネルギーを象徴した「みずち」という名前に変えて、またスタートしようと思うのです。


500年の時を経て沼から上がり、自由に天空を舞うことができる可能性を秘めたみずち、気が長い話だが、根気だけは自信がある。


母親からのギフトは、どうみてもギフト風ではない・・・・が、まあ素晴らしいギフトであったのだろう・・・・・


みずちは龍になる前の500年、水の中で過ごす。その500年はいつ来るのか、今が500年の内の何時なのかわかりませんが、水から駆け上がることを夢見ることにしましょう。


つづく